第一〇段 学び舎

 長崎大学のある文教町は長崎の中でも希少な高低差の少ない地域である。長崎において高低差のない土地など皆無といっていいのだが、それでも、この周辺では多数の自転車を拝むことができる。というのも、長崎は斜面が多すぎるために自転車に乗ることができない人も多く、自転車に乗る文化が薄い。街中に自転車屋もほとんどなく、あったとしてもその内実は自動二輪を扱う店の副業となってしまっている。そのような中で銀輪が活き活きとしている姿を拝めるのは奇跡である。

 一方で、大学四年生から社会人一年目にかけて書いた拙作では、学問や教養の足しになるものは何一つなかったと手厳しく断罪している。我ながら当時の屈折した心境を思い返すと笑いが止まらないのであるが、三十路に入った今ではその評価も変わっている。むしろ、学問によって思考が支配されるという事態を防ぎ、思考の固定化を防ぐことができたのではないかと思う。それに、アカデミックとはだれかに与えられるものではなく、自ら求めるものである。大上段に構えた他者への批判は自己批判の不足によるものと恥じ入るばかりである。成長したといえば聞こえがいいのかもしれないが、老いて擦れてしまったと言う方が正しい。世の中を知らなかった小僧が持っていた千枚通しのような鋭さが失われたのは勿体ないのかもしれない。

 さて、この長崎の最高学府が控える文教町は比較的にしても遊技場が多い地域であった。一方で、大学としては決して広いほうではなく、土地の狭い長崎の縮図であるかのように機能を凝集させている。ただ、その分だけ後背地は少なく、憩いの場などは僅かである。卒業後、大学の発行した案内を見た際にその洒落た雰囲気を見て苦笑したものであるが、それと同時に張りぼてというのはかほどに人目を引くものかと感心させられた。

 それに比べて、医学部の坂本キャンパスや経済学部の片淵キャンパスのほうがより長崎の色を濃く残している。坂本キャンパスは長崎の学校が坂の上にあることを象徴し、片淵キャンパスは長崎の在り方を残す街に近い。ここに文学部でもあれば、というのは小僧の他愛無い妄想であった。

 一方で、長崎にある高校は悉く坂道との縁を切ることができない。特に、長崎五校と呼ばれる公立進学校はいずれも坂を登らねばならない。私の母校である北陽台も長崎市ではないにも関わらず長延な坂を持ち、最も平地に近い長崎西高でさえもその宿命から完全に逃れることはできない。ただ、防災の観点からすれば至極真っ当なことであり、洪水が起きた場合に手早く逃げ込むことができる学校が高所にあることは人の命を守るうえで非常に有益である。他の地域でも学校が高所にある場合にはそうした利点が見込まれよう。長崎はそれがあまりにも極端すぎるだけである。

 一方で、長崎でも平地に位置する学校といえば長崎大学の他に女子校である純心高校などがある。一見すると長崎の中では恵まれた場所に位置するこの学校も、長崎市街でも浦上地区という条件を与えるだけでその色合いを一転させる。一九四五年八月九日に産み落とされた原子野の惨禍によって生徒、職員の二一四名が命を奪われている。


 燔祭の ほのおの中に うたひつつ しらゆりをとめ 燃えにけるかも


 故永井博士の残したこの一首はそうした魂を鎮めるためのものであり、その尊さは何物にも代えがたい。今日もまた、向かい合うようにして濃紺の少女たちと次代を担う若人たちは原子野の跡に学びに青春にと謳歌する。その尊さは何物にも代えがたい。ただただあの歪曲も湾曲も二度と現世しないことを願いながら、この地を行く度に乙女達の罪なき犠牲を思わずにはいられないのである。


 燔祭の ほのおも知らず 若人の 謳いし姿 絶える勿れと

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