039 練兵(4)
「はいッ!」
北斗が駆け出さんとする刹那、五郎太は掛け声一閃、ルクレチアの馬の尻を強かに蹴りつけた。
短く嘶いて馬が飛び出してゆく。北斗の背にあって自らも盛んに鞭をくれながら、五郎太は喉も裂けよとばかりの
「敵襲ッ! 敵襲ぞ、
五郎太の喚びかけに
その中にあって、演習に備え馬上の人となっていた鎧武者が、果敢にも頭上に向け撃ちかけようとしているのが五郎太の目に留まった。
「撃つなッ!」
五郎太が叫ぶのと、兵の鉄砲が火を噴くのとが同時だった。
刹那、驚いた馬が勢いよく駆け出し、背なる兵は悲鳴をあげ馬から転がり落ちた。
間髪を入れず上からの撃ちおろしが来る。一発目を受けてうずくまる兵に二発、三発と鉄砲の弾は降り注ぎ、たちまちその身体は動かなくなった。
(なんという
兵の無惨な死に
だが、この期に及んで鉄砲を
その点、駆ける北斗の背にある五郎太には、鉄砲の弾はまず
ここイスパニアの鉄砲がどれほどのものか、これまでの見聞で大体のところはわかった。連射が利くという点において日ノ本のそれより格段に優れたものであることに疑いはない。だが所詮、鉄砲は鉄砲である。あのエルゼですら闘技場を逃げまわる五郎太を仕留められなかったのだ。駆ける馬――まして北斗を狙い撃つことなどそうそうできるものではない。
けれども演習を行っていた兵どもは違う。折悪く大半の者が下馬しているところへ撃ちかけられたものだから、馬に乗ろうと右往左往している間に次々に狙撃されてゆく。ようやく馬の背に這い上がったところで撃たれて落馬する者の姿さえ見える。あれなら馬を捨て、走って逃げた方がまだ命を拾えるやもわからぬ。
かくなる上は将から退却の
突然の襲撃に思わず喚びかけてしまったが、ここは本来、五郎太が声を出していい場面ではない。現に、馬を駆けさせながらルクレチアの下知を待っている者が
だが、ルクレチアは馬上にあって動かない。馬の首にすがりつくように身を屈め、俯き加減に何かを思案している
いったいこの者は何をしているのか。そんな思いの中、五郎太はルクレチアに馬を寄せ、並びかけた。
「ルクレチア殿ッ! 下知をッ! あの者らに下知を
懸命の喚びかけにルクレチアは応えない。少し離れた所でまた一つ絶叫があがった。五郎太は思い余って、手にした鞭でルクレチアの腰を打った。
「……ッ!」
ルクレチアの顔が向けられた。きっ、と責めるようなきつい眼差しが五郎太を見据えた。
五郎太の中に怒りが生まれた。その怒りに任せて大声で吼えた。
「それでも将かッ!
五郎太の一喝にルクレチアは瞠目し、今はじめて気づいたように周囲を見回した。
それからまた五郎太に頭を向け、苦しげな表情で「すまぬ」と呟いたあと、大きく息を吸い込んで一息に叫んだ。
「全軍直ちに退却せよッ!」
甲高い声が谷底に
「ルクレチア殿ッ!」
五郎太の喚びかけにも返事はない。
すわ被弾していたのか! そう思って愕然とする五郎太の方へ、ルクレチアの身体がゆっくりと倒れてくる。咄嗟に五郎太は馬を寄せ、
「……っ!」
その途端、五郎太の背筋に悪寒が走った。総身の肌が粟立ち、そこかしこに腫れ物が浮かび上がってくる。
女の身体を抱いているのだから当然だった。けれどもその身体が堅い鎧に覆われているためか、あるいは五郎太自身それどころではないと観念しているからなのか、首筋までのぼってきた腫れ物はそこで止まり、馬上で気を失う憂き目にも遭わなかった。
「……」
背後を振り返る。
遠ざかってゆく景色の中に、敵兵が谷底へ駆け降りて来るのが見えた。けれども今や全力でひた走る北斗の脚に、何をどうしたところで追いつくべくもない。
――谷底からの道は次第に細い渓谷となり、やがて登り坂となった。どうやら山へと続いているようだ。
ぎこちなくまわされた己の腕の中に、ルクレチアは動かなかった。どれほどの
気が付けば既に夕暮れだった。いよいよ勾配を増してきた隘路の先には、黒々と木々が生い茂る山が聳えている。
夜の山には魔物か棲む――日ノ本の子供は皆そう言い聞かせられ育てられる。命知らずの五郎太にとっても、夜の山は畏ろしいものであった。
それでも五郎太は己を鼓舞し、腕の中の
武士道とは異世界に死ぬことと見つけたり! Tonks @ei-shin
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