第18話 夜

 なかなか寝つけない夜だった。ようやくまどろみが瞼にかぶさってきたとき、突如、両頬を強い力で殴られた。チカチカとして、周りがはっきりと見えない。手首を乱暴につかまれてベッドから引きずり降ろされた。


 あんたが時計をちゃんと見ていないから、コトちゃんが幼稚園バスに乗り遅れた! あんたのせいで! あんたのせいで! 


 頭の上から金属の声が降ってきて、音は反響し、壁に溶けた。私は服を脱がされて、風呂場に立たされ、冷たいシャワーを顔にかけられている。それでもまだ、身体は眠く、重たいままだ。


 ごめんなさい、やめてください、ゆるしてください。


 言葉を発しようとするものの、口の中にどんどん水が入ってきて声が出ない。目も開けられない。と、水が止まり、ぼんやりと視界がひらけた。私はこわごわ風呂場の鏡を見る。

 そこに映っていたのは、私ではなかった。ぬらりと湿った毛の生えた、見たことのない、黒い生きもの。これは、誰? 鳥? いや違う、もっと醜い……ヒナだ。いや、足がない。手羽もない、ヘビだ。真っ黒いヘビ。これは、私? どうして、どうして私が……。


 目が覚めた。身体はびっしょりと汗をかき、枕とシーツまで濡れていた。今のが夢だとわかったにもかかわらず、私の歯の根はガチガチと音をたて、身体の震えが止まらなかった。怖い。この夜が怖い。怖くて怖くてたまらない。

 下段で眠る妹を起こさないよう、慎重に二段ベッドのはしごを降り、子ども部屋を出る。軽くふらつきながらトイレに向かう途中、両親の部屋のふすまがほんの少し開いているのに気がついた。私は誘われるように中をのぞく。


 はっ、はっ、はっ。


 弟が寝息を立てているすぐ横で、断続的に人の息の音がする。父の布団に人はおらず、母の掛け布団が盛り上がり、上下に、左右に、不規則に動いている。心臓が痛いほど波打ち、喉から飛び出そうになる。

〝あれ〟だ。父と母は今〝あれ〟をしている。なぜだ、どうして私は、〝あれ〟だとわかってしまうのだ。

 私は自分の「子どもらしくない」を呪う。サンタクロースが親だとわかってしまったときもそうだった。誰にも教えられていないことが、私にはわかってしまう。そういう自分が、恨めしい。私から「子どもらしさ」を吸い取っていってしまうこの理解という怪物が、心底憎くてたまらない。いやだ、いなくなれ、いなくなれ、いなくなれ。

 音をたててしまわないようハイハイの姿勢で後ずさりをして、トイレを諦めて寝床に戻った。マーくんとしたキスの感触が、生々しく脳裏によみがえってくる。それからヒロくんと、マーくんに見つからないようにキスしたときの、どうしようもなくたかまるあの興奮。私は布団の中でパジャマのズボンに手を差し込み、下着を上に引き上げて固定し、両脚を突っ張らせ、腰を前後に細かく揺らして股間をこする。ベッドの背板がキコ、キコ、ときしむ。下で寝ている妹が起きてしまうかもしれないと思うと、よけいに強い刺激を感じる。尿意に似た快感が下腹部を貫く。ぐい、もっと、ぐい、もっと、うううううん、あああ。

 頂点に達すると今度は、高いところから地上に落とされたように急激な罪悪感に襲われる。〝あれ〟をすると、いつもこうなる。あの、保育園の秘密の入り口で私を見ていた小さな男の子の顔が浮かぶ。


 やっぱり、私はおかしい。子どもらしくない、イシキガヒクイ、ふつうじゃない、ジカチュウドクでコビウッチャッテで、ヘリクツで、きみがわるい。

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