第3話 ゲンマイ
昼食の時間には、園児たちは長いテーブルに集まって、みんなカラフルなキャラクターの絵のついたプラスチックの弁当箱を置く。この園では、園児たちは自宅からごはんだけを弁当箱に詰めて持っていくきまりだった。私の弁当箱はといえば、母が「わっぱ」と呼ぶ、木でできた楕円形の蓋つきの器だ。そんなものを持ってきているのはクラス中でも私だけで、登園初日、そこで私はまず異変を感じ取った。
カノンが寄ってきて「なにそれ」と低い声で言った。
「へーんなのお!」
彼女の背後から今度はルナがのぞき込んできて芝居がかった口調で叫ぶ。太い首の奥から発せられる、べたべたした高い声が私の耳にまとわりついた。私は口を引き結び、視線を落とす。
「どいて!」
ルナの後ろから大きな声がして、ヒロくんが現れた。そのすきに「ゲットだぜ!」とマーくんが私の左隣に席を取る。続いて、ヒロくんが私の右隣に収まる。カノンはなぜか、マーくんやヒロくんには手出しをしない。
その日のおかずのマーボー豆腐、キュウリとわかめとしらす干しの甘酢和えがみんなに行きわたり、先生が号令をかけた。
「それではみなさん、おててをあわせて」
「いただきます!」
園児全員が唱和して、各々弁当箱の蓋を開けた。私は目を見開いた。右、左、前と、そこに並ぶすべての弁当箱の中には、すっかり全部が真っ白の米粒が光っている。私が家で食べていたのは薄茶色の米で、それが「ごはん」というものだと思っていた。真っ白なのは、レストランやスーパーにある「ごちそう」のはず。なんで? どうして? これは、どういうこと?
慌ててわっぱの蓋を閉じようとするも、給食が運ばれているあいだ、絶えず他人の皿を凝視していたルナに早速見つかってしまった。
「わあ! いとちゃんのごはん、くさってるう!」
蓋をあきらめ、わっぱを抱え込んでいると、背後からちえこ先生の声がした。
「へえ、いとちゃんのおうちは玄米食なのねえ。あのねルナちゃん。玄米は白いお米よりたっくさん栄養があるのよ。いとちゃんのお母さんは、家族のからだのことをよーく考えてくれてるのねえ」
「ゲンマイショク? ねーせんせえ、ゲンマイってなにー?」
マーくんの声が私の頭を超えていった。クラスの子たちがわいわいと立ち上がって私の背後に群がり、ゲンマイ、ゲンマイと口々につぶやきながらのぞいた。私は肩をすくめて、わっぱにやっと蓋をかぶせ、さらに自分のほうへ引き寄せた。
みんなは毎日あの真っ白い「ごちそう」を食べているのだろうか? お店だけにあるものじゃないのか? 私は恥ずかしさと胸の痛さから自分の意識をできるだけそらすために、頭の中で何度もゲンマイ、ゲンマイ、と唱えていた。
次の日になればもう、私のわっぱや玄米は園児たちの興味から外れ、私もみんなの白米が気にならなくなった。ルナだけが「くさってるー」としつこかったが、彼女はただ私の玄米を食べてみたいだけなのだのだと気づいたら、少しだけ楽になった。
栄養バランスの考えられた園の給食やおやつは、常駐の調理師さんの手作りだった。どんな料理に入っている肉も魚も野菜も、あったかくて色よくつやつやしていて、母の作る料理よりずっと美味しい。ほかの園児たちが毎日何かしらの食材を「嫌い」と残すのに驚きながら、私は皿が洗ったばかりのようになるまで無心で食べた。
戸惑うことは多々あるけれど、家の中では得られなかった価値観の刺激に溢れている保育園の生活は、案外悪くないと私は思いはじめていた。不満らしいものといえば、昼食後、一時間ほど設けられている昼寝の時間になかなか寝つけなくて、やっと眠れたと思ったら起きる時間になっていることくらい。ふと気になって、あのとき秘密の入り口で私を見ていた男の子を探したが、どのクラスにも見つからなかった。
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