第七段 ふたつのおでん

 この宵は コンビニおでん コップ酒


 全国に五万店以上の販売網を持つコンビニエンスストアはその主力商品の一つとしてレジのそばにおでんを置いている。少し寒い日のもう一品や晩酌ばんしゃくの手軽な供としてはこれ以上にないものである。それこそ、独り身で自らの心を切り身にした企業戦士にとってその温かさは僅かに無聊ぶりょうなぐさめるものとなる。しかし、やはりそれは浮世を凌ぐ仮初かりそめの宿。できれば店で味わいたいものである。


 そうした希望を叶えてくれるものの一つが屋台なのであるが、そうなると福岡に行くこととなる。長崎にも屋台がないことはないのであるが、以前から見かける店は怪しげな雰囲気を放ちすぎており入りづらい。そのため、そこへ飛び込むより先におでん屋を見つけたのであった。


 その店へ向かうべく銅座どうざ界隈かいわいくと、どうしても小路を覗き往時を偲ぼうとしてしまう。既にその店がないことは分かっているのであるが、陽炎を追う漁村の童のように純粋な思いでその幻を覗こうとするのである。


 その店の名は田村といい、老女が切り盛りするスナックであった。このような店に小学生の鼻垂れ小僧を連れ出した私の両親の豪胆というのはやや理解しかねるところがあるものの、ここの「マスター」が出すおでんは子供ながらに楽しみであった。それこそ、よりうまい店はこの日本には数多あり、その中では小さな輝きであったのかもしれない。それでも、人の情欲が織り成すネオン街の中で、憂さに塗れた男達の集うネオン街の中でこのような甘い旨味がもたらす安らぎは格別であったろうと思わずにはいられないのである。未だにその小路は残っており、女性のもてなしは受けられるのであろうが、その燦燦さんさんたる輝きは私の目にはまぶしすぎる。


 日の沈む 音を合図に 踊りだす

   欲目と胸に 霞む大根


 銅座どうざから思案橋しあんばしに抜ける小路の中の一つに私の通う桃若がある。長崎駅の近くにも同名の店があるが、私の河岸かし銅座どうざの方である。学生の頃から通い始めたこの店は当時から大将と女将さんと若旦那の三人で切り盛りされている。客層は様々なのであるが、流石に初めて縄のれんを潜ろうとしたときには心の臓が飛び出しそうになるほど緊張したものである。その遠因となったのが店構えであり、日本風の家屋をそのままに残したその姿は呑兵衛の幼児には威厳に満ち溢れていたのである。それが呑兵衛の子供ぐらいには成長した今となっては感じることができない斬新な感動であるため懐かしい。ただ、そうした緊張感を全てなくしたのはこの店の明るさであった。


 広いカウンターが占めるこの空間は、常に活気に満ちている。その明るさの源はお三方の接待であり、来るたびに今はなき実家を思い起こされる。決して家にいるような据えた生活感があるわけではない。中央に鎮座するおでん鍋のように何人でも受け入れてくれるような雰囲気がそうした錯覚を呼び起こすのである。こうした賑わいは大衆酒場でも小料理屋でも得難い。


 さて、ここに来て初めに頼むのは真冬であれば燗酒であるが、そうでなければサッポロの白ラベルが多い。今は高級志向の麦酒や淡白な味の麦酒が隆盛を誇っているが、こうしたおでんと飲むのであれば白ラベルの落ち着きながらも豊かな味わいが好ましい。食に関しては自由極まりない。大根と玉子の出をどこにするかを連歌の月と花の出に等しく悩みこそするが、それを除けば心向くまま気の向くままである。燗があれば銀杏からであろうか、蒟蒻こんにゃくにご登壇願おうかなどと考えながら談笑に交じりつ眺めつやるのは至福である。


 宵深し 笑う声満つ 店に在り

   琥珀こはくの空に 浮かぶ望月もちづき


 二つに割った卵を口に入れつつ、かの老女の在り方を思うものである。

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