第二一段 菓子の彩り

 シュガーロードという言葉があるらしい。長崎を出てから初めて聞いたのであるが、交易の中心地であった長崎には多くの砂糖が集まり、故に個性豊かな菓子文化が宿場町には栄えたという。観光資源は何でも利用したいという現代のさもしさを見るようであるが、確かに長崎にとって菓子は欠かせぬ生活の一部である。

 少し話を逸らすと、長崎の料理は基本的に甘い。今は全国的に味の均質化が進んでいるため以前ほどの強烈な印象を受けることはなくなったが、それでも、伝統的な料理は砂糖をふんだんに使おうとする。これは、長崎なりの「おもてなし」の精神であったのかもしれないが、生活習慣病が頭をもたげる現代においてはいかがなものか。そう言いながら、角煮を作ろうとするとそれなりの甘さになってしまうことが多々あることから、私もまた長崎を離れられずにいるのだなと苦笑せざるを得ない。

 さて、話を戻すとこのシュガーロードなるものの起点である長崎で最も知られた菓子と言えばカステラではなかろうか。卵と小麦粉と砂糖ないしは水飴をふんだんに使い、それこそ江戸の時分には贅沢な品であったことだろう。今でも贈答品や土産物として人気が高く、少し特別な品として君臨している。季節の品として「桃カステラ」があるが、これはカステラ地の上に桃を模した砂糖細工が施された一品であり、祝いの席や節句などに表れてはいじらしい。ただ、砂糖の重奏に慣れぬ方には悶絶し得るほどの甘味だそうで、安易に勧めぬようにはしている。また、長崎ではカステラの切れ端も売られており、私の母などは通信制大学のスクーリングの際にこれを鞄に詰めて昼食代わりとしていたらしい。一方、小学二年生の私はカステラを苦手としていた。祖父の死後、手を合わせに来られた方が悉くカステラを供え物とされ、それがおやつに供され続けたためである。過ぎたるはなお及ばざるがごとしということか。

 長崎でもカステラといえば文明堂と福砂屋のものが有名で親しまれているが、我が家で福砂屋といえば手作り最中が持て囃されていた。餡と最中が別々に包まれていて、それを好きに合わせていただくのだが、この一番の楽しみは余った餡をそのままいただく瞬間である。まるで殿上人にでもなったような気分で悪さをするのだが、最中の皮もまたたまらない。後は兄弟喧嘩が起きぬように気を配るだけなのであるが、甘い物好きが揃えば容易に戦の火は立ち上ったものだ。

 一方、文明堂総本店ではさざれ菊が何とも嬉しい。子供の頃は食感が合わなかったのかあまり好んで口にしなかったのであるが、煎茶と共に口に含んだ時の独特の食感もあり、今では好物の一つである。否、それよりも長崎に在ることを実感させられる。そして、三笠山のどら焼きは今も昔も変わらず好物であり、水ようかんは今も昔も憧憬の的である。

 洋菓子でも長崎は独自の商品を多く抱えるが、手軽でありながら特別な味がするのはニューヨーク堂のアイスクリームである。特に、アイス最中を一つ買い求めて中通り商店街を歩くというのは、何とも良い心地である。

 そして、中通り商店街で懇意にしていたのはくろせ弘風堂であり、幼少の頃からここの餡入り口砂香こうさこは無二の好物であった。これは落雁で餅米を用いるところを粳米で固めたものであり、口に放ると雪のように解けて身体を幸福で満たしてしまう。祖父の好物であった千代香と合わせて母に強請り、それを熱く濃い煎茶と共にいただくひと時というのは、未だ以って夢に見る。


 時を経て 街並み顔ぶれ 皆変わり さりとて同じ 菓子の彩り


 今なお、菓子を求めて訪ねるのだが、態々名乗ることはない。向こうも姿形の変わった私とは気付くまい。さりとて、ここでの私はどこかショーウィンドウを見上げる心地がする。




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