徒然なるままに~長崎の晩餐

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

序段~長崎の臨終

 所用があり二〇一八年十月の上旬に久方振りの帰郷を果たした。ちょうど長崎くんちが行われた後であり、街中にはいたるところに庭先回りの跡が残り、店には花御礼の札が鮮やかに並ぶ。そうした長崎の晩秋の風物詩が郷愁をくすぐる中で落日の街を歩んだ。

 木曜の夕暮れというのは必要以上に街を暗くする。人の往来をかしめ、酒場の暖簾のれんの鋭気をくじく。しかし、この日感じたそれはより絶望的なものであるように感じられた。


 夕闇や 長崎にぐ 鐘一つ


 短い時間に彷徨さまよっただけである。しかし、往来の人々になんと老いの多いことか。社会の教科書を彩る少子高齢化社会は少子高齢社会に変じ、今や超高齢社会への変貌すら遂げようとしている。字面の変化というのはそれだけで厳しい現実を示すものであるが、それを頭脳へ落とし込むにはやはり実感するしかない。過疎というのも同様であり、新聞の紙面上に見えるものは所詮しょせん客観という名の他人事でしかないのだと思い知らされる。人通りの少なさもさることながら私を圧倒したのは若人の少なさであり、店先にも客にも初老を過ぎた方ばかりが目に付いてしまう。老いが悪いというつもりはない。しかし、それが街を覆うようになればその先に景色は一つしかない。実家に住んでいた頃、山の斜面に並ぶ墓石がまるで手招きするかのように並んでいるのを思い出す。

 よもや長崎は死にゆく街となってしまった。なりつつあるのではない。一つの歴史を持った街は急激な老境にさしかかり、その時が逆行するとは考え難い。たとえ、何らかの幸運を得てこの町が生気を取り戻そうとも、その時に現れる街はかの長崎ではない。


 長崎と いう名は今も ここに在り あのあつきひの 燃える想いと


 人類史上最大級の惨禍さんかと地獄が覆いつくした一九四五年の八月九日。戦時ながらも日常があったあの暑かった日に、長崎は熱い火と放射線とに焼き尽くされ、瀕死ひんしの身となってしまった。それでも、再興した長崎は戦後六十年近くを経てその名を未だ燦然さんぜんと残している。その感動を高校二年生であった私は一つの歌として残している。今から十五年ほど前の話でしかないのであるが、その頃はまだ生気を溢れんばかりに残していた。この苦境を超えた長崎が老衰により静かな最期を迎えようとしている。この景色は私の中に眠っていたいくつかのものを呼び起こした。

 歩きながら何度も目頭が熱くなるのを感じていた。齢を重ねたためか以前よりも感情に弱くなったように感じる。ただ、それ以上に驚いたのは自分の身体の中に郷土愛というものが存在するということであった。大学を卒業する前から社会人として神戸を浮浪するまでの時間をかけて「長崎」を主題に随想を書き続けた。しかし、この「長崎」に関わる随想は自己愛の延長線上という側面が強かった。長崎という土地を料理して自分というものを描き出そうとしたのが主題であり、あくまでも「長崎」というのは脇役であった。その当時もまだ長崎はまだ生の余裕があると思っていたのかもしれない。

 今や長崎にその余裕はない。この待ったなしの状況こそが私の中に長崎への熱い思いを呼び起こしたのである。そして、その思いは物書きとして眠っていた自分を呼び起こすことにもなった。ただ、郷里に腰を据えて書いていくつもりはない。あくまでも、長崎を外から見つめつつ過去と現在の両面から描くつもりである。そうした意味では、今この瞬間に熊本で仕事を得られているというのは運命的である。そして、以前のおぼろな長崎ではなく、さりとて写実的な長崎でもない、


 長崎と いう名は今や ここに在り 四枚の紙の上 町のすみ


こうした長崎を書く。一つでも多くのものを遺せるようにしたい。

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