第四段 寺町と赤寺

 長崎の話を始めると、必ず取り上げなければならないと感じるのは西洋と日本との宗教対立に関してである。二十六聖人やふたつの天主堂などキリスト教に関わる話は非常に有名であり、弾圧の歴史を恥ずべきものとして考えさせられる。しかし、物事の裏側には常に別の顔がひそんでいる。禁教令を敷いた江戸幕府がどのようにカトリックと対し、それを当時の禁教のではなかった人々がどのように過ごしていたのかという点である。

 その在り方のひとつが寺町の存在である。長崎のさかり場の一つである浜町もアーケードを抜けてしばらくすると、寺が並ぶ一角に差し掛かる。この界隈かいわいが寺町であり、この狭い範囲によくもまあこれほどの仏閣を並べたものだと感心する。そして、その裏手の斜面を眺めればうようにして墓地が並んでおり、この地もまた長崎を作り上げた名所であることを思い起こされる。

 この中でも私にとって最も馴染み深いのは祖父母の墓のある晧台こうたい寺であり、その山門の前にたたずむだけで童心を呼び起こされる。これは思わず駆け出したくなるような境内の広さと石で舗装された道によるところが大きいが、併設されている幼稚園にも要因がある。宗教法人が学校などの子供を預かる施設を持つのはよくあることであるが、この幼稚園のように揺りかごから墓場までを物理的に体現されると考えさせられる。幼少の頃、両親に連れられて先祖の墓に手を合わせ、長崎ではよくみられる竹線香を備えた記憶は既に遠い。それでも、その地に並んだ世代は一つ海へとかえり残るは自分だけと考えたとき、この地と歴史を継ぐという重みを知らされたのである。

 この地が長崎の中心にあるということは、それをこの地に住む人々が等しくごうとして背負わされたということであり、同時に、長崎の心のの一つが寺町てらまち界隈かいわいであると言い換えられるのかもしれない。


 墓守はかもりは 遊び疲れて 午睡ごすいして いずれ至りし 揺りかごを見る


 この辺りには幾筋いくすじもの坂道があり、ここを越えれば風頭かざがしらまで至ることができる。高低差のない地図を見てみればそれこそ一跨ひとまたぎで行けそうな距離である。ただ、そこは斜面都市である長崎。階段の途中や坂の途中で後悔しても遅いため、歩こうとされる方は重々覚悟を決めておくことをお勧めする。特に、下から亀山社中跡へ行くのは十分にご自身の体調と筋肉痛への備えをされた方がよい。

 さて、この寺町でもう一つ長崎らしさをのこすのは、赤寺と呼ばれる中国仏教の影響を受けた寺院である。その中で最も有名なものは正覚寺であり、長崎の路面電車の終着地としてその名をとどろかせている。加えて、史跡としての価値も高いためここを訪れる方は多いようである。

 それに対して、同じ赤寺でも興福寺の方は奥まったところにあるためか、県外での知名度は低くなってしまう。しかし、この赤寺は面白く、なんといっても住職の人柄とそのイベント好きという意味での商売人気質きしつが彩を濃くしている。単純に金を儲けようというのであれば拝観料などをよりシビアにしたり、宣伝をより広く行ったりすればよい。しかし、そうしたいやしさが見えるよりも、ここで開かれる催しは参拝者をたのしませようという気概きがいの方が見えてくる。それに、町の喧騒けんそうからより離れている分、境内を静かに見て回ることができる。それこそ、中島川沿いを散策した後に寄れば、それだけで安らぎが得られよう。

 そして、この興福寺のもう一つの特色は鐘が「出征」していないことである。戦時中の金属徴発ちょうはつで旅立ったこの寺の鐘は今も帰ってきていないのだ。この話を住職がされる度に、私は原爆だけでは語ることのできない長崎の戦争に思いが飛んでしまうのである。


 現世げんせいの 苦を掃わんと 生まれし身 海の銃後じゅうごに 何をうれえん

              

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