第二四段 商業施設と浜町

 長崎で最も栄えているところと言って出てくるのはとんと予想もつかぬが、長崎で随一の繁華街の名を戴けるのは浜町をおいて他にない。そのような幻想を抱いていたのは小学生の頃までであり、やがて中学生になると押し寄せる商業施設の設置の波にこの感覚が揺らいでいくこととなる。

 毎度ながら手前味噌で申し訳ないが、拙著で二〇〇〇年頃の長崎を出すにあたって調べ直したところ、当時の長崎には夢彩都とアミュプラザ長崎(通報アミュ)は存在していたようである。確かに、中学生の頃には長崎くんちの御旅所が変わってしまったという記憶があったように思うが、幼少の記憶というのは存外に頼りになるようである。ただ、この港沿いに生まれた商業施設に中学生時分の私は少々冷たかった。まあ当時の私がこれらの商業施設を歩き回っているというのは、自分自身でも信じられないことではあるのだが。アパレルショップを見て回る学生服の私など、想像してみただけで笑いが込み上げてくる。

 それでも、これらの施設と付かず離れずの関係を保てたのは、ひとえに異なる本屋が入っていたためである。地方都市にとって漫画がどのように入荷するかは常に気になるところであり、少々成長して今は無きアニメイトに顔出しするまでは大きな本屋に頼るより方法を知らなかった。それでも、夢彩都に慣れ親しんだのはそれよりも後のことであったのが。

 これが学生時分ともなると慣れたもので、颯爽とこれらの商業施設を歩いていてもよさそうなものであるが、実際には細々と一階をそのように歩くのが精一杯であった。アミュプラザ長崎のフードコートに白いたい焼きの店があるのを知ったのは就職活動の頃であり、長崎駅にも大波止にも行きながら、一定の距離感を保って接していたように思う。隣のホテルニュー長崎のケーキ屋には遠慮なしに踏み入っていたにも関わらず、である。

 それが何故かということを考えたとき、頭に浮かんでくるのは浜町アーケードである。浜町アーケードは長崎市を代表する商店街であり、最も賑やかで華やかで地価の高い場所であった。ただし、地価以外が過去形となってしまうのは、先述した商業施設の開業に加えて、浜町自体の「地盤沈下」によるものであり、言ってしまえば昔日の観はない。だからこそ若人は新しい施設へと目が向くのかもしれないが、それでも、私のような者は面構えの異なる店が立ち並ぶ中を、人並みに歩きながら天候も階段も気にせず行けるこの界隈が一際好きなのだろう。

 いや、それ以上の思いがこの地にはあるのかもしれない。

 以前に大丸デパートが撤退したことについて触れたが、幼少の頃、大丸に行くというのはハレの日であった。浜屋デパートに行き、父母の買い物に付き合ってから屋上遊園地に繰り出すというのも、当時の私にとっては特別な一日であった。やがて、成長するにつれて浜屋は少しずつ私にとって身近なものとなっていったが、大丸は成長してもなおどこか敷居の高い存在として君臨していたようである。浜屋はアーケードから電車通りへ抜けるのに利用していたことが意識に影響を与えていたのかもしれないが、未だに私は大丸があったとすれば襟を正して訪ねることだろう。ただ、そこに嫌な思いや隔絶感はない。そして、幼少の頃に港沿いの商業施設が在ったとして、目を輝かせて訪ねることはあっただろうかとも思ってしまう。楽しさというのは変わらないのかもしれないが、背筋が伸びるあの感覚というのは思い出しただけで顔をほころばせるようだ。


 そびえ立つ 城の如くに 百貨店 ガラスの靴の 歩きにくさよ


 そういえば、浜屋デパートの電車通り側の出口ではミニクロワッサンが売られていた。これを買って帰るのもまた慎ましい愉しみであった。

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