第六段 中島川

 長崎で最も散策しやすく、最も彩の深い場所といえば中島川なかしまがわ界隈かいわいであろう。海と山に包囲され、ふと、坂を下れば海に着いてしまうような街にとって川は貴重な存在である。ことに次々とつらなる橋を持つ川など長崎には他に存在しえないのではないか。

 この中島川沿いには魚河岸が存在し、漁村から栄えた街を長らく支え続けた。それが大正時代には長崎駅の近くに移り、今では三重漁港として山を越えた先にまで場所を移してしまった。設備はそちらの方がいいのであるが、往時おうじ盛況せいきょうが拝めないというのは少し物さびしさを感じさせる。身近であった死を病院や老人介護施設という名の箱の中に緘封かんぷうしたようなものさびしさを。

 今の中島川はつらなる橋の中でも眼鏡橋めがねばしをめがけてやって来る観光客が多い。話によれば眼鏡橋の周りにいくつかハート形の石があるそうで、それを探す方も多いとのことである。何やら書き方が他人事になっているが、私自身は探したことはないのでいたし方ない。女性でも連れて一緒に探せば話も変わるのであろうが、三十路みそじを過ぎた男が一人でそのようなことをすれば道化どうけである。それに、そのような石を探すよりも赤提灯あかちょうちんを探した方がいくらか呑兵衛のんべえには建設的でもある。

 ただ、中島川沿いは長崎でも高低差が少ない場所であり、歩くと非常に心地がよい。長崎は路面電車が市街を縦断しているため頼りがちとなってしまうが、諏訪すわ神社から浜町はまのまちまでく際にはしばしば利用した。ひとつ通りに入れば商店街もあり、その華やかさも楽しい。特に老舗しにせの菓子店が多く、幼少の頃は香砂粉こうさこ懐中汁粉かいちゅうしるこを母にねだっては、家に帰ってほくほく顔でいただいたものである。饅頭まんじゅう店の唐灰汁粽とうあくちまき柏餅かしわもちもまた、琥珀こはく色に光る思い出である。有名な店に眼が行きがちであるが、こうした誇りある菓子店もまた素敵なものではないだろうか。

 これらの菓子店のもとは、往時おうじの街のにぎわいを髣髴ほうふつとさせるが、それと同時に寺町との関連性を私に想起そうきさせる。宗教戦争の名残なごりは今でもここにあるのだ。

 さて、平成最後の秋の訪問にて、私は当然のようにこの中島川界隈かいわいを散策したのであるが、そこにできた物産館を認めるまでに時間はかからなかった。方言や歴史に関わる書物、陶器の類に酒や記念品と観光地長崎を前面に押し出した品々は、見ただけで私に嘆息たんそくを促す。砂上の楼閣ろうかくを愛するのは何も小さな子供だけではない。ただ、丈高たけだかにに振舞うそれらの品々は、かえって長崎の現状をつぶさに示し、この先の歴史のさびしさを示すかのようである。

 一方、鎖国の頃より長崎の工芸を支えた鼈甲べっこう細工ざいくの店がこの界隈かいわいには悠然ゆうぜんと、しかし、静かにたたずんでいる。伝統というものはかくるべしという声がその門構もんがまえから聞こえるように思うのは感傷が過ぎるだろうか。

 では、この川沿いを貴様は何を楽しみにくのか、というおしかりの声が聞こえてきたために白状すると、呑兵衛のんべえの理論でございという答えに辿たどり着く。そもそもが、何か特別なものを求めて観光するような場所ではなく、長崎の市井しせいの姿をたのしむためにある場所である。それこそ初秋しょしゅう、早い時間に一杯ひっかけてから小一時間ほど歩き回ろうものなら、これ以上の至福しふくはない。それこそ、先に挙げたような店で甘いものを買って帰り、酒で火照ほてる身体に収めて茶で一日をじることを夢想むそうするのは、もうたまらない。初冬に人の往来おうらいが少なくなったのを感じながら、草木の変化と川の表情の移ろいをながめるなど最高である。

 長崎のす「さるく」とは本来このような散歩のことを指す。街を無為むいに歩き回るというのが、我々のいきなのだ。


 このよいは 余威よいまかせて い人の 色香いろかに酔いを おぼたのしさ


 浜町はまのまちにぎわいと諏訪すわノ森の神秘との対比がよりこの地のたのしさを増す。

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