第十二段 路面電車

 広島で路面電車を降りようとして、

「お客さん、足りませんよ」

「ああ、そうか値上がりしたんだった。前のワンコインが安すぎでしたからね」

「いや、まだ足りませんよ」

「あ、ここ、長崎じゃなかった」

このような恥ずかしい思いをしたのも、もう七年はさかのぼることとなる。


 長崎は路面電車が走る街として有名であり、路面電車を抜きにして長崎を語ることはできない。ただ、路面電車自体は様々な土地にあり、我が青春の地である広島も、安住の地である熊本も軌道きどうが堂々と車道を貫く。車両もそれぞれが特徴を持っており、そこに大きな優劣はない。しかし、長崎にとって路面電車は大動脈であり、その役割の大きさは他の追随ついずいを許さない。特に、長崎における天候悪化の深刻さを計ろうと思えば路面電車が運航しているかどうかを確認することが最適である。実際、大雪の日にいち早く運行したのは路面電車であり、高校時分に家から離れた最寄りの電停まで歩き、何とか登校しようと試みたものである。そして、可能な限り市民と寄り添おうとするその姿勢は原子の雲に覆われた後も同じであり、僅か三か月で運航を再開させた。これは広島電鉄の早さと比べると見劣りしてしまうが、従業員死者数の割合の高さや車掌の不在という状況を鑑みれば、その偉大さに変わりはない。以前、当時を知る方から話を伺ったことがあるが、今の市役所の近くを通る姿を見て安堵あんど感を覚えたという。


 また、冒頭の小噺でも分かるように、長崎の路面電車の運賃は安い。特に、大人百円という料金になってからは二十五年も値上げを行っていない。消費税の導入や引き上げの際も十円の値上げは便乗値上げであると自らを断じてその値を守った。私が長崎を発つ二年前に百二十円への値上げが行われたが、いきどおりよりも強い安堵あんど感を覚えた。今では百三十円となっているが、未だに全国でも統一運賃の最安値の座を守り続けている。


 さて、実際に路面電車に乗って市街地を行くと、長崎もそれなりに広いような錯覚を覚える。それは緩やかな運航によりもたらされる効能であり、街並みの移ろいを眺めるのには丁度良い。そして、交わされる言葉の中に長崎のなまりが混じれば、他所よそから来た方には旅情を、地の人には日常を与える。修学旅行や海外旅行の方も多く、長崎が江戸の治世に抱えていた異国の風は今なお形を変えてこの電車の中には保存されている。


 その一方で、この路面電車の走るところを超えてしまえば、長崎の市街地は途切れてしまう。学生の頃に書いた随想で、その一端の蛍茶屋ほたるぢゃやが地の果てであったと書いたのはそうした感慨によるものである。特に、蛍茶屋ほたるぢゃやには祖父母の墓があり、その先に日見峠くにみとうげ相俟あいまって私に寂寥感を感じさせずにはいられなかったのだろう。私自身も別の終点である正覚寺しょうかくじ下電停を過ぎた先に住んでいながら。


 こうしたことを考えながら一昨年、蛍茶屋ほたるぢゃやより乗っていると、市民会館、めがね橋、浜町はまのまちアーケードという聞き慣れぬ単語が次々と舞い込んできた。慌てて調べてみると、電停の名称が夏に変更されていたという。確かに、長崎公会堂も今はなく、めがね橋やアーケードという単語は他所よそから来た方にも分かりやすい。長崎に住んでいた人間からしても、中島川なかしまがわに並んだ橋を指して、どれが賑橋にぎわいばしかと問われれば、困惑を隠すことができない。利便性、という三文字は大切である。


 しかしながら、と思う部分もある。幼少のころに浜町はまんまちを過ぎて賑橋にぎわいばしに差し掛かる頃、乗り合わせる方々も淑女ばかりになると一種の高揚を覚えたものである。それも今は昔。石畳の上を揺れる電車の声に耳を傾けながら残るその味わいを私は楽しむこととした。


 席を立つ 心の名残 惜しみつつ 今日も電車は チンチンと鳴く

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