007 女嫌い(3)
「……女がこわい? どういう意味だ」
「文字通りの意味よ。俺は女がこわい。近寄られるだけで身の毛もよだつし、触れられようものなら全身に赤い腫れ物が浮かぶ。戯れに抱きつかれて気を失うてしもうたこともある。こんな図体をしておいて、まったく情けない限りよな」
「おい、デタラメ言ってんじゃねえぞ。オマエ、オレの身体に触っただろうが。なのに腫れ物なんかどこにも浮かんでねえ。どう説明してくれんだよそれ」
「そのことよ。それが俺にも不思議でならぬのだ」
神妙な顔で首をかしげながら、五郎太は独り言のように呟いた。
口に出した通り、五郎太はずっとそのことを疑問に思っていた。女が怪訝そうに見つめる前で、五郎太は胸の前に腕を組んで考えはじめた。そうせずにはいられないほど、五郎太にとってそれは驚天動地の出来事だったのである。
「女の身体に触れて腫れ物ができなかったははじめてのことよ。お主が女であるのを隠していることと何か関係があるのかのう」
「……」
「いや、違うな。俺はそもそも女になど触らなかった。おおかたそういうことであろう」
「……」
「俺は男にならいくら触れても平気であるによって」
そう言って五郎太はにやりと笑い、女を見た。だが女は忌々し気に小さく鼻を鳴らすと、再び粥を掻きこみ始めた。
「……つーことは、アレか」
「ん?」
「オマエは男が好きってヤツなのか?」
「そういうことであれば話は簡単よな。だが惜しいことに、俺にその
「……」
「誘われることはあったぞ。身体がこれほどでかくなる前はな。衆道こそは武士の嗜みであるなどと申す
「……」
「だがなあ、俺はどうしても乗り気がせなんだ。男と抱き合うことを想像すると、それはそれで鳥肌が立つのだ。無理に
「……そんじゃ、たしかに生きる望みもねえなあ」
「ん?」
「男がダメで、女にも魅力感じねえってんなら、なにが楽しくて生きてんだって話になるわな、まあ」
からかうでもなく、どこか憐れむような声で女は言った。だがそんな女の物言いに、今度は五郎太が憮然としてフンと小さく鼻を鳴らした。
「……女に魅力を感じぬとは誰も言っておらぬぞ」
「あ? どういうことだ?」
「そのあたりが自分でもややこしいところよ。女に惹かれはするのだ。そのあたりは俺も並みの男と変わらぬ。いい女を見れば胸が高鳴るし、抱き合うてみたいとも思う。ただ、それができぬというだけの話よ」
「……」
「そうよなあ。たとえるなら腹が減って仕方がないというに吐き気があるようなものか。食えるものならば食いたいのだ。だが食い物を口に入れようとすると
言いながら五郎太は椀に残っていた最後の粥を掻きこんだ。
成り行きとはいえ秘中の秘を洗いざらい話してしまった。五郎太が他人にここまで話したのは初めてのことであった。けれども、それほど悪い気はしなかった。身体の中にたまっていた膿を出せた――そんな思いがまったくなかったと言えば嘘になる。
「これで満足か」
「……」
「いま話して聞かせたが、誰にも知られとうない俺の秘密よ」
溜息まじりにそう言うと、五郎太は頭の裏に手を組んで仰向けに寝そべった。
……調子にのって話し過ぎた。いつになく饒舌な自分自身に戸惑いを覚えつつ、もう寝てしまおうと五郎太は目を閉じた。けれどもいったんはおろされた瞼が、次の女の一言でまたすぐにはねあげられることになる。
「オレならヤレるんじゃねえのか?」
「……ん?」
「女に触ると泡吹いて気絶するっていうオマエが、オレには触っても平気だったんだろ? だったらオマエは、オレが相手だったらフツーにエロいことできるんじゃねえの?」
女の言葉に、五郎太は絶句した。思わず女を見た。狭い小屋の中を満たす闇が、にわかにその濃さを増した気がした。
「つーかさ、いま気がついたけどよ、これってかなりヤバい状況なんじゃね? こんな狭っ苦しい小屋に男のオマエと二人っきりで、しかも夜だ。ナニかしろって言わんばかりのシチュだよな。いや、参った。力ずくでこられたらオレにはどうにもならねえし、助け呼ぼうにも周りには誰もいやしねえ」
「……」
「逆にオマエにとってみりゃ吐き気なしで食いたいもん食える絶好の機会なんじゃねえの? ほら、こんなナリしてるけど、服脱がしちまえばオレも女として使えるわけだからさ。心配すんな。さっきのオマエじゃねえけど抵抗なんかしやしねえ。するだけムダだからな。オマエはウサギ捕まえたオオカミみたいにオレを貪りゃいいんだ。ゆっくり時間をかけてよ。夜は長いんだ」
いつの間にか女は肘枕をついて五郎太の傍に横たわっていた。にやにやと挑発するような笑みを浮かべ、間近に五郎太を見下ろしていた。
はじめて、五郎太は女を女として見た。
端整な面持ちに咲く薄紅色の唇は半ば開かれ、その奥に小さな舌が覗いていた。長い睫毛に彩られた切れ長の目が、じっと五郎太を見つめていた。
――刹那、狂おしいまでの衝動が五郎太の中に起こった。女の言う通り、まさしく千載一遇の場面だった。いかな五郎太とてどのような女でもいいというわけではない。むしろ制約がある分、好みには煩く、なまなかな女には何も感じない。
その点、目の前の女は五郎太の眼鏡にかなったのである。心より抱きたいと思え、障害なく抱くことができる女が抱いてみよと言っている――たしかにこんな機会が五郎太の人生に二度あるとは思えなかった。
女の物言いは五郎太を誘っているようにも聞こえる。ここで女を犯したとしても、人の道に外れるということはあるまい。逆に、据え膳を食わぬは男の恥であるという。五郎太は、今まさに獣となろうとしている自分に気づいた。だが――
「言ったであろう。俺に衆道の趣味はないと」
そう言って五郎太は寝返り、女に背を向けた。
怖気付いたためではない。からかうように五郎太を見下ろす女の眼差し――その中に、かすかな怯えの色が浮かんでいるのを認めたのである。
あるいは女は五郎太に犯されることを望んでいるのかも知れない。だが、きっとそればかりではない。この状況で我を張ろうとする強がりが女をしてあのようなことを言わしめた――それがわかって、五郎太の中に燃え盛っていた衝動は急速に失せていった。
代わりに五郎太の中に宿ったのは、同情だった。なぜそんな感情が起こったのかわからない。だがこの状況で強がりを口にせずにはいられない女に、五郎太は何とはなしに同情を覚えたのだった。
「それに、好き合うてもおらぬ女を手篭めにするは俺の望むところではない。互いに好き合うた者同士が結ばれてはじめて桃花源の境地に至れるものであろう」
もっともらしいことを口にしながら、五郎太は自分でも言い訳じみていると思った。女を抱いたこともない者が何をわかったようなことを言っているのだろう――と。
さっきの女ではないが、まさに強がりだ。同情を覚えたのも道理である。結局、五郎太も女と同じように怯えているのだ。
では何に怯えているのか? ……もちろん、女と抱き合うことそのものに、である。
たわむれに誘いかけられた女に背を向け、取ってつけたような理想を説いて煙に巻こうとする――そうせずにはいられないほど、女嫌いは五郎太にとって根が深い
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