第28話 遠く長い道

 駅までは、ゆいちゃんが先導してくれることになっていた。お母さんの絵画教室に連れて行かれるときやお姉ちゃんの送り迎えで何度も車で通っているので、すっかり経路を覚えてしまったそうだ。 

 灼熱の道は果てしなく遠く長く、歩いても歩いても、歩いたぶんだけ伸びていくように見える。知らない家や建物、店やバス停を目にするたびに、もう後戻りはできないという確信みたいなものが積もっていった。


 畑のあぜ道に作られた駐車用の空き地で、私たちは休憩した。汗でべっとりと濡れた下着からペットボトルを取り出す。

 私がラベルも見ずに盗んできたのはコーラだった。生まれて初めて飲むコーラ。赤いキャップをぐいとひねると、中身が勢いよく飛び出した。ゆいちゃんがきゃー! といって逃げた。ペットボトルの口から、茶色い泡がこれでもかというほど溢れてくる。私たちは呼吸が苦しくなるほど笑った。

 半分くらいなくなってしまったぬるいコーラの飲み口部分は、〝あれ〟をしたときの指先と同じ、下着の中の匂いがした。

 ゆいちゃんが、脇の草むらの土に、つま先で穴を掘り始めた。大人のこぶしくらいの穴ができると、ゆいちゃんは首から携帯電話を外し、その中に入れた。

「これでもう、誰にも追いかけられないからね」

 ゆいちゃんはまた、大人の女の人みたいな顔をして言った。足で土をかけて穴を埋めるときは、私も手伝った。こんもりとした小さな土の山を、私はお墓みたいだと思った。


 畑の道が終わったところから、建設現場が現れた。このあたりは小山を切り崩して新しい住宅地にする工事が進んでいて、道路はきれいに舗装され、分譲前の真新しい戸建ての家が整然と並んでいる。日曜だからか、まわりに人はひとりもおらず、まるで異世界のゴーストタウンに迷い込んだかのよう。私たちは自然と駆け出し、新品の家々の間を縫うように進んだ。

 赤い屋根の家の、塗りたてのペンキの臭いがする白い門をくぐり、扉を引いてみると、かちゃりと開いた。中から、ぷんと強い木の肌の香りが鼻からまっすぐ喉を突く。

「おいこら、なにやってんだ!」

 私ははっとドアノブから手を離した。ふり向くと、白いヘルメットをかぶり、鼠色の作業着を着た色黒のおじさんが、顔じゅうに深い皺を寄せて立っていた。

「逃げよう!」

 ゆいちゃんは私のリュックをひっぱった。私は転びそうになるのをなんとか立て直し、ゆいちゃんについて走った。

「まてこらあ、どこいくんだ!」

 おじさんのしゃがれ声を蹴飛ばし、家々の間を迷路のようにくるくる抜けて、私たちはどこまでも逃げた。汗と笑いが止まらなかった。

「まって!」

 ゆいちゃんにまた引っ張られ、私は足を止めた。向こうからパトカーが走ってくるのが見える。私たちはさっとしゃがんで石垣に隠れる。そうだ、私たちはもう、ドロボウなんだった。


 私たちは大人たちに見つからないよう、車を見たら隠れる、を繰り返しながらジグザグに道を進んだ。アスファルトから立ちのぼる熱気で行く先の景色の裾が滲んでいる。二人の影はどんどん小さくなって、今は足もとにわずかに揺れるだけ。汗が絶えず額を、首から胸を、背中を濡らす。セミの声は周囲の音を全て吸い込んで、静寂を錯覚させた。

 公園の水飲み場で、浴びるように水を飲んだ。スーパーを逃げ出してからどれほど進んだのか、どれほど時間が経っていたのかわからない。だんだんと建物と建物の間隔が狭くなり、人や車が多くなってきた。ここまで来たら、隠れなくても大丈夫そうだ。

「あともうちょっとだよ、ほら」

 ゆいちゃんが指さした先には、マンションとビルの小さなかたまりが見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る