第22話 なぜなくの
保育園の歌の時間が、私は嫌いだ。元気に明るく、「子どもらしく」歌うことを求められるからだ。自分と同年代の子どもたちはみな、大人からは同じようなものだと思われている。心身ともに健康で純粋でよく笑い、よく食べ、よく遊び、なおかつ大人の命令に従う子どもがよしとされる。子どもたちのほうもちゃんとそれがわかっていて、歌の時間にはほとんどの子が思い思いに大声をはりあげてみせる。正しい道を歩いていますよ、と大人にアピールするために。メロディや歌詞の内容なんて、子どもらしさの前にはなんの意味も為さない。そうやってみんながいざ歌い始めると、統制のとれないごちゃごちゃした音のかたまりが天井や壁に当たっていっぺんにこちらへ戻ってきて、私の頭や耳の中でわんわんと反響し、目が回ってしまう。
「きょうは、『七つの子』という歌をうたいまーす。カラスの歌なの、みんな知ってる?」
ちえこ先生がオルガンの前に立って言った。しってるー! しらなーい! という声が方々でわく。知らない歌だ。カラスの歌というだけで、身体が瞬時にこわばった。カラスは、母がいちばん嫌いな鳥だ。
「じゃあ、知ってるおともだちは、一緒に歌ってみてね。知らないおともだちは、まずは一回、聞いててね」
ぷわーと気の抜けたオルガンが四小節分の前奏を奏でたあと、歌がはじまった。私はじっと耳を傾けた。
「からす なぜなくの」というフレーズで歌は始まった。「カラスの勝手でしょー!」とマーくんが叫び、どっと笑いがおきた。
カラスがなくのはなぜかって? みんな知らないの? カラスは、私のようなよごれた子どもを攻撃するためになくのだ。山にかわいい子ども? そんなはずはない。カラスの子は黒くて、絶対に、かわいくなんてないはずだ。どうして? みんなおかしいよ、どうしてこんなへんな歌をうたうの?
「かわい かわいとからすはなくの」
かわいいからなく? 違うよ、カラスは、生まれたときからずっと、大人になっても黒くて醜いままなんだよ。絶対にかわいくなんてならないよ。そうじゃないなら、なんでカラスは泣いているの? なぜ泣くの? 子どもじゃなくて、親が泣く? どうして泣くの? 大人も、親でも、泣くの? どういうときに、どんなふうに?
男の子はすぐに泣く。転んで泣き、注射で泣き、ケンカして泣き、思い通りにならなくて泣く。ヒロくんも、マーくんも、もりくんだってしょっちゅう泣いている。小さい子はすぐに泣く。うちの弟も妹もほんとうによく泣く。けれど、私は泣いたら怒られる。なぜ? どうして? 子どもらしくないから?
子どもらしく、怒られないように泣く方法、みんなどうやったらあんなに上手にできるんだろう。私は保育園を休んで母のミルクセーキを飲んだあの日にうっかり泣いて、母を怒らせてしまった。私が泣くとだめ、いつもだめ。みんなみたいに、どういうときに泣けば大人が許してくれるのか、それがぜんぜんわからない。泣きたいと感じたときに泣こうとしてもだめ。鼻の奥を一生懸命刺激しても、腕をどれだけつねっても、血が出るほどひっかいたって、そういうときに限って、どうしたって涙が出ない。私みたいに、子どもらしさのない子には、生まれる前から泣けないように魔法がかけられているのかもしれない。
私はやっぱり、父と母のほんとうの子どもじゃないんだ。そしてたぶん、人間でもない。あの夜見たのは夢じゃない。私が鏡で見る自分と、みんなが見ているほんとうの私はきっと違う。生まれたその瞬間から、今も、この先大きくなっても、ずっとずっと、私は醜い姿のままなんだ。
歌が二巡目、三巡目となって、覚えだした子たちがどんどん参加して、声の輪が大きくなる。黒い音のかたまりは全部、不規則にまとまったりばらけたりしながらこちらをめがけて飛んでくる。私はそれを全身で受けながらいつまでも、声も出せずにオルガンの上の壁を眺めていた。
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