036 練兵(1)
「――たぶん、クロスボウね」
夜。ランプの灯りの中に矢を改めたエルゼは
「クロスボウ?」
向かいに座る五郎太は几案越しにエルゼが戻してくる矢を受け取りながら、聞き慣れない言葉を問い返した。
「そう、クロスボウ。あんたの国にはないの?」
「初めて聞く名だ」
「弓は知ってる?」
「無論知っておる」
「クロスボウってのは、ハンドルを回して弦を巻き上げることですごく遠くまで矢を撃てるようにした弓。実物があればわかりやすいんだけど、エリクシルが広まってからあんまり使う人いなくなっちゃったのよね」
「弦を、どれほど巻き上げねばならぬのだ?」
「ものによりけりだけど、普通のでもたっぷり百回くらい」
「それではとても連射が利かぬな」
「そう。だから廃れちゃったのよ。でも威力はエリクシルにだって負けないわよ? よけてなかったらこれ、頭に刺さってあんた死んでたかも」
「であろうな」
「であろうな……って。相変わらず命知らずな人よねえ。あんたに死なれると、あたし困っちゃうんだけど」
眼差しを合わせることなく告げられる素っ気ない言葉の中に、自分の身を案ずる気遣いがありありと感ぜられて、五郎太は苦笑いした。
「精々死なぬよう気を付けるとしか言えぬわ」
「……ま、そうよね。あたしだっていつどこで死んじゃうかわかんないし」
エルゼは五郎太を一瞥すると致し方ないといった表情をつくり、諦めるように小さく頭を振った。薄情にさえ思えるその達観は、けれども五郎太をしてエルゼという女に愛着せしめる小さからぬ要素であった。
所詮、至る所に
だが、そんな思いが五郎太の顔に出ていたのか、エルゼは少し不機嫌な顔をした。そうしてぷいと露骨に目を逸らすと、どこか拗ねたような声で一息に言った。
「だからできれば死んじゃう前に一度くらい結婚しときたいんだけどね!」
五郎太の胸に、エルゼのその
ランプの
この部屋にいる間、触れたくば
その言葉を思うと、五郎太はもう堪らない。すぐにでもその女体に触れたいと願う渇望にも似た心持ちと、そうすることで己の身に降りかかるであろう苦難を思って怖じ気づく心持ちとの間で、自分自身が真っ二つに引き裂かれそうになるのである。
「……済まぬな。俺が不甲斐ないばかりに」
「え? ……ううん、違うの。責めてるんじゃないの。ただゴロータが、いつ死んじゃってもいいようなこと言うから……」
「俺の気の病のせいでお前と契れぬことに変わりはあるまい。求めてくれておるに応じられぬこと、それについては心底申し訳なく思っておる」
「……もう、そんな言い方したら、あたしがエッチしたくてしょうがない子みたいじゃない。そんなんじゃないんだから」
五郎太から目を逸らし、小さな声で口籠もるようにエルゼは呟いた。その口が何と言ったのか、五郎太にはよく聞こえなかった。
「何か申したか?」
「なんにも言ってない!」
「そうか。……それにつけても、俺はただただ己が情けないばかりよ。お前のように高貴の
「ううん、いいの。だって、あんたとこうやって話してるだけであたし、すっごく楽しいし!」
そう言ってエルゼは言葉通り満足そうな笑みを浮かべた。けれども傍目には疑いもないその笑顔が、五郎太にはどこか作り笑いのようにも見え、ぎこちない苦笑でそれに応えながら内心に益々意気消沈する自分を感じずにはいられぬのであった。
――茶席を催したあの日以来、五郎太はこうしてエルゼと共に夜を過ごしている。五郎太としては周囲に気取られぬようにと細心の注意を払ってきた積もりだったが、クリスの言葉を思えばその夜這いは既に公然の秘事となっていると考えるべきなのかも知れない。
もっとも、あのとき道化に見抜かれたように、五郎太はエルゼに指一本触れていない。ではひとつ部屋に夜を過ごす間、二人が何をしているかと言えば、専ら情報の交換である。エルゼが語るこの国の事情を五郎太が傾聴し、五郎太が語る日ノ本の事情にエルゼが耳を傾ける。そうした遣り取りのうちに互いの国のことを知り、同時に気心を通わせ合ってきたのだった。
言うまでもなく、これは五郎太にとって僥倖と言うべき時間であった。この国に関する知見を深めることは、もとより五郎太の望むところだったのである。その一方でエルゼにとっても五郎太が語る日ノ本の事情は新鮮で興味が尽きないらしく、根掘り葉掘りといった熱心さで話をせがんでくる。
結果、互いに触れ合えぬまま過ごす夜の時間はその実、二人にとってそれはそれで密やかなる愉悦の
五郎太との果し合いでエルゼが得物として用いていた連射の利く鉄砲は、この国では『エリクシル』という名で呼び習わされているのだという。特筆すべきは鉄砲鍛冶が打って造り上げるのではなく、仔細は不明だが『召還』という法術によってどこぞより取り寄せるものであるということだ。
そしてその際、受取の対価に
エルゼにとって、それは
ただ、エリクシルの対価として奪われるものは必ずしも髪の色ではなく、人によって大きく異なるらしい。例えば口が利けなくなった者、片腕が不具になった者、果ては
自分だったら何を持っていかれると思うかというエルゼの問いに対し、五郎太は
だがそんな五郎太の回答に、だったらそれは持っていかれないわね、とエルゼは言った。続けて
エルゼ自身、当初は髪の色を奪われることなど予想だにしなかったのだという。喪ってはじめて、それが己にとってどれほど大切なものであるかわかったのだと。そしてエリクシルを受け取る際の対価としては、まさにそういったものが選ばれるのだと。
他方、そうして得られるエリクシルは鉄砲としての性能もまちまちであり、日ノ本でのそれに毛が生えたような程度の低い代物から、掛け値なしの逸品と呼べるものまで、矢張り人によって千差万別であるということなのだ。
付け加えれば、それを得るための代償が大きかったからと言って必ずしも性能が良いわけではない。命に関わるような対価を支払った挙句、使い物にならぬような粗悪品を掴まされることも、そう珍しいことではないらしい。
エルゼの自己評価では彼女のエリクシル――果し合いで五郎太がその身に何発か食らったあの恐るべき鉄砲は、飛距離や命中精度などを考えるとまずまず良いものとのことだ。
ただ、帝国の錬金術師団――クリスとの二人旅の終わりにあの草原で五郎太を瞠目せしめた鉄砲隊には、エルゼのものを凌駕するエリクシルを所持する面子が少なからずおり、とりわけ統領であるルクレチアの所有するそれがこの国では最も優れた鉄砲である――というのが、エルゼの忌憚なき見解ということのようだ。
「……でさあ、明日、やっぱりレーチェのとこ行くの?」
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