017 死合い(2)
「ええ、それにつきましてはたいへん感謝致しております。生死の別さえ定かではなかったお兄様がお戻りになられて喜びの涙を流したのも束の間、寸刻前には思いも寄らなかった我が身の慶事を重ねて知ることができたのでありますから」
クリスにエルゼベートと呼ばれた
同時にエルゼベートの、クリスと同じく抜けるように白い顔のこめかみのあたりによく見れば青筋が浮いているのを認め、急にげんなりとした気分になった。……やはり妹御にも話など通っていなかったのだ。そうであればこの怒りようももっともである。そんな五郎太の胸の内を聞き届けたかのように、エルゼベートは尚も続けた。
「無論、わたくしとて皇家の女です。お兄様の命とあらばいずこへなりとも嫁ぐ覚悟はできておりました。ですが、何処のお国より参ったかもわからず……そればかりかどうやら話さえ通っていなかったものと見えるお方と結婚しろとは、いくらお兄様とはいえあまりにもあんまりではありませんか……?」
遂にエルゼベートの肩がわなわなと震え出した。その
助けを求めるように、五郎太はちらと周囲に目を遣った。この異常な遣り取りを止めにかかる家臣がいないものかと期待を込めてのことだったのだが、そんな殊勝な者は一人もいないばかりか、皆興味深そうに事の成り行きを見つめている。にやにやと薄ら笑いを浮かべている者さえいる。いったいこの者達はどういう男達なのだと五郎太が思ったとき、隣からまたクリスの声がかかった。
「では、エルゼベートはこの者との結婚には不服ということか」
「不服では御座いませぬ。ええ、決して不服では御座いませぬが、わたくしにも女としての意地が御座います。素性がわからぬ殿方と結婚せよとのことであれば、せめてそのお相手が自分より優れたお方であることを確かめさせていただきたく」
「つまり?」
「つまり、そのお方とお手合わせ願いたく存じます。わたくしが敗北致しました暁には、喜んでそのお方の妻となりましょう」
「さすが我が妹、話が早くて助かる」
「待て待て待て!」
とんでもない方向に行きかけた話に、五郎太は慌てて割って入った。
「俺は承諾するなどとは一言も言っておらぬぞ! まして手合わせだと!? 俺に
「……おや、これは聞き捨てなりませんね」
前方からどすの利いた声がかかった。エルゼベートはその見目麗しい顔を引き攣らせながら、誰の目にもはっきりとわかる怒りの眼差しを五郎太に向けてきた。
「貴方様のお言葉は女を男の下に見ているように聞こえましたが」
「当然であろう! 女子相手に手合わせなどできるか!」
「お兄様、気が変わりました。わたくしの魂の尊厳に懸けて是が非でもこのお方と手合わせ――いいえ、生死をかけての決闘をお願い致したく存じます」
「うむ、許す」
「許す、ではない! 俺が嫌だと言っておろうが!」
「おいゴロー、うちの妹はそんなに貶したもんじゃねえぞ? なにせ精霊魔法の腕なら帝国きっての使い手だからな」
「しかし女子ではないか!」
「精霊魔法など使いませぬ」
ほとんど悲鳴に近い五郎太の訴えを、あからさまな怒気を込めたエルゼベートの一言が遮った。
「ほう」
「精霊魔法など使うものですか。そのお方が相手であればわたくしのつたない錬金術で充分」
「しかし妹よ、さっきとは逆に言うけどな、こいつは魔法と名のつくものは使えんが、槍一本で地竜を屠ったほどの剛の者だぞ?」
「先程おっしゃっていた話ですか。そのような与太話をわたくしが信じるとでも?」
吐き捨てるようにそう言うエルゼベートに、クリスは「ほい」と言って何かを投げた。反射的に手に受けたエルゼベートがそれを見て、さっと顔色を変えるのがわかった。それはどうやらあの物ノ怪の牙のようだった。
「どうだ。いい竜牙兵が作れそうだろ?」
「……信じられません」
「オレだって信じられねえさ。なにせ五年前のあんときは選りすぐりの精霊魔術師が二百人から犠牲になって、それでも追い返すことしかできなかったわけだからな」
「……」
「けど、これからはこの帝国も安泰ってわけだ。またヤツが出て来たらこいつがサッと出向いて退治してくれるわけだからな」
「だから! あんな化物とやり合うのはもう御免だと言ったであろう!」
「でもゴロー、あいつの斃し方はもうわかっただろ?」
「あんなものは斃し方などとは言わん! 苦し紛れでたまたまどうにかなっただけではないか!」
「フツーは苦し紛れでもどうにもならねえんだよ。またヤツが出て来たら沢山の兵士が殺されるかと思うと、オレは……」
「いや、しかしだな……」
「ってなわけだから、やっぱゴローに頑張ってもらわないとな!」
「それとこれとは話が別だ! 俺は金輪際あんな化物とは――」
「――お二人で盛り上がっていらっしゃいますところ失礼ですが」
その言葉通り、二人で盛り上がっていたところへエルゼベートが割って入った。天衝くばかりの怒髪をどうにか抑え、精一杯涼し気に装っていることがよくわかる能面のような顔で一語一語はっきりと、
「何の話だったかお忘れではないでしょうか?」
とエルゼベートは言った。
「こいつが槍一本で地竜を倒すようなデタラメな強さだってのは理解できたか?」
「はい。理解できました」
「それでもこいつと決闘するのか?」
「望むところです」
「というわけだ、ゴロー。すまんけど相手してやってくんない?」
「……条件がある」
「なんだ」
「妹御は得意の精霊魔法とやらを封じて俺と戦うのだな?」
「いかにも」
「なら俺も諸々封じさせてもらう。刀は使わぬ。槍もいらぬわ」
「それでどうやって倒すんだ?」
「倒しなどせぬ。己の嫁御になるかも知れぬ女性を傷つけることなどできるか。参ったと言わせれば良いのだろう……それでどうだ」
「ってことだけど、エルゼベートはどうだ?」
「わたくしはそれで結構です」
「よし、決まりだな。それじゃ――」
「ただし!」
締めようとするクリスの言葉に、エルゼベートがぴしゃりと被せた。
「このお方はわたくしに手心を加えて下さるようですが、わたくしの方は一切手加減致しませぬ。遺言状のご用意をお忘れなきよう!」
最後は叩きつけるようにそう言って、エルゼベートは足早に広間を退出していった。その後ろ姿が見えなくなってしまうまで見守ったあと、クリスは思い出したように隣の五郎太に目を戻した。
「だそうだ」
「……しかと承った」
* * *
――といった一連の顛末により、五郎太は不本意ながら命を懸けてクリスの妹であるエルゼベートと対決する
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