第二六段 祭り

 小学生も後半の頃からではなかったかと思うが、近所の公園で夏祭りが行われるようになった。町内会が主催したであろうその小さな祭りに、幼少の私は興奮し成長した私は縁日の影を見た。これというのも、それまで祭りといえば大きなものしか知らず、故に地域の人で集まるものという感覚がなかったからである。

 長崎で祭りといえばいくつかあるが、その中でも私にとって異質であったのは「ながさきみなとまつり」であった。夏の盛りに行われる、打ち上げ花火もある派手な祭りということで中々の人気があるようだが、残念ながらあまり足を運んだことがない。花火の音を耳にして急いで窓へ向かったことはあるのだが、見えぬままに盃を傾けるのが精々であった。

 一方、同じ海をテーマにした「帆船まつり」は何とも華やかで、鶴の港と陽光が見事に映えるひと時であったという記憶が海馬に焼き付いて離れない。元々タグボートの船長をしており、海が好きであった父の崩れ切った相好を見たのも、この時が最たるものではなかったか。

 単純に世界中の帆船が揃うというだけの、港町を活かしただけの祭りであるのだが、そして何とも慎ましい祭りであるのだが、長崎の歴史を俯瞰して見た時にこれほど素敵な場はあるだろうか。船上で我々に笑顔を向ける水夫の姿は、戦前の横浜や江戸の出島の趣を偲ばせるに十分ではなかろうか。自らと異なるものに囲まれて歩んできたのがこの街であり、それをゆっくりと親に手を引かれて子供が歩む様を見れば、明日がまだ晴れ晴れとしているように見える。

 異国情緒といえば、冬に行われる「長崎ランタンフェスタ」は中華街を中心とした祭りであり、近頃では「さっぽろ雪まつり」の裏番組のような地位を得つつあるようだ。亜寒帯に属しそれなりの大雪に包まれる北海道に対し、港町ゆえの独特の寒さを持つものの比較的温暖な長崎とを比べたとき、身体に優しいということで選ばれることが増えているようである。また、町中が暖色の灯火に覆われるのも目に優しいということだろう。初めは中華街近くの湊公園で営まれていたのが、私が長崎を離れる頃には市街地が提灯で包まれるようになっていた。

 ただ、この大元は中華街の方々が旧正月を祝うために行っていた装飾である。大陸らしい華やかさは当初よりあったのだが、それに便乗するような広がりは土足で屋敷に上がり込むような心地がして、申し訳なく思うところもある。ただ、初めの頃に三国志演義は関帝の飾りと豚の頭の供え物を見た時の感動は、未だに心に仕舞われている。

 盆には祭りとは趣の異なる精霊流しが行われるが、この日の長崎は硝煙の臭いと鳴り止まぬ爆竹の喧騒とに包まれる。これは別の意味で異国に連れられたかと眩暈がするのだが、それもそのはずで激しい人は一度に一箱の爆竹を消費する。なんだ小さいではないかという方は、この単位が段ボールであることを留意されたし。故人を送るのにしめやかという概念が長崎には存在しない。

 こうした諸々の祭りを置いて最も「じげもん」の心を躍らせるのが「長崎くんち」であり、長崎が歩んできた歴史と文化の粋である。龍踊やコッコデショが有名であるが、私も母も「鯨の潮吹き」と傘鉾に目が行きがちであった。特に、この鯨の潮吹きは三日でその様子が変化していくのがよく、最後には網を打たれてしまう。細やかな演出が何ともニクいのだが、三年連続でシャギリの音は響かぬようである。長崎の地を離れてもう十年以上も経つが、あの長崎くんちの日が刻一刻と近付くという高揚感は、このまま残されてほしいと願うばかりである。


 モッテコイ いらぬ病は イッテコイ また湧け諏訪に 長崎の粋


 いずれ諏訪の石段でお下りを、お上りを見てみたいものであるが、それまであれよという声が切ない。

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