第二五段 お神酒
九州に住んでいるとどうしても焼酎好きなのではないかと見られがちだが、私は日本酒も好きである。これは恐らく父の血を継いだものであり、昔から家には日本酒が常備されていた。特に父は雪冷えの酒を好んでいたようで、夏になると氷ポケットの付いたガラス徳利を愛用し、思うに任せて飲んでいた。冬は燗を付けて飲んでいたような気もするのだが、こちらの映像はどうしても浮かんでこない。豊かな生活の名残を心が欲しているからと言えばこの小文の趣旨に合うのかもしれないが、単に私が冷酒をあまり家で飲まないからである。同じ酒飲みでも性格は違う。
話が少々逸れてしまったが、実家が蕎麦屋を営んでいたこともあって私は幼い頃から日本酒に慣れ親しんできた。好きで飲んでいたという訳ではないのだが、それだけに成人してから間もなく日本酒をいただくようになったのはごく自然な流れであった。とはいえ、それは金も強いこだわりも無い学生時代、出される酒は何でも飲み、やがて辛口の日本酒であればなんでもよいという地点にまずは行き着く。そして、吟醸酒がなんとなく良いらしいということで、背伸びをして求めるようになった。そうなると、自然と足が酒屋へと向くようになり、同輩が知らないような酒を好んで求めるようになった。名が知られ始めた「
その一方で、長崎の酒に対しては冷ややかであった。大学の講義の一環で「
しかし、その真価を見たのは長崎らしい味付けの料理をいただいた時である。刺身醤油と水のような酒というのも悪くはないが、少々酒が負けてしまう。しかし、酒自体が旨みや甘みを持つことで全体が整い、それぞれの味が輪郭を持った。これが「地の酒」の持つ意味であると知ったのはそれよりも十年近く後のことであったのだが、身体は感覚を磨きつつあったのかもしれない。また、今里酒造さんの
これまで日本酒の話ばかりをしてきたが、焼酎はというと長崎にいた頃の私は芋ばかりを飲んでいたのであまり壱岐焼酎を飲む機会がなかった。とはいえ、飲みに出ると店に並んでいるのを見ていたため馴染みがなかったわけではない。とはいえ、その真価を知ったのは長崎を離れてからである。地元の味を楽しもうとしたときに合わせてみると、これまた芋とは異なり引き締まる思いがして心地よい。大学時代に焼酎といえば芋としていた頃を少々勿体ないと思う自分があるが、外に出て初めて見えるものもある。長崎に帰る楽しみが一つ増えたと思えば悪くない。
変わり種で言えば「福田酒造」さんが味醂を作られており、帰省の際に知って一つ買い求めてみた。家では三河みりんを使うことが多いのだが、比べてみると甘味がややすっきりとしており、そのまま飲むにも良さそうである。なるほど長崎といえば昔から砂糖がふんだんにあり、味醂に強い甘みを求める必要がないのかもしれない。私の推理が正しいとすれば、この一本もまた長崎にとっての「地の酒」ということなのだろう。長崎市外で作られているのもまた、外から多くを受け入れてきたこの街に相応しい。この一献が続く限り、街の灯火は明るいのだろう。
噛みしめる 歴史の先に この宵も 好い酔い醸す 富める食卓
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