第12話 ゆいちゃんの家・2
『プリティフラワーエンジェル』を観ながら、私たちは絵を描いた。保育園でやるように、誰かにテーマを与えれられるのは苦手だが、自由に描くのは楽しくて好きだ。ゆいちゃんの家にはクレヨンや色鉛筆以外にも、色の出るペンや四角いパステルや絵の具など、見たことのない画材がそこらじゅうに転がっていた。ゆいちゃんのお母さんは好きなものを好きなだけ使っていいと言ってくれた。私は大きな画用紙に夢中になって描いた。ときどき、ゆいちゃんといることも忘れた。大きな庭に大きなテレビがあって、たくさんのお菓子に囲まれた国で、馬と赤ちゃんと女の子が遊んでいる絵が描けた。
「ねえ、これだーれ?」
ゆいちゃんが絵のなかの女の子を差して言った。誰と決めて描いたわけではないので、返答に困る。
「うーん、わかんない」
ゆいー、と呼ぶ声がして、ゆいちゃんのお母さんが部屋にやってきた。お母さんは私の絵を見て、驚いた顔をした。
「これ、いとちゃんが描いたの?」
私はこくり、と頷いた。
「すごい、上手ねえ。この構図、色遣い……うん、これは上手だわ。ねえいとちゃん、もしよかったら、おばさんの教室に絵を習いにこない?」
うーん、と私は首をかしげた。
「そか、お母さんに訊いてみないとね。今度、おばさんから言ってみようか?」
私は首を横に強く振った。そのあとなにを言われるかを考えたら、とても無理だ。そんなこと、ここで言えるはずもないけれど。
「そっかあ。じゃ、もうちょっと大きくなって、お母さんが許してくれたらぜひきてね。絵はうちに描きにきてもいいから、絶対、そのまま続けてね」
ゆいちゃんのお母さんは、真剣な顔をして言った。私はどう答えていいか戸惑い、黙って頷いた。ゆいちゃんが少し拗ねたような表情で、お母さんの脚にしがみついた。
「ねーねーねー、ゆいだってじょうずでしょ、ねえママみてみて」
「わあすごい、ゆいも上手ねえ。いとちゃんもゆいも、ふたりともとっても上手よ」
ゆいちゃんはふふーん、と満足そうに笑って、お母さんの脚から離れた。お母さんがいなくなったあと、私たちは絵の続きを描いた。私は画用紙の上部に「おかしのくに」とひらがなで書いた。ゆっくりと落ち着いて書いたら、今までにないくらい上手く、間違えずに書けた。
「うわ、すごいねいとちゃん、もうこんなにじょうずに字がかけるの?」
「うん、まいにちれんしゅうしてるよ。やるのをわすれると、おかあさんにおこられるから」
「そうなんだ……」
ゆいちゃんはそういったまま、瞳を曇らせて黙ってしまった。私は、ん? とゆいちゃんの顔をのぞきこむ。
「あのね。このまえテレビのニュースでやってたの、ゆい見たんだけどね。おとうさんとおかあさんにね、おうちでなんどもなんども字をかかされたりおべんきょうさせられて、それで死んじゃった子がいるんだって」
「え……そう、なの? どうして?」
「わかんない。だけど、まちがえたりすると、すっごくおこられて、ぶたれたり、ごはんをたべさせてもらえなかったり、ねかせてくれなかったんだって」
まだ陽が高いのに、あたりがいきなり真っ暗になった感じがした。母が怒鳴った時のように、脳が動きを止めそうになる。
まって、どうしてこうなるの。まって。
心臓がばくばくと跳ねた。私はいったん膝を抱え込んで座り、目を閉じて呼吸が落ち着くのを待った。
「いとちゃん? だいじょうぶ?」
うん、と言って顔をあげ、ゆいちゃんの部屋にある時計の文字盤を見た。
「あ、あの、もうすぐ四じはんだから、帰らなくっちゃ」
「え! いとちゃん、とけいもわかるの?」
「え、うん。みじかいはりとながいはりをまちがえて、いっつもおこられちゃうけどね」
「そっかあ……あのね、その死んじゃった子ね、とけいまちがえておこられて、おふろですっぽんぽんのまんま、おみずをかけられたって、テレビでいってた」
「……そうなの?」
「それでね、その子のパパとママ、けいさつにつかまったんだよ」
頭のてっぺんから、すーっと冷たい血が下りてきた。目を開いているのに、何も見えない。
ゆいちゃん、ゆいちゃん、どこ?
まって、まって、息が、苦しく、なって、こわいよ……。
「ママー! いとちゃんかえるってー!」
はっ。
ゆいちゃんの声で、ぱっと視界が戻った。呼吸をなんとか整え、膝にめいいっぱい体重をかけて、私はやっとのことで立ち上がった。
「おじゃましました」
私は部屋にこもって絵を描いているゆいちゃんのお母さんに声をかけた。
「はあい、またおいでねー」
奥のほうから声がした。リビングを通って玄関に向かうとき、私が持ってきたクッキーが、紙袋ごと、ぐしゃりと潰れてゴミ箱に突っ込まれているのが見えた。
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