第2話 朝の会
保育園には「朝の会」というものがあった。
「はいじゃあみんな、はじめまーす」
ほとんどの園児が登園したころ、担任のちえこ先生が声をかける。すると園児たちは後ろ手に椅子を持って腰のあたりに乗せ、ヤドカリのような姿勢になって部屋の方々からわらわらと集まってきて、大きな輪を作って座る。
まだ輪ができあがらないうちに私が適当な位置に椅子を置くと、ヒロくんとマーくんが、犬みたいに勢いよく駆けてくる。
「や! ぼくがいとちゃんのとなりにすわるの!」
「だめえ! ぼーくーがあ!」
今日もまた、ケンカが始まった。私の「となり」は右と左、両方にあるにもかかわらず、彼らは毎日同じように言い争う。ヒロくんは背が高く、黒々とした髪の毛をきれいに整えたていて、いかにも育ちがよさそうだ。着ているものも、いつも洗いたてのいい匂いがして、清潔でパリッとしている。対してマーくんは、くりくりの坊主頭に小麦色の肌、顎が細くて眉毛が薄い。すばしっこくてなんやかんやと常に動いていて、しょっちゅう周りを見ないで走って頭を打ったり、誰かとぶつかって転んだりして、甲高い声をあげている。二人とも、この年中クラスのなかでは、ぱっと人目をひく華がある。そんな彼らが、毎朝まず、私を取り合うのだ。
だいたい私は彼らを止めない。先生が彼らを制しにくるまでのあいだ、私は困った顔をつくって、その時間にうっとりと身を委ねる。ほんとうは困ってなんかいない。二人の男が自分を取り合うという甘いひとときは、自分がまるで絵本の世界のお姫様にでもなったような心地だった。ずっとずっと、このままならいいのに。
「はーいそこ、なかよく! ヒロくんはいとちゃんのこっち側、マーくんはそっち側ね」
ちえこ先生がそう言うと、彼らはぴたりと黙った。マーくんが「はあい」と口を尖らせ大げさに椅子の脚を引きずりながら私の左側へと移動する。その隙に、ヒロくんはマーくんよりも少しでも私との距離を詰めようと、膝と膝がくっつくほど椅子を近づけてくる。心臓の奥が、きゅんと縮む。そこから発した熱が、頬を染めるのがわかる。
ふと視線を感じ、私はそちらへ顔をむけた。輪のちょうど反対側、私の真正面の位置に座っている、くるくると巻いた髪の毛を高い位置で結んだカノンが、細い目を吊り上げて、きっとこちらを睨んでいる。私は気づかないふりをして、そっと視線を外した。
自由遊びの時間になると、マーくんが私の横にやってくる。私たちは目配せをして、先生たちの動きを確認しながら後ろ足で進み、さっと本棚の陰に隠れる。ひととおり周囲の安全を確認した彼は私にむかってにっこりと微笑み、あーんと口を開ける。中から、血とピンクが混ざった色のぷっくりとした舌が、ぬっと出でくる。私も同じように舌を出し、マーくんの先端にそっとつける。舌と舌が密着した部分はひやっとして、それから生温かい。すぐ離す。私たちはまた目と目を合わせて、こみ上げる笑いを押し殺す。こらえればこらえるほど、身体の底から、内臓を揺らすような刺激がばくばくと全身をかけめぐる。そして最後にきまって私の下腹部を直撃し、見せかけの尿意がおこる。
これが、マーくんに教えてもらった「キス」。キスは、保育園で知ったほかのどんな遊びよりも私を楽しませ、興奮させた。そのあとマーくんの目をも盗んでヒロくんとキスを楽しむときは、もっとぞくぞくして身体がはちきれそうになる。下着の中がずんずんと突き上げるようにうずいて〝あれ〟をしたくてたまらなくなるけれど、私はそれをぐっとこらえる。春先の教室はもう暖房が切られていて、板張りの床の継ぎ目から、すうっと冷気が吹いてくるような気配がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます