第24話 こわくない

 今日も私はゆいちゃんの家で遊んでいた。ゆいちゃんのお父さんは毎日保育園にお迎えにはくるのに、家に遊びに行くといつもいなかった。たまにお母さんもいないこともある。母は以前のように手土産を持たせたりしなくなり、私の外出を制限したり、帰宅時間を厳しくしたり、妹を連れて行けと言うこともなくなった。行ってきますにもただいまにも返事はなく、私の声だけが玄関で蒸発する。まるで母には、私の姿が見えていないかのようだ。私はこの家で透明人間になった代わりに、少しばかりの自由を得た。

 ゆいちゃんの家には、私の家にないものがほんとうにたくさんある。最近ゆいちゃんは「アイパッド」という四角くて小さいテレビのようなものを買ってもらったので、二人で「ユーチューブ」を見ることが増えた。画面の中では、おもしろい顔をした金髪の男の人が早口で喋りながら、輪ゴム千個を繋げてどこまで伸びるか実験していたり、浴槽に牛乳だけを入れて沸かした風呂に入ったり、ものすごい辛さのラーメンを泣きながら食べたりしていた。ゆいちゃんの部屋は、そこらじゅうにお菓子の食べかすや包装紙が散らばっていて、最初に訪ねたときよりもずいぶんちらかっていた。けれど、あまりモノがない殺風景な自分の家に比べ、ここはとても落ち着く。もう保育園にも家にも居場所のない私にとって最後の秘密基地、森の中のツリーハウスみたいな感じだ。

 ゆいちゃんは、自分専用の携帯電話も持っている。大人が持っているようなスマートフォンじゃないけれど、外へ遊びに行くときは、彼女はその携帯電話をペンダントみたいに首からぶら下げている。「このケータイもってるとね、ゆいがどこにいるか、パパとママがいつもわかるようになってるんだ」とゆいちゃんは言っていた。それから「ここをひっぱると、おっきな音がなって、悪いひとをたいじできるんだよ」とも言っていた。まるで魔法の杖みたいだと私は思った。

 ふだん家にいないお姉ちゃんたちの部屋にはマンガがたくさんあって、読み放題だ。私も少し読ませてもらったが、男と女が口をつけたり、抱きしめたりするシーンが唐突に出てきたりする。私はこれ以上自分が子どもらしくなくなってはいけないという反射がはたらき、それをゆいちゃんに気付かれたくないという気持ちもあり、ほんとうは読みたいけれど、できるだけ読まないようにしている。

 ゆいちゃんの両親はゆいちゃんに晩ごはんを食べさせてから、またそれぞれの職場に戻る日もよくあるという。その時はこのアイパッドを使って、親とビデオ電話で会話をしているらしい。

「ゆい、本はあんまりよめないけどマンガならたくさんよめるし、ごはんだってひとりでチンしてたべられるんだ」

「えー、すごいね!」

 私も、食事はひとりだ。

「うん。ひとりでシャワーもできるし、歯もみがけるし」

 私は今度はもうちょっと大げさに「すごーい!」と言った。ゆいちゃんは得意げに、鼻を上に向けてにっと笑った。

「でもね。よる、ピンポンがくるの」

「ピンポン?」

「うん。パパとママには、ピンポンきてもでちゃだめ、いないふりをしなさいっていわれてるんだけどね」

「うん」

「ときどきね、なんかいもくることがあるの」

「そうなんだ」

「そのときはね、でんきをぜーんぶけして、ベッドのなかにかくれるの」

 私は、真っ暗な部屋の中で、布団にくるまって怯えるゆいちゃんの姿を思った。鳴りやまない呼び鈴がこだまする音と、玄関ドアの向こうにいるなにか。ぶるっ、と尿意を感じた。

「こわいね……」

「こわくないよ。四さいのころはすこし泣いたけど、ゆいもう、五さいだもん。こわくない」

「ゆいちゃん、つよいね」

 私は心からそう言った。

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