033 近習(3)

「げ。なヤツが来た……」


 相変わらず奇矯な装束に身を包んだ侏儒こびとの姿を認めるやクリスは露骨に眉をひそめ、開口一番そんな悪態をついた。


「おや! これはおおせ! 本当は愛しいこのメロメめの顔が見たくてたまらなかったのではありませんか?」


「ああ、見たからもういいよ、とっとと帰れ」


 曲舞くせまいでも舞うような軽妙な身振りで纏いついてくる侏儒に、クリスはそう言ってしっしと手を振る。


 そんな二人の遣り取りを横目に見ながら、五郎太はつい吹き出しそうになった。なんとなれば、それは先刻岩屋に老爺を訪ねたとき、クリスと老爺との間で交わされた遣り取りに瓜二つであったからだ。


「それはそうと、陛下におかれましてはまた義弟君おとうとぎみとご一緒であらせられますですか」


わりいかよ。つか、まだ義弟じゃねーし」


「まだ義弟君ではない? いやはや、それではなおのこと。こうして耳をそばだてておりますと口さがない下々の者が囁き合う噂が、このメロメめの耳にも届くようでござりまする」


「ほう、どんな噂が?」


「そりゃもう言わずもがな。我らが敬愛するあの皇帝陛下が、お許嫁いいなずけ様であらせられる公女様とのご婚儀を前に、どこぞで拾ってきた異国情緒豊かなる色男に入れあげていると」


「そりゃいい。そんな噂なら大歓迎だ。なんならメロメ、オマエがそこいらに触れ回ってくれてもいいぞ?」


「左様でございますか! いやはや、これは何とも楽しいことになって参りました。皇帝陛下の仰せとあらばお断りすることなどもってのほか。このメロメ、喜んで承りましてござぁい」


「……おい、いい加減にせぬか」


 メロメが恭しく一礼し早々に立ち去ろうとするのを見るに及んで、それまで黙って聞いていた五郎太が堪らず止めに入った。


 メロメが足を止め、クリスと目を合わせる。それから二人示し合わせたように、どこか似たような眼差しを五郎太に向けてくる。


「なんか問題でもあったか?」


「大ありだ。言うに事欠いて何を口走るかと思えば俺がクリスの色小姓だと? 事実無根にも程があろう。第一、メロメとか言ったな、この者は曲がりなりにもこの国の太守ではないか。かような身の恥が出回ったのでは、かなえの軽重を問われることにもなりかねまいぞ」


「いやいや、それは見当違いというものです。お兄さんのお国はいざ知らず、ここ千年帝国において男色は高貴なるお方の嗜みとして古来よりたっとばれているのですよ。ですんで、ボクが陛下とお兄さんの仲を触れ回ったところで、お二人にとってそれはにこそなれ、身の恥になどなることはまずもってございませぬ!」


 意気揚々と胸をのけぞらせて言うメロメに、五郎太は言葉に詰まった。


 五郎太の国はいざ知らず、とメロメは言ったが、そのあたりの事情は日ノ本においても概ね似たようなものである。右大将様の衆道にお盛んなることは織田家家中で知らぬ者とてない公然の秘密であったし、討ち果たされるその時まで、森三左さんざ様がご子息の美童をお傍に侍らせていたことは五郎太も伝え聞いている。


 お屋形様がどうであったかは五郎太の与り知るところではない。けれども、羽柴筑前が女子おなごしか相手にせぬ無粋の者とて陰で笑いものにされていたことを思えば、メロメの言葉ではないが日ノ本においても衆道を嗜むことがある種のとなっていたことは想像に難くない。だが、しかし……。


「……兎にも角にも、そのように根も葉もない流言飛語は断じて許さぬ。だいたいクリスもクリスであろう。人もあろうに妹の婿となるやも知れぬ男との間にそのような噂を立てられて何とする」


「つか、そのあたりどうなんだ?」


「……? そのあたりとは」


「実際のところ、ウチの妹とはどうなってるのかって聞いてんだよ」


「あ、それボクも聞きたいなあ!」


 そんな一言を皮切りに、クリスとメロメはまたしても示し合わせたように五郎太を見た。


 食い入るような四ツの眼差しがちりちりと己の身に注がれるのを感じながら、五郎太はいずれかかる問いを投げ掛けられたときのためにと予め用意してあったお仕着せの回答を口にのぼらせた。


「……どうもこうも、エルゼベート殿から奏上いただいた通りだ。婚約の儀は謹んで承る。ただ、いきなりの話にお互い思うところもある故、祝言はいずれ春永はるながにということで――」


「お互い思うところねえ……。オレとしては毎晩あいつの部屋で寝泊まりしといて今さらなに言ってんだか、って気持ちでいっぱいなんだが」


 その言葉に、五郎太は愕然としてクリスを見た。


「知っておったのか!?」


「知らねーとでも思ったか。つーかよ、確かに決闘のとき『貞操かけて』とか言ったけどさ、それって結婚した暁には、って意味だったんだぞ? 父代わりの兄としては、大事な妹の結婚前にそういうのはなあ……」


「……」


 内容とは裏腹にさして案ずる様子もないその言葉に、けれども五郎太は俯いて押し黙った。


 クリスのげんは至極もっともである。嫁入り前の、しかも一国の姫君と寝所を共にするなど言語道断。日ノ本であれば即座に叩っ斬られていてもおかしくない。


 ……ただ、五郎太にも言い分はある。寝所の件は五郎太から望んでのことでは決してなく、エルゼに押し切られる形で止むなくそうしているのだ。重ねて言えば姫君の貞操に傷をつける行為になど及んでおらぬことは言うに及ばず、指一本触れていないというのが実情なのである。


 もっともこれについては、嫁入り前の娘とて我慢してそうなっているのではなく、触れたくとも触れられぬ切ない事情あってのことなのだが。


 その事情はクリスも――いや、秘密を共にするクリスなればこそ理解してくれる筈である。クリスだけにであればまことの所を打ち明けなくもない。だが、この道化の前では……。


 そこで助け舟を出してきたのは、意外にもその道化であった。


「いやいや、それについては大丈夫。ご心配はご無用でございますよ、陛下」


「はあ? 何が大丈夫だってんだ」


「エルゼベート様はまだ正真正銘の生娘きむすめにございます! つまり、エルゼベート様の貞操はまだこのお方に手をつけられてはおりません!」


 自信満々にそう言い放つメロメに、クリスは訝しげな眼差しで五郎太を見る。苦虫を噛み潰したような五郎太の顔をしばらく見つめたあと、またメロメに目を戻し、呆れたような声で言った。


「……どうやらそうらしいけど、なんでオマエそんなことわかるの」


「それはもう! 踏んできた色恋沙汰の場数が違いますんでありますから!」


「……色恋沙汰の場数ねえ。まあ根っからの遊び人のオマエが言うと説得力もあるか。けど、だったらうら若い男と女が毎晩一緒の部屋で、いったいなにやってるってんだ?」


「さあ? そのあたりはご本人に訊いてみないことにはなんとも……」


 メロメの言葉に、二人は無言でじっと五郎太を見つめる。毛穴の数まで数え上げんとするが如き視線の圧を受けながら、五郎太は歯を食いしばってその恥辱に耐えた。


 ……惚気のろけならまだ良い。だが、これは惚気にすらならない。口にするのも情けない女嫌いという積年の病を、将来の妻と成り得る者の助力により治さんと試みている最中なのである。


 救いがあるとすれば、この問題に取り組むエルゼの態度であろう。当事者の一方であるエルゼは、クリスが苦言を呈したその状況をまったく苦にしないばかりか、むしろ嬉々として楽しんでいる節さえある。


 だが、五郎太は違う。エルゼへの申し訳なさと己への情けなさとで憤懣遣る方なく、あまつさえいつでも抱いて良いと言われながら、触れたくとも触れられぬ女体を夜毎に眺め、正に垂涎ものの大御馳走を前に吐き気をこらえて身悶えるようないわく言い難い拷問の日々を送っているのである。


 押し黙る五郎太の胸の内を知ってか知らずか、メロメはやおら夢見る童女のような華やいだ表情を浮かべると、芯から嬉しそうな声で言った。


「ただひとつだけ確かなのはぁ、エルゼベート様は生まれてはじめての恋をしてらっしゃるということでございますぅ!」


「ああ、それな。オレもウチの妹があんな風になっちまうなんて思ってもみなかったぜ。なにせ『わたくしはもうゴロータ様とでなければ生涯誰とも結婚致しませぬ』とまで言い切られちまったからなあ」


 エルゼはそんなことまで口にしたのか……追い討ちをかけられたように更なる羞恥でいっぱいになる五郎太を、またぞろ二人分の眼差しがじっと見つめる。そしてまた歯噛みしてそれを遣り過ごそうと必死になる五郎太。


「それにしてもこのお兄さんの何がそこまであのエルゼベート様の乙女心を鷲掴みにしたのか、ボクとしてはそのあたりにとっても興味がありますねえ」


「それなんだがな、こないだウチの妹にちょっと聞いてみたところが――」


 そう言ってクリスはぼそぼそとメロメに耳打ちする。やがて驚きに大きく目を見開いたメロメが、世紀の秘事でも打ち明けられたように辺り構わぬ大声で叫んだ。


「ええ!? あのエルゼベート様が頬を赤らめて『あのお方の前ではわたくしはか弱い一人の娘でいられる』ですって!?」


「バッカ、声がデカいって! 誰かに聞かれたらどーすんだ」


 そう言って、さも大事おおごとと言うように顔を見合わせあったあと、二人は揃ってちらりと五郎太に目を遣る。ちらり、ちらりと。


 芝居がかったその仕草に調子を合わせる気にもなれず、唯々ただただ歯を食いしばって耐える五郎太などお構いなしに、二人は尚もその狂言じみた掛け合いを続ける。


「ということは、やっぱりエルゼベート様の方がお兄さんにホの字ってことになるんでござりましょうか?」


「いや、どうもそればっかりじゃないらしい。こないだウチの妹にちょっと聞いてみたところが――」


 そう言ってクリスはまたしてもメロメに耳打ちする。そうして先程のそれを焼き直すように目を丸くしたメロメが勝ちどきのような大声で叫ぶ。


「ええ!? あのエルゼベート様がもじもじと恥じらいながら『この世でお前が一番美しいとあのお方にはっきり言われた』ですって!?」


「バッカ、声がデカいって! 誰かに聞かれたらどーすんだ」


 クリスは口の前に指を立ててそう言い、メロメと顔を見合わせると、やはり二人揃ってちらりと五郎太に目を遣る。ちらり、ちらりと。


 このような猿芝居にはとてもではないが付きうていられぬ……そう思いながら、さりとて逃げ出すこともできず、もはや羞恥とも怒りともわからぬ情念のため真っ赤になった顔を俯かせて、五郎太は声も出せずにいた。


 そこへ、それまでより幾分真摯なクリスの声が掛かった。


「なあ、ゴローさんよ。ダンマリを決め込むのもいいが、妹を思うオレの気持ちも少しは慮ってくれねーか」


「……」


「オレとしちゃ、二人が望まない縁談を押し付けちまったんじゃねーかって負い目がある。実際のところ、オマエがウチの妹のことどう思ってんのか、兄として率直なところを聞かせて欲しいんだわ」


 薄ら笑いを浮かべてそう言うクリスからは妹への思い遣りなど微塵も感じられない。だがその一方において、言っていることは至極もっともなようにも聞こえる。


 両親亡き今、ただ一人残った妹の仕合わせを案ずる兄のげんであることを思えば無碍むげにはできない。そう思い、五郎太は大きく溜息をついた。


「……俺に言えることはひとつだけよ。あれほど可憐でいじらしい女子おなごを、俺は他に知らぬ」


 口にした本人ならずとも赤面を禁じ得ないうぶな人物評はその実、嘘偽りのない五郎太の本心でもあった。羞恥に身を焼きながら五郎太は、どれ程にやついた顔で己を見ているのであろうかと二人を垣間見た。


 だが、クリスとメロメは揃ってあんぐりと口を開け、ほうけたように五郎太を見ていた。やがて二人はゆっくりと顔を見合わせ、苦笑いのようで苦笑いではない何とも微妙な表情を浮かべ、口を開いた。


「『火炎でイビるらしい』の聞き間違い……かとも思ったんですが、どうやらそうでもないようで」


「ああ……『可憐でいじらしい』か。帝国広しと言えどもウチの妹のことそんな風に言うやつ、こいつくらいだろうなあ」


 呆然とした表情を顔に張り付けたまま、クリスとメロメは感にえたと言うように何度も頷き合っている。


 そんな二人の様子を横目に眺めながら、五郎太はにわかに苛立ちを覚え始める自分を感じていた。己が小馬鹿にされるだけならまだ良い。だがあの凛々しくも美しい女性にょしょうまで一絡ひとからげにして嘲弄するのは断じて捨て置けぬ。たとえそれがこの国の太守であっても……。


「ま、あいつがゴローに夢中になるわけが何となくわかった。これからもひとつその調子で頼むぜ。さっきも言った通り、あのジャジャ馬をここの厩につなぎとめておくことがこの国の至上命題なわけだからな」


「……おい、クリス。口の聞き方に気を付けよ。あの老爺にも言ってやりたかったのだが、いかな兄とは言え一国の姫を馬呼ばわりは――」


「あ、そういや用事あったの思い出した」


 わずかに怒気を孕んだ五郎太の警句をそんな言葉で遮ると、クリスは踵を返し、「そんじゃな」と言って元来た道を駆け戻っていった。


 気勢を削がれた五郎太は最初呆気あっけにとられ、それからしばらく口の中でぶつぶつ呟いていたが、やがて頭の裏を乱暴に掻きむしり、気持ちを切り替えるように大きくひとつ息をついた。


「……まったく。人をさんざんにお嘲繰ちょくりよってからに」


「んー、どうだろ。お兄さんはあれ、からかってただけだと思う?」

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