第十八段 失われたサウナ
子供の頃から思案橋が夜の街であり、大人にとっての「遊び場」であるということはどことなく理解していたように思う。それが花月をはじめとした花街に端を発するものであるというのが分かるのは、そうした男女の営みの意味を理解した高校生の頃であったのだが、幼少期から丸山公園の辺りに行くことはどことなく後ろ暗い思いがした。浜町を一人で歩き回ることに何の抵抗もなかったにも関わらず、この界隈は一種特別な存在であったのだろう。
そのため、なぜ私がその奥の方にサウナがあったという記憶を持っているのか腑に落ちないのであるが、確かにこの界隈にはサウナがあった。もしかするとこの街の入り口付近にあったサウナと混同しているのかもしれない。もしくは、何かの折に連れられて近くを通ったのかもしれない。いずれにせよ、街中にあったはずのサウナは私が酒を嗜むようになる頃には失われており、それを知った私の喪失感というのはいまだに尾を引いている。
先に断っておくと、私は別にサウナが好きという訳ではない。むしろ、蒸し風呂に入るようになったのは最近のことであり、当時の私はサウナ自体に興味があったという訳ではなさそうである。故に、この喪失感というのはあくまでも象徴に対するものであり、だからこそ私の心に根深く残っている。
話を戻すと、銅座からサウナが失われたというのを知ったのは学生の頃であり、その頃の私は赤線地区であろうと構わず行くようになっていた。無論、夜の街も闊歩する。その際に酔いに任せて思い出を辿ろうとしたのであるが、どうやっても見つけることができず、初めは困惑し、やがて寂寥感に苛まれた。歓声とネオンサインとひどく鼻につく香水の香りの中で感じたものは、夜の街に何とも不釣り合いなものである。辺りを見渡せば、何とも若者が少ない。いや、それ自体は周りの店がそうした
ここまで読まれて、なぜ歓楽街にサウナがあるのかという疑問を持たれた方もいらっしゃるのではないだろうか。同年輩にこの話をした際、スーパー銭湯のサウナではいけないのか、それ程サウナが好きなのかと首を傾げられたものである。
しかし、夜の街のサウナは単純な温浴施設ではなく、飲み疲れて帰る手立てを失った者に寝床を与える役割を果たしていた。私も経験はないのであるが、いや経験がないからこそその話を聞いたうえで直面したサウナの消失は、私に不安を与えるには十分であった。
父が鬼籍に入ったということで長崎に戻った際、丸山にあるビジネスホテルを利用したが、旅館に比べると安いものの手軽に泊まれるような場所ではなかった。そもそも坂の上にあり、千鳥足で辿り着くには少々心許ない。タクシーを使うには遠すぎ、宿を得るのは勿体ないと思うからこそ存在した選択肢がこのサウナであったのだろう。歓楽街のサウナ兼カプセルホテルというものを私は熊本に移住する際に利用したのであるが、確かにこの値段であれば呑兵衛から重宝されたに違いない。
ここまで書いたところで、今はその役目をネットカフェが担っているのかと気づき思わず膝を打った。より手軽に飲んだ後の身を任せられる場所があるというのであれば、それに役目を譲るのは当然である。ネオン街から消えた蒸気に覚え不安が杞憂であったことに胸を撫で下ろしつつ、その情景に憧憬を覚えずにはいられなかった。
働いて 酒飲み騒ぎ 床に就く 企業戦士は 湯気のごと消え
ただ、浜町にあった最大のネットカフェが閉店して久しい。まだ一件は残っていたかと思うが、それが失われてしまった時の銅座の姿を私は想像することができない。
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