第十六段 維新と三菱

 長崎に平時で観光へといらっしゃる方の中には、明治維新の舞台としての長崎を求めて訊ねられる方がいる。坂本龍馬が亀山社中を立ち上げ、長崎を拠点としたというのは当時の長崎の特殊性を考えれば当然の事であろうが、今の人間からすればよくもまあと思ってしまう。その実、亀山社中後を訊ねたことはないのであるが、地図で場所を確かめれば長崎に住んでいた身としては全てを察せざるを得ない。私が最も維新の風を感じられたのは風頭公園であり、小学校の頃の遠足で訪ねる度に目にした銅像に龍馬との繋がりを否が応もなく認識させられた。そこに歴史の知識が加わり、世界との玄関口という長崎の往時の幻想が加わって初めてその銅像の持つ本当の意味が胸に落ち着いた。長崎が時代の最先端を走っていた歴史があるというのは、今にして思えば皮肉でしかないのであるが。いや、老衰の速さを考えれば再び長崎が日本の先端を行く存在となるのかもしれない。

 ただ、長崎が時代の先を行く街の座を降りてからも、維新の影響を受け続けることになる。それは、財閥三菱の存在であり、長崎は三菱重工長崎造船所の企業城下町として長らく繁栄を共にし、そして、今は斜陽を共にしようとしている。

 ――新興住宅街ダイヤランド

 幼少の頃、バスターミナルで見た目的地に何度目を輝かせたものか。厳つい漢字の中を颯爽と抜けるカタカナは、見慣れたバスをまるで異界に続く天馬へ変える。辿り着いた先に並ぶ家々も、どこか浮世離れした面構えをしていた。いや、単に団地や住宅街というものに馴染みがなかっただけなのだが、しかし同時に、聞こえてきた子供の声は確かに鮮やかであった。

 それが学生時分には老境に差しかかった町となってしまっており、ポスティングのアルバイトをしながらかいた汗が、果たして暑さによるのかそれとも別のものなのかとんと分からなくなってしまった。そして、最後に訪ねた時には従姉妹の姿と街の姿が重なり、自然と目頭が熱くなるのを感じた。

 日本の造船業が坂を下りつつある頃、鶴の港はダイヤモンド・プリンセス号の建造に沸き、その最中の火災に嘆いた。結果として姉妹艦として建造されていたサファイア・プリンセス号と名前と立場が交換され、就航することとなる。中学生の頃に見たこの悲哀は、しかし、維新から続く長崎の上げた打ち上げ花火であったのかも知れない。それとも、今と二十年前とでは「久し振りの大型造船」という言葉の持つ意味が変わってしまったのだろうか。

 そして、コロナ禍の初めに注目されたこの船が長崎より漕ぎ出だした金剛であることに想いを馳せた方がどれほどいるのだろうかと思うと、浮かんでくる斜陽の港は切ないほどに眩い。シブヤン海に眠る武蔵の影は最早遠く、さりとて、思いの外近しいのかも知れない。


 輝きを 永遠にと願い 西日差す 港に掛ける 女神大橋


 維新の志士が船出したこの港の両岸は、長らく工場へ行き来する戦士にとってあまりに遠い道のりであった。それを解消すべく新たに設けられたのが女神大橋であり、戸町と福田とを直接繋いでいる。どこでも朝な夕なの渋滞は日常茶飯事なのだろうが、それが幾分か改善される名差配であった。惜しむらくは、これがより早い時期よりあればということであるが、新たな動脈が南に走ったことで何かの拍子にまた賑わいが戻るやも知れぬ。そうした他愛もない夢を見ながら、しかし、途方もない夢がこの地から飛び立ったことを思えば否定できない心持ちとなる。その時、ダイヤランドから望む工場群はどのような姿をしているのか。

 と、この一節を書いているところで香焼工場の売却の話を知った。若者どもが夢の後とならぬことを切に願うばかりである。

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