034 近習(4)
「……」
思わせ振りなその
そんな五郎太を認めたメロメは、
「ねえ、お兄さんはどう思うの? 陛下はお兄さんのことからかってただけだと思う?」
「……」
……
この者はクリスの秘密を知悉しているのか――五郎太の中に生じた疑念はそれだった。
メロメの問いは先程の衆道についての話を混ぜ返そうとしているようにも聞こえた。だが、女としてのクリスが悋気
……何れにしてもこの
何よりこれは一人己ばかりの問題ではない。墓まで持ってゆくと約束した以上、この者が知ろうが知るまいが何としてもクリスの秘密を漏らすわけにはいかない――
「……ここまで付き
果たして五郎太の口から出たのは、そんな当たり障りのない返答だった。
「ふうん、そうくるの」
薄ら笑いを貼り付けた顔をそのままに、だが幾分
矢張り
……まったく、俺も厄介な相手に目を付けられたものよ。そう思って、五郎太は大きくひとつ息を
「……お主、勝手気儘を許されていると言ったな」
「ボク? うん、そうだよ。皇帝陛下とはもう長いからね。何をしても何を言っても、ボクだったらたいていのことは許されるのさ」
「俺の国には逆鱗という言葉があってな」
「ゲキリン? なにそれ?」
「竜という生き物がおって……ああ、勘違いするでないぞ。俺が屠ったあの物ノ怪とは違う。竜というは、
「へえ! それでそれで?」
「その逆さまの鱗を逆鱗と言うてな。それに触れると竜は怒るのだ。激しく怒って、触れた者を八ツ裂きにする」
「……」
「故に俺の国ではな、天子様の怒りを逆鱗と申すのよ。天子様というは
「……」
「あやつにも逆鱗はあろう。お主は勝手気儘を許されておるのやもわからぬが、俺は違う。お主に付き
わずかに声に殺気を込め、五郎太は冷たく言い放った。
にやにやといやらしい笑みをそのままに、だが流石にどこかばつが悪そうな表情を浮かべて、「おお、こわいこわい」とメロメは呟いた。
「お兄さんは、なにかヘンな勘違いをしているんじゃないかなあ?」
「勘違いであれば仔細ない。何れにせよ、口は災いの
「そんなことないよ? いずれ陛下の堪忍袋の緒がきれて手ずから
そう言ってメロメは満面の笑みを浮かべた。明らかに異常なその物言いに五郎太は絶句し、だがふと思いつくところがあって、また口を開いた。
「
「なにそれ?」
「主君を諫めて死を賜ることを専らの役割とする家臣のことよ。古く唐にそうした官職があったと聞く」
「へえ、面白いね! けど、ボクはそんなたいそうなもんじゃないよ」
メロメはそう言ってひょっこりと五郎太の前に躍り出、あのときのようにひょこひょこと奇妙な舞を舞って見せる。
「前にも言ったでしょ? ボクは誰よりも愚かで誰よりもちんちくりんの宮廷道化師! 下品なことでも罵詈雑言でも、なんでもかんでも言い立てて、あの頭でっかちの皇帝陛下にほんのひとときでも笑っていただくのが使命なんでござぁい!」
五郎太の周りを舞い踊りながら、
好い加減
「それに、気を付けないといけないのはお兄さんの方だよ?」
「気を付ける? 俺が何に気を付けろと言うのだ」
「殺されないように、だよ」
先程の五郎太と同じようにかすかに殺気の籠った声で、けれども矢張り薄ら笑いを浮かべたままメロメは言った。
「リッテンドルフ選帝侯、ゲント侯、バルトリア辺境伯、モンテロザリオ伯――少なくともこの四人には、お兄さんにいなくなってもらいたいはっきりとした理由がある」
「……」
「エルゼベート様は
「
「え? なにそれ?」
「いや、こっちの話よ」
「……まあいいや。だから陛下から距離を置く人たちはみんなルクレチア様にすり寄るのさ。戦での強さと政治力、このふたつを兼ね備えてあの二人に対抗できるのは大公殿下のご令嬢であらせられるルクレチア様だけだからね」
「しかし、それでは話がおかしいのではないか?」
「なにがおかしいのさ」
「ルクレチア殿はクリスの
「なにもおかしくなんてないよ。仲むつまじい貴族の夫婦なんて稀だからね。お兄さんの国はそうじゃないの?」
そう言われて、五郎太ははたと考え込んだ。
確かに日ノ本において大名とその御台様との諍いはあまり聞かない。しかし一方で、親兄弟で争い合う家は枚挙に暇がない。日ノ本における家督争いに
裏を返せば、女性が戦や政の表舞台に上がり得る世であれば、家督争いに関わってくるのも道理であろう。となれば、
「もうお年のコロネイア大公は担ぎがいがないにしても、今や帝国の錬金術師団を一手に掌握することとなった公女様には充分に肩入れする価値がある。陛下とエルゼベート様のご兄妹に反感を持つ者は、ルクレチア様の更なる台頭を願って陰になり日向になり動き回る――それがここまでの宮廷内の人間模様だったのさ」
「……」
「でもね、お兄さんがエルゼベート様と結婚するとなると、その構図がまたガラッと変わってくるんだよ」
「……どういうことだ」
「竜殺しの英雄として一躍時の人となったお兄さんがエルゼベート様の隣に立つ! ここんとこ陛下とベッタリの、陛下の子飼いと言ってもいいお兄さんがね。世の中の人たちはそれをどう見るかなあ? 陛下とエルゼベート様の陣営に一枚とびきり有力なカードが加わったって、そう見るんじゃないかなあ?」
「……」
「これでお兄さんに何らかの権限が与えられれば宮廷内のパワーバランスは一気に崩れるよ? たとえば……そうだな。しばらく名前だけになってた帝国第三騎士団、つまり白兵騎士団を復活させて、その団長に据えるとかさ。そしたら色んな綱引きが始まるだろうねえ。ボクは今からそれが楽しみでならないよ」
そう言ってメロメは心底面白そうに笑った。そんなメロメを見つめながら、何が道化だ、と五郎太は思った。
この国で出逢った他の誰よりも、この者はこの国の
ただ一方で、五郎太はこの手の
「……聞くからにおどろおどろしい話よな。正直、俺は関わりとうない」
「なに言ってるのさ! お兄さんは今まさに始まろうとしてるその政局の中心にいるんだよ?」
追い打ちをかけるメロメの宣告は無慈悲だった。またしても五郎太は絶句し、致し方なくメロメの話の続きを待った。
「さっきの話だけどね。陛下はお兄さんとエルゼベート様との間に子供ができる可能性を探りたかったんだと思うよ?」
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