第二七段 食堂と食道(終段)

 浜町アーケードの中に大丸デパートがあったことは以前述べたとおりであるが、その中に在った「テラス喫茶 グリーンカフェ」は私の食の原点といってよい。洒落た雰囲気の食堂でいただくボロネーゼやサンドウィッチ、その中身がどのようなものであったかは分からぬものの、幼い私を魅了して止まなかった。グルメな方が口にすれば批判が炸裂するようなものであるのかもしれないが、私は生憎ながらグルメではない。だからこそ、フード・エッセイストとしての原点はここに在り、そして長崎大丸の閉店と共に今では私の胸の奥にある。

 思い返してみると、私の食道楽というのはひどく偏執的であったように思う。他者の旨いを信用せず、ただその店に飛び込んではその店がそれぞれに持つ愉しさを見いだして、微笑む。人気の店であろうと好まぬのであれば馴染みとならず、嗤われようと好む店には足繁く通う。そうした侃々諤々の在り方を満たすだけの豊かさを、昔の長崎は抱えていたように思う。

 その中でも鮮烈な記憶として残っているのは、実家の営んでいた蕎麦屋の近くにあった「セゾン」さんであった。昼時ともなると女性客で満ちる小洒落た店の中で、幼少の私は楽しくランチをいただいたものである。今にして思えばどれほど贅沢なひとときであったことか。あの時の印象が私にとっての「食堂」の在り方を決定づけたように思う。ただ、それよりも思い返してみて分かるのは、そのような店の在り方が許された長崎の淑女の豊かさが、その頃はまだ残されていたことである。

 同じ通りに在った弁当屋、それこそ名前も思い出せぬ弁当屋もまた会社員の腹を満たし続けていたのは紛うことない事実である。その名が調べ尽くして「メアリーハウス」さんであったことを突き詰めたとき、その文字列と共に様々な思い出が湧き上がってきた。幼少の頃、蕎麦に飽きるという今では信じられぬことが起きると、夏目漱石を右手に握り、豪華な弁当を買い求めたものである。決して趣向を凝らし、世にも珍しい品が並ぶような一膳ではない。ガルニのパスタが、メンチカツが何ともいじらしく並ぶだけのどこにでもありそうな一品である。それが何よりも嬉しかったし、それが今では何よりも恋しい。懐かしがってグーグルマップで覗いてみると、その面影は欠片もなく、幼少の頃から社会人として外に出るまで前を通る度に挨拶を交わしたおじさんの勤める駐車場と共に、跡形もなく消え去っていた。

 最早、私の「食道」を辿る店はなくなってしまったのかと嘆いてみると、ふと「えきまえ食堂」という言葉が浮かび上がってくる。ここは学生時代に知り、アルバイトの後に腹を満たすのによく使った。決して贅沢な店ではなく、千円があれば満腹になることができる、学生にも社会人にも嬉しい所であった。でか盛りで持て囃されることもあったようだが、私には草臥れた顔をしてビールを流し込み、定食に没頭するだけの質素な空間でしかなかったように思う。

 この店も先程と同じように覗いてみると、なんと屋号が変わってしまっている。慌てて調べてみると四年ほど前に店じまいをされていたようである。ただ、新たにできた店を画面越しに見ていると、何か芯の部分で変わらぬものがあるように見えてくる。幻か、と思ったが、どうやら今の私が立ち寄っても浮くことない店のようだ。これならばまだ、私は長崎の「食道」を信じられるような気がする。いつになるかは分からぬが、またこの店の角で定食の小鉢を肴に一杯やりたいものだ。西九州新幹線の開通に伴う激動と再開発、そしてそれを以てしても隠し得ぬ西日の中でいただくビールはどのような味がするのか、いくら想像しても苦味と甘みの調和が堪らない。


 長崎の 歴史は今や ここに在り 食膳に起つ ひと皿の隅

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