第十一段 ホテル

 長崎駅前に燦然さんぜんと輝くホテルといえばホテルニュー長崎が有名であるが、その中で私が愛してやまないのは「ケーキブティック」さんの菓子である。長崎を代表するホテルである以上それぞれの分野で確かな料理をいただくことができ、そちらを紹介するのが王道であることは十分に承知している。しかし、そのような雑多な思考も「クグロフ」の偉容いようを前にしては綺麗きれいに消し飛んでしまう。

 このケーキブティックさんのクグロフは洋酒を帯びたレーズンの導きに合わせて、しっとりと焼き上げられた生地と芳醇ほうじゅんなシロップが口中に広がる逸品いっぴんである。大きさはたしか二種類あったのではないかと思うが、シロップの潤沢じゅんたくさを考えれば大きい方しか眼中になかった。王冠を模して造られたというこの菓子は頭に乗せてみても堂々たるものであったが、その大きさのものを学生の頃の自分は一つ平らげていた。今思えば恐るべき食欲なのであるが、それが幼さというものか。こうした甘味を店の置く様というのは、様々な菓子文化を受け入れて成熟を果たしてきた長崎の生き様の縮図ではなかろうか。


 菓子食わば 良しと唱えて 王冠の 散りし歴史を 眺むクグロフ


 これに対して、同じく「ニュー」の名前を冠したホテルニュータンダは大浦に面し、古き良きホテルの面持ちを残している。穏やかな塩の眺め、石畳を踏みしめた後のこの在り方は長崎を堪能するには十分な舞台装置となるに違いない。この近くにグラバー園もオランダ坂も大浦天主堂もあり、中心地へのアクセスが良いとなれば立派なものであろう。

 しかし、私が知るこのホテルの在り方は、そのような観光地を巡る外の客に対してのそれではなく、地の人に向けたサービスである。土日のランチタイムにはバイキングの提供をしていたのであるが、幼少の私はそれを何よりの楽しみとしていた。母からの白眼視はくがんしを受けながら父と出かける昼下がり。廉価れんかなピザをご馳走ちそうと思い、無心に頬張ほおばったあのとき。その合間に見せる父の満面の笑みに不思議と奇妙なものを感じた幼少期。全てがメルヘンチックに進んだ時間と空間は、それでも、私が大人になるまではその真の姿を微塵みじんも見せようともしなかった。

 その威容いようで以ってきばいてきたのは、私が成人を迎えた時であった。父はその一室を借り受け、その場での会食を行ったのである。背広姿の私は居並ぶ食器に圧倒され、縮こまるよりほかにない。横でたいの香草焼きを食べる母に緊張の色はまるでない。ワインをあおる父の姿にいつもとの違いは全くない。

 ないない尽くしで迎えた私の成人であるが、その様を眺めていた給仕の思いはどのようなものであったろうかと、今にして思う。あくまでも陰に徹したかの男性は、熟達した間合いでサービスを提供してくださった。そのような場が当時は残されていたのであるが。

 その後、私が就職してからはここを父と二人で訪ねるのが一つのならわしとなった。幼少期の頃のようなバイキング形式での提供ではなく、長崎のホテルとして一定の格式を持ったランチは成人の頃の思い出をしのぶには相応ふさわしいものであった。こうした場での食事も就職してからは多少なりとも慣れてきたように思う。対する父はグラスビールをいとおしそうに飲んでいる。若い頃には一升いっしょうを平然と飲んでいたという父が少し小さく見えたのは、天井がやや高いせいだろうか。私も父もいただくものもすっかり変わり果ててしまったが、赤い絨毯じゅうたんの先には笑う幼子の姿が見えるような気がする。そして、帰省のたびに異なる姿を見せる大浦海岸に在りながら、このホテルは私に微かな安堵あんど感を与え続ける。


 父の背は 未だ遠しと 子は笑う 柱のごとき ホテル眺めて


 もう四年は訪ねていないが、次の来崎らいさきおりには一人で立ち寄ってみようかと思う。

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