第20話 いわないで
昼寝の時間、今日もまた私は寝つけないでいた。梅雨明けが近く、ときおり通り雨がざあっと過ぎては地面に湿気をまきちらす。空気が蒸しあがるように私たちを包みこみ、べたべたとした汗が首や背中、脇の下に絶えず滲んでいる。季節はどんどん夏に近づいており、近所の林ではカエルとセミが同時に鳴きはじめている。教室内の冷房は弱く、部屋の角に対角線上に置かれた二台の扇風機が、生ぬるい風をただ移動させているだけだった。
私は、タオルケットを首から爪先まで隠れるようしっかりとかけなおすと、ズボンのウエストゴムの中に手を入れた。〝あれ〟をする準備だ。私の寝ている布団の真下には、もりくんがいた。足の裏をちょっと伸ばすと、もりくんの髪の毛に振れた。いがぐり頭から伸びた短い髪の毛の断面が、足裏にさわさわと当たる。気持ちいい。その心地よさに引きずられて、私は一気に自分の下着へと手を伸ばした。悪いことをしているのはわかっているけれど、隠れてしようとするればするほど、泣きそうになるくらいの快感を得られる。もう、止められなかった。
ばっ。
タオルケットをはがされる。びくっと身体が反応してすぐに下着から手を離したつもりだったけれど、間に合わなかった。今日に限って私は、いちばん肝心のちえこ先生の居場所を確かめるのを怠ってしまった。
ちえこ先生はタオルケットを私の下腹部にふんわりとかけ直し、私の背中をゆっくりと押して上体を起こした。他の子に聞こえないように、私の耳もとで「いっしょに来て」と囁いた。
「せんせいおねがい、おかあさんには、ぜったいいわないで」
保健室で、私はちえこ先生に懇願した。泣こうとしたけど、涙が出ない。私が今できる精いっぱいの迫力で目を見開き、眉を寄せ、瞳を凝らし、腕をつねってみたりした。けれど、涙はぴくりとも出てこない。どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ちえこ先生は目線を合わせるようにしゃがむ。私の頭を撫でながら、困った顔、というより、かわいそうなものを見る目をして「うーん」と唸った。だめだ、このままじゃちえこ先生は母にいいつけてしまう。じゃあもしここで私がちゃんと泣いたなら、先生は言わないって約束してくれるだろうか。鼻の奥をふんふんと鳴らしてみても、やっぱり涙は出てこない。この前、母が作ったミルクセーキを飲んだときは、泣いちゃいけないところで涙が出てしまったくせに。まったく、バカな私の身体は、肝心な私の役にすら立たない。
「いとちゃん。おうちでも、よくしてるの?」
私は黙って下を向いた。
「どんなときに、しちゃう?」
「……わかんない」
わからないのはほんとうだ。ほんとうのことだ。言ってしまってから、気がついた。
「おねがい、せんせい、いわないで、ごめんなさい、せんせいごめんなさい、もうぜったいぜったいしません、だからいわないで、おかあさんにはいわないで」
先生は私の要求にはっきりとした態度を示さなかった。だけどちえこ先生は、前にも私のお願いをきいてくれた。その可能性に賭けた。
「せんせい、かみさま、もう死んじゃうかもしれない。だから、おねがいします」
なかなか泣けずにすがる私を、先生は今にも泣きそうな目をしながら黙って見ていた。
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