後記 晩餐の後に床に就き

「十年一昔というけど、今は五年一昔、下手したら三年一昔やね」

 生前の母はよく「どきり」とすることを口にしたが、三年以上の時を経て本作を書き上げた今、この言葉が再び私の心を抉る。それこそ生きて両親があれば、飲み疲れて床に就く父の傍で、母から笑われたことだろう。

 その父も母もいよいよ長崎に新幹線が来ると言えば、どれほど驚いたことだろうか。日本列島の西の果てにまで届くその手は、夜行列車に揺られて東へ上った二人にとってあまりに眩い光であるのかもしれない。しかし、その明るさを歓迎するかと言われればこれまた疑問が残る。あまりに激しい光というのはそこに在ったあまねくものを照らし上げ、焼き、消し尽くしかねない。最後に帰郷した折、移転した長崎県庁という箱物と変貌を間近に控えた長崎駅の周辺を眺めながら精一杯に昔の眺望を思い出し、網膜に焼き残そうとした。せめて面影が少しでも残るうちに、と。

 思わぬ長期連載となってしまった本作は、その間にコロナ禍による行動制限と付随する飲食店の営業制限により書こうと思っていた「題材」が想定よりも早く変化してしまった。正しくは衰弱してしまった。実家が営んでいた蕎麦屋を思い返してみるとありありと分かるのだが、飲食店の多くは薄利多売であり、体力に乏しい。故に、一度坂道を転げ始めるともう止まらなくなってしまう。後に残るは朽ちた花。惜しむ声という分解者に包まれながら、やがて土へと還っていく。ただ、あまりにも急速にこれが進むと、持っていた養分が燃えてしまい新たな文化が生まれなくなってしまう。

 危機感というのが本作を通して私が抱き続けてきたものであり、生まれ故郷である長崎の文化の老衰への抵抗が本作の主題である。無論、これからも長崎という街は変化を続けながらしばらくは存続するのだろうが、その衰退を免れるのは難しい。その象徴が食にあるとしたのは、食事こそが日々触れる文化であり、地方によって異なったからである。チェーン店の展開がその文化の一部を一色に染め上げたところで、背骨にそれが残っていれば問題はない。しかし、その色とりどりの個人商店が失われてしまえば、どうなってしまうのだろうか。そして、それが一つの「街」の持つ色と対立する「世界」や「国」の持つ一般的な色とが織りなす塗り絵となった時、果たして私たちの暮らしはどうなってしまうのか。そうした想像は書きながら常に頭から離れなかったように思う。

 思えば序段の光景を見た時に覚えた危機感というのは、単純に長崎に対するものだけではなかったのかもしれない。以前、原発誘致に揺れる山口県は上関町を訪ねた際に、斜陽の注ぐ陰影深き街を眺めながら背筋に寒いものが走る気がした。それを当時の私は恐怖と思っていたのだが、よくよく比べてみると同じような危機感であったのかもしれない。ただそこに厳然とした差が生じたのはその強さに差があったからであり、やはり幼少の頃から親しんだ街への思いは強くなってしまうようだ。

 後書とはいえ取り留めなく悲観的なことを書いてしまったが、まだ各地にはそれぞれの色が残されているのも事実である。画一化、均一化という荒波の中に浮かぶ泡沫は私を魅了して止まず、そして何かが起こればそれを押し返す波濤に転じる。そうした力強い下地を持った地方の姿を、私はできる限り見詰め、描き続けたいと思う。それこそがこの一編を書いた私の使命であるのかもしれないと、柄にもない気負いが生まれてしまった。

 最後に種明かしをすると、本作に示し続けてきた「長崎」は幼少の私が駆けた狭い「長崎」である。まだ佐世保も島原も書いてはいない。私の晩餐を求める旅はまだ始まったばかりである。


 盛夏厳しい七月 鶴崎

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徒然なるままに~長崎の晩餐 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru

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