第25話 いいこと

「ゆいね、いいことかんがえたんだ」

 七月がもうじき終わろうという日、ゆいちゃんが自由遊びの時間に話しかけてきた。学校が夏休みになると、上にきょうだいがいる子らはそれに合わせて保育園を休むことも多く、カノンやルナ、ヒロくんやマーくんもいない日が多い。今日は珍しくもりくんの姿も見えない。

「いいことって、なに?」

「ゆい、パパとママがいないひにね、ぼうけんしようとおもってるの」

「え? いつもふたりでしてるやつ? ほいくえんでするの?」

 私はどことなく異変を感じて、ゆいちゃんを見た。ゆいちゃんは、黙って首を振った。

「いつものごっこあそびじゃなくて、ほんとうのぼうけん。おうちをでて、ずっとずっととおくに、ぼうけんのたびをするの。もうかえってこないかも。いとちゃんも、いっしょにいこ?」

「えっ」

「ゆいね、お金たくさんもってるんだ。だからだいじょうぶ。ぜーったい、だいじょうぶ」

「……とおくって、どこ?」

「とうきょう。とうきょうにね、おふとんがあってマンガとユーチューブをずーっとみていられるおへやがあるんだって。おねえちゃんがいってた。ここからえきまでいければ、でんしゃでいけるとおもう。いとちゃん、とけいもわかるし字もたくさんよめるでしょ? とけいと字がわかれば、でんしゃにのってとうきょうまでいけるよ。ふたりでちからをあわせるの。ね、カンペキだとおもわない?」

 ゆいちゃんは、顔を近づけてきた。

「ゆいといとちゃんは、せかいでいちばんなかよしだもん。ふたりなら、なーんでもできるよ。まほうのしゅぎょうもたっくさんしたし。あとゆいね、おとながなんでもゆいのいうこときいてくれるまほうをおぼえたんだ」

「へえ! すごい」

「……パパがね」

 ふいにゆいちゃんの顔が、大人の女の人みたいに見えた。どきりとした。

「うん?」

「ゆいがパパのおふとんでいっしょに寝てあげたり、パパといっしょにおふろにはいってあげると、パパはなんでもゆいのいうとおりにしてくれるの。たぶん、ゆいのまほうがかかってるんだ。だからゆい、パパにお金ちょうだいっていってみたの。そしたらパパ、ママにはないしょだよ、ってくれたの。それからね、ゆいのパパはね、こちょこちょあそびがだいすきなの。またお金がほしくなったら、こちょこちょをしてあげればいいの。ゆい、パパにはおもちゃを買うっていったけど買わないで、ぜーんぶとっておいたんだ、そのお金。すごいでしょ」

「うん……」

 まただ。心臓が波打ち、痛み、喉から飛び出そうとする。わかってしまった。ゆいちゃんと、ゆいちゃんのお父さんのことが。ゆいちゃんが言っていないがまだあることも。誰にも教えられていないことを、私はわかってしまうんだ。きっと、私の使えるたったひとつの魔法がこれなのだ。

 でも、もういい。それでいいや。おかげで迷いがなくなった。ここではないどこかへ。ゆいちゃんと一緒ならきっと、絶対に。カラスは飛べる、飛べるのだ。

「だけどさあ……どうやってでかけたらいいかな?」

 私はぐるぐると考えを巡らせた。そんなに長い時間、私たちのような子どもが家から抜け出す方法なんてあるだろうか。

「だいじょうぶ、ゆい、すーっごくいいことかんがえたから」


 ゆいちゃんの案はこうだった。夏休みに入るとゆいちゃんのお姉さんたちが学校の寮から家に帰省してくる。お姉さんたちが家にいると、ゆいちゃんの両親は保育園を休ませ、お迎えの時間を気にせず安心してそれぞれの仕事に打ち込み、ほとんど毎日夜遅くまで帰ってこなくなるという。そのタイミングで、ゆいちゃんの家で私を招いて二、三日の予定でお泊まり会をする。昼間、お姉さんたちはいつもゆいちゃんを置いて友だちと遊びに出てしまい、夜まで帰ってこない。ぼうけんのチャンスはそのときだという。

「ゆいちゃん、すごい、あたまいい」

 とてつもない計画に、私は胸をぱんぱんにふくらませる。

「でしょう?」

 ゆいちゃんは得意げに、鼻の穴をぴくぴくと動かした。

「でも、」

 それでも私はためらっていた。だって。

「ん?」

「うちのおかあさんになんていおう。おかあさん、ダメっていうかもしれない」

 ゆいちゃんは、にやりと口角を上げ、『プリティフラワーエンジェル』の主人公がいつもするみたいに人さし指をこちらに向け、チクタクチクタク、と揺らした。

「うちのパパからいとちゃんのおかあさんにいえば、ぜーったいにだいじょうぶだから。ゆい、しってるんだ。いとちゃんのおかあさん、うちのパパのこと、すきでしょう? よそのおうちのおとうさんのことすきになるのって、フリンていうんだよ。おとながかくしてるほんとうのこと、ゆい、ちゃあんとわかってるんだから」

 私だけが知っていると思っていた母の秘密が、ゆいちゃんにもバレていたなんて。私は立っていられないほどの戦慄を覚え、それから恥ずかしさではちきれそうになった。そうかそういうの、フリン、ていうのか。

「だいじょうぶ、いとちゃんはしんぱいしなくてもいいよ、ゆい、このことはだれにもいってないから。ママもせんせいも、おねえちゃんたちもしらない、だって、」

「ほんとうのことは、誰かに言っちゃいけない、でしょ」

 私がそう言うと、ゆいちゃんは桃色のほっぺをつやつやと輝かせ、ころころと笑った。私もつられて、ひくひくと笑った。

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