021 死合い(6)

 五郎太の大音声だいおんじょうに一瞬、狙撃がやんだ。だがまたすぐに響きわたる銃声にまじって、幾分の苛立ちをこめたエルゼベートの声が闘技場に木霊した。


「なにが愉快なのですか?」


「この国の果し合いの流儀が知れて愉快じゃ愉快じゃ!」


「果し合いの流儀?」


「撃ち返せぬ相手に遠矢で撃ちかける! それがこの国の果し合いの流儀であると知れてなんとも愉快じゃと申しておるのよ!」


 喘ぐ息の中、それでも観衆に聞こえるように大声で五郎太は言い放った。


 銃声がやんだ。そこに至って五郎太はようやく立ち止り、柱頭に立つ人となっているエルゼベートに向き直った。


 あくまで涼しげな表情を崩さない姫君の顔には、けれども何かにえるように紅がさしている。


「女を相手に剣さえも要らぬと言ったのはどなたでしたでしょうか?」


「そうは申したが、まさか鉄砲を持ち出されるとは夢にも思わなんだわ。なにより撃ち返せぬ相手を撃つでは何とも品がない。高貴なる御方のなすべきことにあらずと愚考いたすが、いかがか?」


 劣勢に立たされていることなど微塵も感じさせぬよう、やれやれといった調子で溜息さえまじえて五郎太は言った。


 もとより挑発は戦場いくさばの花である。相手の神経を逆撫でる言葉づくりの仕様は五郎太も心得たものだった。実際、エルゼベートは益々頬を紅潮させ、怒りに打ち震えているようだ。


 だが五郎太にとって予想外だったのは、周囲をとりまく観衆の反応であった。お国の姫君を嘲弄する五郎太のげんを咎めないばかりか、まるで同調するような笑い声がおこったのである。


「では貴方様も早くエリクシルを召喚なさい! それで対等になりましょう!」


 結果、姫君の反応は荒々しいものになる。もはやエルゼベートは苛立ちを隠さず、叩きつけるような物言いで居丈高にそう宣告する。


 五郎太にとっては思惑通りの展開である。仕上げのため慎重に言葉を選んだ。


「そう言われてものう、俺にはお国の妖術のことは皆目わからぬのよ。精々槍と剣の腕を磨いてくることしかしておらぬゆえ」


「ならばわたくしにどうしろと!」


「そうさな。せめてそこから降りてきてはくださらぬか。かように高い所におられて剣が届かぬでは話にならぬ。俺はお前様のように背中に羽がはえているものでもないのでな」


 五郎太にしてみれば明確な意図があったわけではない。だが「背中に羽が」のくだりにエルゼベートははっと打たれたような表情をし、それから悔しそうに唇を噛んだ。


 ……ここまであっさり挑発に乗ってくれる手合いも珍しい。そう思いながら五郎太は駆け出していた。


 直後、エルゼベートは柱から飛び降り、地に足を着くや銃撃を再開する。そして今度は五郎太のあとを追って駆けながら撃ちかけてくる。


(速い……!)


 そう驚嘆せずにはいられぬほどエルゼベートの脚は速かった。今は丁度柱を挟んで対角を駆けているため何とか弾を避けきれているが、距離を詰められるのは時間の問題である。


 充分に近づけばこちらにも勝機は出る。だがその前にあの鉄砲から放たれた鉛弾が己の身体を刺し貫く。


(直ちに勝負に出ねばならん。さもなくば敗れる)


 柱の頂から降ろしたことで同じ土俵には持ち込めはしたが、勝ち味が薄いことに変わりはない。


 相変わらず相手の狙いは正確で、今も左手ゆんでなる盾に一発の弾が中って落ちた。たまたま腕の振りがそこでなかったなら太腿の真ん中に一撃を食らい、もんどりうって倒れていたことだろう。


 ――だがそこでふと、五郎太は奇妙を覚えた。


 死合いが始まってからここまで、五郎太は三度みたび重傷おもでを負いかけている。はじめの声がかかるや右肩。次は腰骨をえぐられ、そして今しがた撃たれかけたのが腿だ。


 だがそれは同じ鉄砲撃ちの目で見ると何とも奇妙に思える。一発目の肩は良いとしても二発目の腰、そして何より三発目の脚がわからない。


 普通、鉄砲で脚は狙わない。他の部位に比べて細く中り難いし、動くことが多く狙いが定まらないのである。まして駆けている相手の脚を狙うことはまずないと言って良い。


 駆ける標的のどこを狙うかと言えば、もちろん腹だ。どれほど早く駆けていても腹の動きは読める。何より腹を撃てば容易に致命傷となるからである。


 向かいを駆けるエルゼベートに目を遣る。――あれほどの鉄砲の上手がそんな誰もが知るを知らぬはずはない。腹を狙ったものが脚へと飛んできた……その可能性がないとは言えまい。


 だがもしあの姫君が初めから腹を狙わず、肩や脚ばかりを狙い撃ってきていたのだとすれば――


(――鳥!)


 そのとき、五郎太の視界の端で鳥が飛び立つのが見えた。時同じくして雲間から射す一条の光が闘技場にさやけく降り注いだ。


 不意に耳の奥に蘇る声があった。ここへ来る前、得体の知れない侏儒が曲舞くせまいよろしく節をつけ舞い踊っていったうた


 血飛沫あがれば日が翳り、雲雀ひばり立つとき風が吹く――


「南無三ッ!」


 一瞬の決断。五郎太はそれまで何の役にも立たなかった剣を身体のわきに立て、わずかにその角度を変えた。


 直後、剣に反射した陽の光がエルゼベートの目を射た。堪らずエルゼベートは顔をしかめ、立ち止まる。


 五郎太は剣を投げ捨て、空いた右手に盾を持ち代えるや、それをエルゼベートに向け水平に抜き打つように投擲した。


 盾は回転しながら真っ直ぐに飛んで標的を襲い、顔にぶつかろうとするそれをエルゼベートはあろうことか銃で払った。


「……っ!」


 そこへ颶風ぐふうが来た。


 風は足元の砂ばかりか小石までも巻き上げ、辺り構わずそこかしこへ叩きつける。


 目を瞑り悲鳴をあげる観客が次に目を見開いたとき目にしたのは、エルゼベートに向かい真っすぐに駆ける徒手空拳の男の姿だった。


「うおおおお!」


 獣のように咆哮して襲い来る男の姿を認めたときエルゼベートは反射的にその腹を狙い――だがすんでのところで狙いを変えて引き金を引いた。


「え――」


 けれども男の腿を狙った弾丸はきいんと甲高い音を立てて跳ね返された。


 何と、いつの間にか男は長籠手を腕から外し、脚に着け替えていたのだ。慌てて狙う場所を変えようとする――だがそれよりも男が早かった。


 背中に激しい衝撃があって、エルゼベートは自分が地面に押し倒されたことを知った。


 両手首をがっしりと掴んだ男に荒々しく組み敷かれている。エルゼベートはそれを認め、自分が今まさにこの決闘に敗れたことを悟った――

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