第15話 もりくん

 同じクラスのもりくんはいつも、えへ、えへ、と声を発しながら笑みを浮かべている。私に近づく人間をことごとく排除しようとするカノンの目を気にして、ふだんはクラスのほとんどの子が、ゆいちゃんですら私に話しかけたりはしないのに、もりくんだけは無邪気にえへ、えへ、と私に寄ってくる。カノンも、もりくんを「キモイマン」と呼んで避けているくらいだから、さすがになにも言わないし、それこそ誰も近づいてこない。

 もりくんには私よりもきょうだいがたくさんいて、年長クラスにお兄ちゃん、年少クラスに妹がいる。二人ともすごく痩せていて、ぽっちゃりしたもりくんにはあまり似ていない。もりくんはいつも首のところがやぶれたTシャツや、お尻のところが汚れた服を着ている。三日間くらい同じ服を着ていることもあって、彼が近くにいると泥と汗の混じった酸っぱい匂いがする。お迎えにくるのは小学生のお姉ちゃんか中学生のお兄ちゃんで、家に帰りたくないと泣き叫ぶもりくんの頭をパチンとはたいて、ひきずるようにして帰っていく。もりくんのくちびるはガサガサで、口の端に白いよだれが固まっていて、暑い日でも黄緑色のはなをたらしている。

 もりくんは私の隣に少し距離をおいて座り、私が読んでいる絵本をじーっと見る。私が立ち上がるともりくんも立ち上がり、次の絵本を取りに行くのについてくる。たまに、自分がお気に入りの本を取りだして、えへ、えへ、と私に押しつけてくる。特に『11ぴきのねことあほうどり』が大好きで、いつもそればかり選ぶ。私が「えー、またこれ?」と言っても、えへ、えへ。

 そのうち、もりくんの視線を感じたまま黙って読んでいるのもへんな気がして、読み聞かせをしてあげることにした。するともりくんは、うほ、うほ、と笑って喜んだ。あほうどりの兄弟が十一匹のねこに順番にあいさつをするシーンで、一羽、二羽とだんだん大きくなって、十一羽め、最後のいちばん大きなあほうどりが出てくるページでめいいっぱいためを作る。もりくんは目をキラキラさせて、つうっと糸みたいなよだれを垂らして待っている。

「じゅういちわあっ!」

 私がほとんど叫ぶくらいの大きな声を出すと、もりくんは「きゃあーっ!」と嬌声をあげて飛び上がり、どんどんと両足を踏みならして喜んだ。教室中の視線がいっせいに集まったのがわかったが、気づかないふりをした。

 そのときから私は、もりくんに本を読んであげるときにはわざといろんな声色を使ったり、おおげさに強弱をつけてみたりするようになった。『三びきのやぎのがらがらどん』なんかも、登場順にだんだん大きくなるヤギの声を演じ分けてみると、ものすごく盛り上がった。もりくんは、いろんな声をあげて喜びを表現し、唾を飛ばしながら手を叩き、ひっくり返って足をバタバタした。

 私は自分の家で妹に読み聞かせをするとき、こんなふうに読んでやったことはない。間違いを気にしたりせず読める絵本の世界は、私の思いのままに広がり、どこまでも自由だった。

 そのうち、遠巻きにちらちらと私たちを見ていた子たちが、じり、じり、とこちらに近寄ってくるようになった。カノンに見つかるとぱーっと散っていってしまうけれど、私も徐々に、その子らの目も意識して読むようになった。


 もりくんに何度めかの『11ぴきのねことあほうどり』を読み終えたとき、ちえこ先生がにこにこしながらやってきた。

「いとちゃん、絵本読むの、とってもじょうずね。こんど、みんなの前で読んでみない?」

 私は頭をぶんぶんと力の限り左右に振って、拒否した。そして、うつむく。

「そっか。でも先生、ほんとに読んでもらいたいんだけどな。はずかしいかな?」

「……うん」

 私は説明するのにうまい言葉が見つからず、そう言うしかなかった。そう、そうなんだけど、ほんとは違うの先生。知られたくないの。どうしてかは、言えないの。自分が持つ言葉のあまりの少なさが、私をもどかしさでいっぱいにした。

「ちえこせんせい」

「ん?」

「このこと、おかあさんにいわないで」

「え? あ、うん。でもどうして?」

「おねがい」

 ちえこ先生は不思議そうな顔のまま、うんうん、とうなずいた。それでも私はまだ不安だった。

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