第11話 ゆいちゃんの家・1

 ゆいちゃんと遊ぶ約束をした日曜日は、朝からよく晴れていた。団地の敷地に植えられている低木の葉の緑色が、からっとした陽射しに透けて光り、足もとからは草の青い香りが立ちのぼってくる。私は母の手作りのオートミールクッキーが入った手提げの紙袋を持たされ、ゆいちゃんの家に向かった。ゆいちゃんの家は、私の家がある棟の二つ隣、十五号棟にあった。あらかじめ聞いていた部屋番号を探し、背伸びして呼び鈴を押すと、かりん、と音がしてはーい、と声が聞こえ、ドアが開き、ゆいちゃんが出てきた。家の中からは、もわんとよその家の匂いがした。

「ママ、いとちゃんきたー!」

「おじゃまします」

 廊下の奥からゆいちゃんのお母さんの足音が聞こえた。私は母に何度も練習させられたとおり、膝が見える位置まで頭を下げて、お辞儀した。

「えっと、いとちゃん、だっけ。いらっしゃい。あらー、ちゃあんとご挨拶できて、えらいのねえ」

 絵の具のいっぱいついたエプロンをしたゆいちゃんのお母さんは、ふんわりと優しく微笑んだ。私はどう返事したらよいのかわからず、右斜め上を見た。が、今日はその位置に母はいない。

「あの、これ、おかあさんから」

 私は両手をまっすぐに伸ばして、ゆいちゃんのお母さんに紙袋を差し出した。「わー、ありがとう」と言って紙袋をの中身を見たお母さんが一瞬、眉をぎゅっと寄せて苦い顔をしたのを、見てしまった。ゆいちゃんは、ととん、と靴を玄関に放り出し、私に手招きした。

「はやくはやく、いとちゃんも、きてきて!」

 私は慌てて靴を脱ぎ、指先でつまんでさっとドア側へ向けて揃えた。「ほんとにお行儀がいいのねえ」とゆいちゃんのお母さんが言うのが背後から聞こえたが、そのままゆいちゃんの後を追った。

 ゆいちゃんの部屋は、私と妹が二人で使っている部屋と同じ広さだった。同じ団地で間取りも同じはずなのに、まるで違う家に見える。部屋の四隅には、うず高く積み上げられているのはものすごい数のおもちゃ、ぬいぐるみ。しかも、この部屋にはゆいちゃん専用のテレビがあった。母の意向で、私の家にはテレビがない。父は見たい番組があるときは、仕事場の休憩室でテレビを観ていると聞いたことがある。

 ゆいちゃんはぱっと部屋を出たかと思うと、両手いっぱいにお菓子の袋を持って戻ってきた。ポテトチップス、チョコレート、グミ、クッキー。スーパーに売っているのは見て知っているけど、ほとんど食べたことのない憧れのお菓子たち。驚きと興奮と幸福感がいっぺんに押し寄せてきて、心臓が間に合わない。

「これ、ぜんぶたべていいの?」

「そうだよ。ゆいのおうちにあるおかしは、ぜーんぶたべていいんだよ」

 ゆいちゃんはにっと歯を見せて笑った。保育園では気づかなかったけれど、よく見るとゆいちゃんの前歯は、少し茶色いところがある。いただきますを言う前にもう、ゆいちゃんはお菓子の袋を開けて、グミとチョコレートをいっぺんに口の中に放り込んでいた。私は小さくいただきます、とつぶやいて、一番近くにあったチョコレートの包みを手に取った。ゆいちゃんは指についたチョコレートをなめると、細い棒状の、いろいろなボタンがたくさんついているものを拾い上げて、テレビに差し向けた。ぼっ、と小さな音がして、テレビが目を覚ました。

「すごい、なにこれ?」

「これ? リモコンだよ。いとちゃんしらないの?」

「うん。うち、テレビないから」

「えー! そうなんだあ。あのね、これでテレビをつけたり、チャンネルかえたりするんだよ」

 まるで魔法みたい、と私は思った。ゆいちゃんがリモコンを慣れた手つきで操作すると、アニメが始まった。紫やピンク、水色の髪の毛をした女の子たちが、歌って踊っている。ああ、みんながよく言ってる『プリティフラワーエンジェル』って、これか。顔の半分くらいある大きな目、白くて指みたいに細い足。なんだか、人間に見えなかった。

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