第十三段 長崎前

 海が近いというのは長崎の特徴であるが、それというのもこの長崎半島がきりのように海へと突き出しているからで、山に入ったかと思うと、あという間に海が再び顔を出す。故に、豊かな漁場と相まって長崎では新鮮な魚を口にすることができる。活きのよい青物を刺身でやり、ちょいと酒を傾けるというのはまことに様になる。その一方で、魚自体が旨くて新鮮であるがためかその調理は素朴なものが多く、自然と鮨も刺身の活きの良さを押し出したものが目についてしまう。それはそれで一興ではあるのだが、丁寧な仕事がされたものをいただきたいというのも人のごうである。

 そのような時に心を満たすのが、眼鏡橋めがねばしの近く中通なかどおり商店街は「まさる」である。鮨屋としては明るい店構えが、大将の瑞々みずみずしい感性を物語る。しかし、店内で供される鮨にされた仕事は今様いまようというよりも昔の長崎を思い出させるものである。それは決して昔と同じではないが、しかし、長崎が唯一ゆいいつの貿易港を持ち栄えていた往時を偲ばせる在り方をこの舌に刻みつける。江戸前の鮨の在り方に慣れた人からすれば、どこかちぐはぐな印象を受けるのかもしれない。事実、父に連れられて伺った昔の私は、ゆったりとさかずきを傾ける父の横で何の変哲もない鮨として味わった。ただ、この何の変哲もないと思わせたその味が、実際には私が長崎で味わってきた料理の合間に綺麗に収まる名品であると気付いたのは、二十も半ばを過ぎてからである。それは丁度、江戸蕎麦そばを至上とするしがらみから解き放たれ、対馬の蕎麦を恋しく思うようになった時期と重なる。大将は地の魚、すなわち「じげもん」にこだわって仕入れをされているが、そのこだわりは仕事にも繋がっている。江戸前ならぬ長崎前ながさきまえ。それがこの店に与えられるべき最大の讃辞であるように思う。


 宵近し 鶴の港を さかずきに 甘くきらめく 鮨のひととき


 子供をお断りする店であるが、これも並の子供が寄ってしまえばつまらぬ思いを抱いたままに帰すことになってしまうという大将なりの気配りなのかもしれない。互いの領分を侵さぬことが幸せなこともあろう。

 では、子連れの方々は長崎の鮨も味わえずに帰らざるを得ないのか、といえば必ずしもそうではない。子供も楽しみやすいということを考えれば、回転寿司である若竹丸はいかがであろうか。無論、色々と旨い鮨屋で子供が入れるところもあるが、鮨を食べ慣れぬ子どもがいる場合には様々なものが味わえる店の方が良いのではないか。

 それに、若竹丸自体は大人が行っても楽しめる回転寿司屋である。長崎県内に複数の店を抱えるが、長崎漁港からの仕入れもあり、その魚は上々である。他のチェーンを知らずに伺い、後にそうした店を訪ねて吃驚びっくりしたこともあるほどである。確か、成人して間もない頃に浜町はまのまちのアーケードに在る店に伺い、寿司を以って二合ほどやったのが初めではなかったかと思うが、今でも長崎で気軽に立ち寄って心を満たすのに利用している。気軽にできる店でありながら、しかと気を配っているというのは殊に有難いものである。

 そして、この若竹丸は店舗網を広げながらも折での利用客にも優しい。寿司はその場で食べるのも良いが、何かの祝いや歓談の場を飾るのにも良い。中学時代の友人たちと帰省の折に集い、その際に利用した覚えがある。他の料理の中に在っても放つその長崎の輝きは、それだけで異郷より戻った私の心を潤し、卓上をにぎわせる。一つ摘まめば話に華が咲き、私達の心は少年の頃に戻り、浮世の憂さなど吹き飛んでしまう。良い酒に良い肴に良い友と揃う喜びは、引き締まった魚の身に似ていつの世にもたまらないものである。


 長崎は 異郷を迎え 一貫の 寿司にも残る 甘き在り方


 長崎の出前寿司も今は下火である。

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