第二段 港町に生きる

自分の悪い癖として、どうしても余談へと走ろうとしてしまうところがある。だからこそ、長いエッセイを書く場合にはそうした気分を程よく抜いておくか、もしくは予め待避線をいておくかの二択に迫られる。無論、このような話は隠して進めることで完成された一編を見せることもできる。ただ、今回は長崎の地に関わる話を書いていくことでそれに代えることをここに記しておく。


 長崎の地は元々小さな漁撈ぎょろう集落が点在した実に貧しい地域であった。平地が少なく山並みに這うように住むしかなかった頃はそれが当然と言えば当然であっただろう。それが一変するのはポルトガル船の来航と江戸時代の対外貿易制限政策、いわゆる鎖国の成立による。日本が清と阿蘭陀オランダとに開いた出島をここに作り、ここを天領として幕府の直轄領としたから情報集積と商業の中心の一つとして成長していくこととなる。そして、その素養は幕末に受け継がれて亀山社中の成立から財閥三菱「城」の建立までを助けることとなる。そのいずれにも寄与したのは長崎市の中心部を大きく抉る港であった。


 鶴の港――それが長崎港に与えられた敬称である。と、長崎市のパンフレットに書かれていたことがあり、また、水産に関わるものにこの名前が引き継がれているという事実もある。母校である長崎大学の水産学部が有する実習船には鶴洋(かくよう)丸という物があり、旧水産高校は鶴洋高校と名前を変えた。また、私の普段は使わない雅号は鶴崎。故郷を離れて暮らすようになった私が唯一残すべきと考えた足跡をこの名前に込めた。長崎の鶴の港よ、常に平和を保ち明るく在れ、と。まあ、自分語りなどどのようでもいいのであるが、それほどまでに長崎の人間にとって港と坂が間近にあるのはごく自然なことなのである。


 だから、長崎の人間は自然と港町に生きているといっていい。別段、平素から舟をって生活し漁撈ぎょろうによって生業なりわいと成す、といった極端な生き方をしているというわけではない。ただ、水辺を歩くことに何の違和感も覚えないというだけで十分に特異であり、日常的に難なく港を見ることができるというのは港町を名乗るに十分である。この思いは住処を移るにつれて強くなっていった。


 神戸もまた海に近く開国によって港としての機能を強化した。しかし、港と枕を共にするというには心の距離が遠い。繁華街はあくまでもそれよりも内側となってしまうためそこに息づくという感覚は薄い。そこにあるのは人の声よりも倉庫と企業の拠点ばかりである。これは港湾地区と言うべきか。


 広島は市街を縦横無尽に河川が駆け巡り、壮麗な水の都と言っても過言ではない。ただ、それは川の中州としての意味合いの方が強く、港町により近いのは呉市の方であろう。呉市は日本でも最たる軍港である。


 徳山(現周南市)も繁華街が海に近い。ただ、駅を挟んで海の方は人の住む港町というよりも瀬戸内工業地域の石油化学コンビナートの荘厳そうごん楼閣ろうかくというべきである。


 そして、熊本市は港を望むべくもない。私はいずれもいい街を住処としてきたのではあるが、原風景とも言うべき、人の活気が港に面した都市から遠ざかっているというのでやや寂しさを感じることがある。時に、無性に海を眺めに行きたくなることがあるが、その先には出立の時に置き去りにした一羽の鶴への憧憬どうけいと感傷が悠然ゆうぜんと横たわっている。


 身を変えて 恩を返した 鶴の海 異郷に一人 あればこそ思う


 この一節を書きつづりつつ、蝋燭ろうそくが消えゆくのを感じ慌てるものである。

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