第二十段 斜面都市

 長崎といえば坂道を想像される方も多いだろうが、その中でもオランダ坂は広く知られた坂であり、案内された観光客の多くが何とも言えない表情をされる坂である。映像で見る限りは美しいのだが現実はかくも厳しいものかという思いにさせられつつ、案内された手前落胆を見せる訳にもいかぬという葛藤から成るであろうその顔は傍から見ると面白い。カトリックとプロテスタントの学校が向かい合っているというマニアックな楽しみ方もあるにはあるのだが、流石にそれを求めるのは酷であろう。この後猫の額の中華街でより落胆を深めねばいいのだがといらぬ心配をするとともに、長崎に特別な坂を求めるのは無理があると思ってしまう。

 長崎は斜面都市である。これは長崎を訪れた方の多くに納得していただけることだと思うのだが、和語で「坂の街」と表すよりも私は正確な言い回しであると考えている。こう言うとまた偏屈かと笑われてしまいそうだが、笑えぬほどに長崎には坂が多い。いや、坂に支配されていると言った方がよいだろうか。いずれにせよ、この斜面都市という言い回しを説明するには長崎の観光地と比較すると分かりやすい。

 長崎で観光地と言えば諏訪神社や出島近辺、浦上周辺と点在している。これに対して長崎の坂道や階段は浜町や大浦周辺を除いて随所に存在している。これを地図上に表すと塗り絵となり、故に斜という言葉が二重の意味で当てはまってしまうのだ。加えて、昔は県庁が長崎奉行所の跡地である坂の上に在り、市役所も坂で挟まれている。平地にある高校が女子高一つであるというのも、坂に支配された都市であることを証明するのに十分な説得力を持つであろう。また、平地の家賃はともすればより栄えている熊本や福岡よりも高く、少し安いなと思うところは坂の上に多い。そして、長崎の山肌には墓石が並ぶ。長崎の民は斜面と共に生き、斜面と共に眠るののだ。

 とはいえ、帰郷する度に腰を曲げて階段をゆったりと昇る老女を見ては、このあまりにも過酷な半島の姿に息を呑まされる。昔はケロイドの残る方が悠然と上っているのを呆然と眺めているだけであったが、私も離れて歳を重ねるにつれてその重みが身に染みるようになってきた。


 これがまあ 終の住処か 坂三里


などという狂句が出てきてもおかしくはないほどに、この急峻を越えるのは身体に堪える。そのため、移住を考えられている方には、今までほとんどお見受けしたことはないが、老後も過ごせるかを十分思案するように勧めている。今は階段用のエレベータのようなものがあるため、多少は緩和されているのかもしれないが、どこへ行くにせよ、坂を切り離せぬ地域に住むにはそれなりの覚悟が必要である。少なくとも、私自身は老後を斜面都市で過ごせる自信はない。

 そうした心情を察してか、長崎では平地を中心に再開発が進んでいる。西九州新幹線の開業に合わせて長崎駅前の姿が大きく変わったのであるが、それ以外の平地でも不釣り合いなタワーマンションの造成や商業施設の新設など、理解できぬほどの速さで街が変化している。今や県庁は長崎漁港の跡地に在り、かの市街地を見下ろすかのような尊厳の代わりに利便性というものを手に入れた。

 とはいえ、それを素直に喜ぶことができないというのは、私が天性の天邪鬼だからであろうか。長崎駅を出て北東を眺めると、二十三聖人を祀る小高い丘がある。そこは幼少の私の遊び場であった。牧歌的な坂の上の光景はこれからどうなっていくのだろうかという問いに、西山は稲佐山はただ無言で佇むばかりである。


 坂を行く 苦しみ知らず 楽しみも 知らずや何ぞ その歩を進む


 なお、長崎の平地は埋立地が多い。故に、大雨に弱いのだが、それが牙を剥かぬことを祈るばかりである。

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