第十四段 新大工町

 新大工しんだいく町、という名前を耳にしてピンとくる県外の方は少ないと思うが、長崎の人間でもそうした方は少なくない。ただ、私のような昭和の終わりまでに生まれた人間であれば、玉屋たまやデパートの威容が目に浮かび、それと共に栄枯盛衰を呼び起こされる。路面電車で蛍茶屋ほたるぢゃやより浜町はまんまちへと向かおうとすれば、今では下ろされたシャッターが目についてしまう。大丸すらも姿を消し、残すは浜屋だけとなってしまった現状を思えば仕方のないことかもしれないが、百貨店の持つ独特の浮世離れした雰囲気はもう時代に合わぬのだろう。

 ただ、この地に百貨店があったということは、その近くには豊かな人の営みがあったということであり、この地の市場はその昔、長崎でも有数の繁栄を誇っていた。私が生まれた後もその面影は残っており、市場にもまだ活気は残っていたが、今では商っている店も殆ど無くなってしまっている。その一方で、私の母は高校時代にここへ立ち寄って買い物を済ませ家に帰ることを常にしていたというから、やはり往時は賑やかな市民の台所として在ったのだろう。

 私の学生の頃には、まだそうした生活を下支えした場としての在り方を残す店もあった。夏には蜜かけの氷を売り、冬には焼き芋を商う小さな店。看板も出ていたのかもしれないが、名も知らぬ店。しかし、そこで一つ買い求めて食べ歩けば、周りから人々の声が響き渡るような気がしてひどたのしい。歩く時代を間違えたかと錯覚するほどの現実が今に残されていたのはそれこそ尊いものなのであろう。なお、その店が今も商いを続けているのか、確かめる術が私にはない。

 この地において私は青春の一端を過ごすことになるのであるが、それは諏訪大社すわたいしゃふもとにある碁会所ごかいじょが発端であり、そこで行われていた子供囲碁教室に足を踏み入れたのは始まりであった。年の近い者もあれば幼い者もあり、また子供というには酷く老けた者もいる。その中に混じって碁を打ち、帰りしなに当時はよく知らぬこの界隈かいわいを練り歩くのは、小さな冒険心を満たすには充分であった。なお、その碁会所でも色即是空しきそくぜくうという四文字熟語が脳裏をかすめるのであるが、それを挟んでは本題から外れるためここでは割愛する。

 成人する前後には原付を駆ってこの界隈を練り歩くことが度々あったのであるが、長崎大学は経済学部の片淵キャンパスを近くに備えながら、学生の姿は然程多くはなかった。その原因は当時の私からしても歴然と分かるものであり、それこそその時点で本作の執筆動機に至っても可笑おかしくはないものであった。古くからの店がのきを連ねるというのは、時代の急変がなければ絶えず流れる川のようなものである。しかし、奔流ほんりゅうさいなまれるような時代に在っては、時にその景観の一変を求めようとする。それを拒めばどのようになるかという問いに対し、山の草木はただ静まり返るばかり。とはいえ、その流れは時に何もかもを寸断し、後には何も残さぬ。それを今となっては閑散とする往来が無言で訴える。

 ただ、未だにその灯は潰えておらず、商店街も市場も僅かながらに息を続ける。考えてもみれば、我が家の近くの白糸しらいと市場は早々に姿を消し、長崎駅近くの大黒だいこく市場も今ではいくつかの火がくすぶるばかりで、とても市場を名乗れるほどの空間を残してはないない。そのような中で今も商売を続ける店が、個人商店が連なる界隈というのはそれだけで意味を持つのかもしれない。そのような高尚に似せた思惑も、団子に煎餅せんべいにという誘惑に負けて子供に戻る。笑うならば笑っておけと打ち捨てて街を歩き、思うままに買い求めて時を過ごす。これほどの贅沢ぜいたくを私達は失ってしまったのかという溜息ためいきは、それでも、外に開けた店の奥へと揚々と向かっていくようであった。


 賑わいを 間引いて街は 息をする 長く静かに 揺蕩たゆたうがごと

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