第五段 喫茶とカフェ

今、長崎のアーケード街を歩けばいたるところにカフェが目に付く。廉価れんかで気軽にコーヒーを飲むという一点に絞れば、これほどまでに恵まれた時代はなかったであろう。全国展開の店は設備も揃っていることが多く、明るいシックをまとったその在り方は、それだけで現代の若者の心を掴むに十分である。

 その中で異彩を放っているのはオリンピックという喫茶店である。本来の分類上はレストランなのかもしれないが、私の中ではあくまでも甘味とカフェのお店として記憶に刻み込まれている。特に、何に触発されたかは分からないが、一メートルを超えるパフェなどの巨大メニューは若者の射幸心しゃこうしんあおり、全国放映の番組でも紹介されているほどである。私もこの店で大きなパフェを食べたことがあるが、その頃はまだ身の丈の半分以下の長さが一般的であったように思う。一時期は先鋭化を続けていたこの店は、いつの日か私の背丈を越える一品を繰り出すかもしれない。

 ただ、この店は残っている中では非常に強い光を放つが、喫茶としては私の記憶の脳裏のうりに残るには至らない。最大の繁華街であった浜町はまのまちを歩き回って買い物に興ずる、通称浜ぶらの果てに至る休息の地とは決定的に異なるのである。そうした店はよもや失われたと言わざるを得ない。だからこそ、その残像を現世に映すのをここで許されたい。

 長崎のアーケード街はその昔、大丸デパートを望む十字路にて交わっていた。大丸が撤退した今では、大手ハンバーガーチェーンがにらみを利かせるが、その凄味すごみは比べるべくもない。その威厳は幼少の腕白わんぱくな私を飲み込むには十分であり、子供の頃からその中に入るとたちまち瀟洒しょうしゃな人形と化したほどである。とはいえ、幼児のころは先のハンバーガーの店も好奇の対象であり、初めて父に連れられた時には、善悪の彼岸に立たされたような、妙な興奮に包まれたものである。

 さて、話を戻すと大丸の地下には珈琲コーヒー豆を販売する店と喫茶を併設した箇所かしょがあった。店の名前も店員の姿も今では記憶の彼方かなたに消え去ってしまって思い出すことができない。しかし、今でも思い出すのは、母に連れられて買い物に出た帰りに寄り、わずかに談笑を交わしながら珈琲コーヒーたしなんだ記憶である。ここで私は珈琲コーヒーの味を知った。美麗な装飾もなければ豊富な品書きもなく、単純かつ平凡な珈琲の中に当時の私はり方を示されたように思う。周りも淑女しゅくじょばかり。喧騒けんそうという砂漠にいたオアシスだったのかもしれない。


 灼熱しゃくねつと 砂漠の果てや 蜃気楼しんきろう 今を彷徨さばくう 亡者もうじゃの群れの


 そう、喫茶といえば母との記憶がいやおうもなくきだしてくる。贅沢ぜいたくを除き質素しっそに甘んじた母は、その合間に喫茶をたのしんだのであるが、私が高校や大学に進むとそれに付き合うことでひと時を過ごすようになった。ひどく耽美たんび的で官能かんのう的なその時間は今でもセピア色に輝くのであるが、その舞台は先の店と長崎の老舗しにせの喫茶店であったウミノであった。

 ウミノは浜町はまのまちアーケードでも吉宗よっそうに近く、ここを越えれば中島川へと向かう道に続く。その浮世うきよと現実との境目に在るのがこの店であり、昼でも照明の少ない店内はアラビアの夜を思わせるに十分な香りを出していた。店はやはり、紳士しんし淑女しゅくじょが占めている。その中できょうされる私の友ウィンナーコーヒーは、その呼び名を変えてアインシュペンナーとされていた。これで、子供は悩殺のうさつされる。そして、もう一つの圧巻あっかんはアイリッシュコーヒーであり、珈琲コーヒーに酒が入るという背徳はいとく感に背筋せすじが震える程のえつに浸った。ここで私は、大人の味を知った。


 須臾しゅゆとして 震えし我が身を 照らし出しつ 琥珀こはくの奥に 眠るり方


 三十路みそじとなって佐世保に寄った際、今も残る系列のカフェを目にしたが、その輝きは小娘のそれであった。

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