018 死合い(3)

 四柱闘技場――五郎太がこれから死合うことになる場所は、そんな名で呼び習わされる格式ある場なのだという。成る程、擂鉢状の客席にぐるりを囲われたそこには確かに石造りの柱が四本立っている。


「……さて、どうしたものか」


 薄暗い坑道の先には錆の浮いた鉄格子が降ろされている。その鉄格子が開け放たれたとき、エスペラス皇帝の御前で、その妹御との生死を懸けた戦いが始まる。そのことを思い、暗澹たる思いで五郎太は己のいでたちを見下ろした。


 肩までも覆う金物の長籠手に、鳩尾みぞおちのあたりで切れた文字通りの胸当。左手ゆんでには円い盆のような盾、そして右手めてには短く幅広の刀剣。


 ……結局、刀剣は持たされることになった。稽古用の刀剣とのことで刃を潰してあるのがせめてもの救いだったが、己の膂力が薪ざっぽうでも充分に相手を殺せるものであることを五郎太はよく知っている。


 いずれにせよこのような剣であの女性にょしょうを打つことなどできぬ。向こうがどんな手で来るかはわからぬが、精々この盾で身を護りつつ逃げ回るが関の山か――


「――わぁ、お兄さん格好いいね」


 そんなことを考えていたところへ何の前触れもなく声をかけられたものだから、五郎太が思わず剣を構えたのは是非もないことであったと言えよう。


「……」


 いつの間にか背後に立っていたのは、侏儒こびとだった。


 背は五郎太の腹に頭がくるほどで、一見童子わらしのように見える。けれどもその身体のつくりは明らかに童子のそれではなかった。


 これから猿楽でも舞おうかという奇抜な装束を纏い、赤い髪をばっさりと肩で切り揃えた姿は男のようにも女のようにも見え、薄ら笑いを張り付けた顔と相俟って一種異様な雰囲気を、侏儒はその小さな肢体に漂わせていた。


「……何者だ」


「ボク? ボクはメロメ。皇帝陛下の古馴染みにして勝手気ままを許された自由人。誰よりも愚かで誰よりもちんちくりんの宮廷道化師、メロメ様でござぁい」


 そう言って侏儒はをつくりながら恭しく一礼して見せた。慇懃無礼ともとれるその振る舞いに、五郎太は珍しく自分が本気で苛立ち始めているのに気づいた。


「このような所へ何をしに参った」


「ええ? そんなの、お兄さんに逢いに来たに決まってるじゃないのさ」


「俺はこれからこの国の太守の妹御と相まみえる身ぞ。そんな俺とうて何とする」


「そうだねえ。何しに来たんだろ、ボク。自分でもわかんないや」


 ――あるいはクリスが差し向けたものだろうか。一瞬、頭にのぼったそんな考えを、だが五郎太はすぐに打ち消した。己と妹御いずれへの肩入れであったとしても、この件に関しあの者が敢えて不公正な立場をとる謂われがない。


 まして妹御自身の差し金でもあり得まい。昨日のあの剣幕を見ればあの女性が死合いを前につまらぬ小細工を弄するとも思えぬ。


 そうなるとこの侏儒がなぜ今ここで己の前に現れたのか、そのわけが五郎太にはいよいよわからなくなってくる。


「ねえ、そんなことよりさ。昨日の様子じゃ、お兄さんはエルゼベート様との結婚に乗り気じゃないんだろ? それなのに何でお兄さんはエルゼベート様と戦うんだい?」


「そんなもの、俺の方が聞きたいわ」


 痛いところをついてくる、と五郎太は思った。


 妹御の方にはどうやら俺と死合う明確なわけがあるようだが、俺の方には妹御と戦う理由などない。縁組みを欲しておらぬ以上、勝ちを納めたところで得るものなどないのだ。……にも関わらず命懸けの勝負に臨むのはなぜかと問われれば、五郎太には返す言葉もないのである。


 返答に窮する五郎太に追い討ちをかけるように侏儒は続けた。


「自分でも理由がわかんないのに、命を懸けて勝負するの?」


「……ああ、その通りよ」


「やめなよやめなよ。そんなのばからしいじゃないか!」


「馬鹿らしいことは重々承知しておる。それに、今更逃げられるはずもあるまい」


「逃げればいいじゃないか。そしたらボクが匿ってあげるよ!」


「匿う? おぬしがか?」


「そうだよ! ボク、これでもお金持ちだからね。お兄さん一人くらいならいつでも匿ってあげられるよ!」


「そうか……それも良いかもわからぬなあ」


 侏儒の無邪気な物言いに、五郎太は半ば真面目にそう返していた。


 自分がこの決闘に及び腰なのは今更確認するまでもない。ここで敵前逃亡すれば間違いなく腰抜けと笑われようが、もうそれでいいではないか。考えてみればあの物ノ怪を相手に命知らずの奮闘を見せた俺が、女を相手の死合いをきろうて逐電ちくでんするというのも面白い。


 いずれ逃げられぬものと思い定めながらも、目前に迫る死合いへの嫌気からそんな思いに駆られていた五郎太は、だが次の侏儒の一言で引き戻されることになる。


「そうしようよそうしようよ! そしたらエルゼベート様のかわりに、ボクがお兄さんのお嫁さんになってあげるよ!」


 五郎太は弾かれたように侏儒を見た。そこではじめて、性別不詳ながら妙に崩れた感じの色気を醸し出す女としての侏儒を見た。


 ……そう、五郎太にはこの侏儒が女であるとわかっていた。なぜならこうして三間さんげんを隔てて離れていても尚、女に触れられたときのようなおぞましさを五郎太はかすかに感じていたのだ。


「ねえねえ、そうしようよ! ボク、お兄さんのこと好みだから何でもしてあげる! お兄さんにとってもいい話だと思うけどなあ。ほら、ボクってばさあ、色んな男の人から具合がいいって言われるんだよ?」


 そう言って侏儒は唇を薄く開き、接吻でも乞うようにちろちろと舌を突き出して見せる。そんな侏儒の姿を、五郎太ははっきりと醜悪なものに見た。


 同時に女に触れられた時とまったく同じ悪心おしんが胸の奥に嘔吐えずきあがってくるのを覚えた。三間隔てた場所に立つ侏儒との距離は変わらない。女とこれほど距離が開いていて悪心を覚えたのは、流石の五郎太にとっても初めてのことであった。


「……ね」


 吐き気から逃れるように五郎太は呟いた。露骨にまぐわいを想起させるような仕草を続ける侏儒から目を逸らし――なぜだろう、そこで五郎太の脳裏にはこれから戦うことになる姫君の姿が浮かびあがってきた。


(……矢張り、あの女性にょしょうは美しい)


 昨日、広間で見た女性の姿――居丈高に己をめつけるその姿が鮮やかに蘇り、五郎太は改めて内心にそう嘆じた。


 見目形ばかりではない、心映えがめでたいのだ。理不尽な要求を突きつけられてなお背筋を真っすぐに伸ばし、己の矜持を懸け死合いを求めさえするその凛然たる生き様が美しいのだ。


 あの姫君にであればこの命、くれてやってもいい。そんなことまで考え始める自分に、俺はあの姫御に惚れてしまったのだろうかと五郎太が戸惑いを覚えかけたところで、「ほら」とまた侏儒からの声がかかった。


「ほら、やっぱり欲しいんじゃないのさ」


「……何?」


「やっぱりお兄さんは、エルゼベート様のこと欲しいんでしょ?」


 まるで己の心を見透かしたような侏儒の言葉に、五郎太は血が凍るのを感じた。直後、侏儒に殺意を覚えた。気を抜けば女であることも忘れ目の前の侏儒に斬りつけずにはいられぬような、それは激しい殺意だった。


ね」


「ええ、どうして? これから決闘するんだし、なんで戦うかはっきりさせておいた方がやりやすいと思うんだけどなあ」


ねと言っておろう」


「あ? ひょっとしてそういうこと? さっきあんなこと言ったからボクのことも欲しくなっちゃった?」


ねッ!」


「いいよいいよ? それならいいよ? ボクはお妾さんでいいから、ときどきこっそりやってきてボクのこと可愛がってくれれば――」


 踏み込みざま、五郎太は逆袈裟に剣を振るっていた。


「……っ!」


 だがそこにもう侏儒の身体はなく、剣は虚しく空を斬った。


 振り返ると侏儒はそこにいた。身動きができずにいる五郎太を前に、侏儒は悪戯を見つかった子供のようににやにやと笑って見せた。


「おお、こわいこわい」


「……誰ぞに言われて、俺の心を掻き乱しに来たか」


「だとしたら?」


「たいしたものよ」


 そう言って、五郎太は大きく息を吐いた。憤怒に我を忘れて斬りかかったのだ。完全に己の負けである。


 何を姑息な真似を――などとは間違っても思わない。戦場に野次はつきものであり、真に受けて激昂などしようものなら即座に死ぬことになる。


 その点、五郎太は己の剛腹に自信があった。戦場往来、これまで何度も聞くに堪えぬ罵詈雑言を投げかけられながら、ついぞ眉ひとつ動かしたこともなかった。


 その自分が逆上してのだという事実を、五郎太は深く胸に刻み込んだ。


 二度と同じ轍は踏まない。そう思い、己の至らなさを思い知らせてくれた侏儒に感謝さえ覚えながら頭を上げた。そこに、また侏儒の声がかかった。


「やっぱりお兄さんは格好いいね」


「……」


「でも、そんなつもりなかったんだ。お兄さんの心を乱そうだなんて、ボク、ぜんぜんそんなつもりじゃなかった」


「……そうか」


「お詫びと言っちゃなんだけど、お兄さんのために歌を歌うよ」


「歌?」


 聞き返す五郎太に構わず、侏儒はこほんとひとつ咳をついた。そして小さく手を打ち鳴らし、傀儡子くぐつの動きに似た奇妙な踊りを舞いながら、その歌を歌い出した。




四ツの柱の立つそこは 今は昔の血祭り場


皇帝陛下のご機嫌損ねりゃ 獅子を相手の舞踏会


そいつ見ながら一杯やるのが 臣民風情の愉しみさ


生き残りしは唯一人 その名も高きポンペウス


見事に獅子の首獲って 皇帝おうの娘とめあわさる


けれども人は知っている 娘ははなから彼のもの


戦い前夜の閨の中 彼に抱かれて娘は言った


お気をつけあれ我がの君


四ツの柱の立つそこは 今は昔の血祭り場


血飛沫あがれば日が翳り 雲雀ひばり立つとき風が吹く――




 ぐわん、と銅鑼の音がした。


 弾かれたように頭を向ける五郎太の目に、鉄格子がゆるゆると引き上げられてゆくのが映った。


 背後を振り返った。侏儒の姿はもうそこにはなかった。


「出ろ」


 上がりきった鉄格子の傍らに立つ男から声がかかった。五郎太は頷き、大きく息を吸うと、皇女エルゼベートとの死合いの場へ進み出た。

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