032 近習(2)
「――恩を売ったつもりか」
「んー? まあ、そうなんのかなあ」
石造りの長椅子に腰掛け、庭園の花々を眺めていたクリスは、気の抜けた声でそんな返事を返した。
老爺を訪ねた岩屋までの行き帰り、クリスは供回りの者も連れず五郎太と二人、あの旅路のように北斗の背にあった。
決闘の日からこの方、クリスと五郎太は三日にあげず二人で城を抜け出しては、こうして領内のそこかしこを巡っている。無論、五郎太が所望してのことではない。毎度毎度クリスに腕引かれ、否応なく連れ出されるのである。
もっとも五郎太にしてみれば部屋に引き篭もっていたところでやることなどないのであるから、クリスに引き回されること自体をそれほど迷惑に思っているわけではない。ただ、こうして連日に渡りクリスに付き従う己の姿は、さながらこの者の
周囲の者にそう
「まあ、あいつらがあの谷でコソコソやってんのはだいぶ前から掴んでたんだわ。で、どう落とし前つけてやろうかってのも、つらつらと考えてはいたのさ」
言いながらクリスは長椅子を立ち、頭の裏に手を組んで王宮に向かい歩き出す。五郎太も黙ってそのあとに続いた。
「あそこは元々そういうもんが埋まってるってことわかってて、だからご先祖が
「……」
「ただ、連中が法を破ったのは事実だし、簡単に許したんじゃ示しがつかねえ。無理難題のひとつでも解いてもらわねえことにはな。だからまあ、恩を売るには売ったんだろうが、売りっぱなしってわけでもねえ。月イチで利子ついて返ってくるみてえだから、まあ見てろって」
「……そうではないわ」
「ん?」
「あの者達に恩を売ったつもりかと訊いたのではない。
溜息混じりにそう告げる五郎太の声には、身に覚えのない手柄で褒美を賜ったような戸惑いが滲んでいた。
槍を直すという約束をクリスが守ってくれたのは有り難い。鉄では同等のものが打てぬからこの国に産する類い稀な材でそれを造ってくれるということにも、感謝こそすれ不満など覚えるべくもない。
政でそれだけ譲歩してでも緋々色金で槍を造らせたこと――五郎太の目に、それはクリスが自分を家臣に取り込むために恩を売っているように見えてならなかったのである。
だがそんな五郎太の問いに、クリスは心外だと言わんばかりにべっと舌を突き出し、「んなわけねーだろ」と吐き捨てるように言った。
「オマエに恩を売ったつもりはさらさらねえ。むしろオレはオマエを使って実験させてもらおうと思ってんだよ」
「実験?」
「ああ、実験だ。錬金術が精霊魔法を駆逐し、戦法の主流になりつつあるこの現状にどデカい風穴をあけるための、それはそれは壮大な実験をな」
「……ふむ」
呟いて、五郎太はそれ以上追及するのをやめた。
クリスの
――老爺との話にものぼっていたが、先の太守だった父君の逝去に伴いクリスは十五にして家督を継ぎ、それから今日まで東奔西走しながらどうにか国を保ってきたのだという。
その話は五郎太に右大将様の若い
クリスの父君はさる地での
思えばあの果し合いのあとの宴で引き合わされたクリスの家臣はそのほとんどが若い顔ぶれで、五郎太は内心にそれを訝しく感じていたのだが、そういう絡繰りだったのだ。これはちょうど長篠の戦で老臣の大半を
ただ違いがあるとすれば、クリスは信玄公の戦い方を何ひとつ変えようとしなかった
「もっとも、ジジイに言ったことにウソはねえ。オレはオマエにそれだけの価値を見込んでる。地竜退治のときからひょっとしたらと思ってたんだが、エルゼベートとの決闘で確信に変わった。どこから来たともわからねえこの男は、錬金術一辺倒の今のやり方を大きく変える進化のキーになり得るんじゃねえか、ってな」
「……またその話を持ち出すか。繰り返すがあんなものは勝ったうちに入らぬ。それこそ奇跡のようなものだと何度も言っておるではないか」
そう言ってふんと鼻を鳴らす五郎太を、クリスはにやにやと笑いながら横目に眺め、「奇跡ねえ」と呟いた。
「地竜を屠ったのも奇跡、決闘でエルゼベートに勝ったのも奇跡。オマエの身にはいったい奇跡が幾つ起こるんだろうなあ?」
「……ふん」
捨て駒になれということならまだ良い。一度は捨てようと思い定めた命である。日ノ本を遠く離れたこの国の土に還ることについてはまだ承伏しかねる思いもあるが、死んでしまえばそれも瑣末な問題に過ぎまい。
だが右大将様にとってのお屋形様の如きものになれ、とクリスが俺にそう言っているのだとすればそれは見込み違いもいいところである。五郎太はそう思い、否定の意味合いを込めて大きく息を
「好きにするが良い。但し、
「そんなこたねえさ」
間髪入れず返ってきたクリスの反駁に、五郎太は意表を突かれた。訝しげな眼差しを向ける五郎太に構わず、さも当然のことを言うようにクリスは尚も続けた。
「オマエがただの
「俺が外交だと!? なにをばかな、そのようなことできる道理が――」
「だってオマエ、あのエルゼベートを見事に
予想もしなかった方角から飛んできた矢に、五郎太はまたしても意表を突かれた。思わずクリスの顔を見守る。だがそこにからかいめいた色はなく、逆に大真面目な表情でじっと五郎太を見つめている。
「エルゼ……殿とのことは
「まーた始まった。何がたまたまだ」
いい加減呆れたと言わんばかりの、わずかに苛立ちさえ感じられる声でクリスは呟いた。横目で見る五郎太に挑むような眼差しを返したあと、クリスは視線を前に戻してふうとひとつ息を
「あのおっかねえ妹をあんな風に
「……」
「言っとくがな、俺が最優先で取り組むべきこの国最大の問題と位置付けていたのは他でもねえ、あいつの婿選びだったんだ」
「……そうなのか?」
「ああ。情けねー話だが、この国はもうあいつなしには立ち行かねーんだよ。なにせ三年前に
そう言うクリスの声にはどこか忌々しそうな、もっと言えば畏怖するが如き響きがあった。
血を分けた妹であるのに――などと五郎太は思わない。骨肉相食む乱世に、兄弟の確執などどこにでも転がっている話だからだ。
実際、右大将様も家督を継いですぐの頃、弟君である
「ガルトリアには攻め込まれるわ、サラディーには圧迫されるわ、そんな中、ガタガタの帝国騎士団でどうにかここまで持ちこたえてきたのは、戦の申し子みてえなエルゼベートの才覚と、あいつ自身の規格外れの精霊魔法の実力あってのことだ」
「……」
「だから間違ってもあいつをよその国には嫁に出せねえ。かと言って帝国にはあいつに釣り合う男なんか一人もいやしねえ。それでも
「……ふむ」
「そいつをオマエがものの見事に解決してくれたんだ。決闘だけじゃねえ、あいつの言葉借りりゃ『信じられないほど知的でエレガントな小さな宴』によってな。そんなもん見せられたら、オマエの外交手腕に期待すんなっていう方が無理だろ」
「……成る程」
色々と思うところはあった。だがそれらを呑み込んで五郎太は短くそう返した。
茶の湯
その外交の場で茶の湯が功を奏し、エルゼとの関係を良いものにするという成果を上げることができた……それをもってクリスが茶の湯に外交の手段としての有用性を見出したのだとすれば、為政者の着眼点としてそれは決して的外れではない。
それに、思えば天王山の
そう思い、五郎太は自説を捨てることにした。
……精々試してみるがよかろう、外交でも何でもやらせてみるがいい。半分
「ただ、それはあくまでオレの希望だ。エルゼベートとのことだってそう、オマエが望むならあいつを貰ってやって欲しいってことだった。……まあ、今さらだけどな」
「……」
「強引に取り込もうとしているわけじゃねえんだ。オマエの意志を捻じ曲げてまで廷臣にしようとは思わねえ。そのへんについては誤解して欲しくねえなあ」
「……ふむ」
「槍のことはまた別だ。あの槍、ジジイがたまげるくらい凄えもんだったんだな。……そんな槍を、オレ助けるために折らせちまった。だったらオレは持ってる材料ぜんぶ出してでも、その槍を元通り以上のもんにしてオマエに返すしかねえだろ」
しみじみとそう言うクリスの言葉には誠意が滲み出ていた。実際の腹の内はわからない、だが少なくとも五郎太にはそう感じられた。
「……そういうことにしておこう」
それ故に、五郎太はそう返すしかなかった。兎にも角にもクリスはあのときの約束を守り、摩利支天を元のあるべき姿に戻そうとしてくれているのだ。そればかりは認めてやらねばなるまい。
だがそう思い得心しようとする五郎太の気持ちを裏切るように
「あとまあ、あの槍はさっき言ってた実験の計画線上にあるんだなこれが」
「ん?」
「オマエの感覚からして、エリクシルで地竜は
「鉄砲であの化物をか? 斃せぬ」
「術師がどんだけいてもか?」
「数の問題ではない。何万人いても斃せぬ」
「それだ。オマエの言う通り、おそらく錬金術師何万人揃えようが地竜は斃せねえ。だったらオレたちの手で、オレたちに味方する地竜をつくればいいじゃねえか、って話になるだろ」
「あの化物を作る? それはどういう――」
「おやおやあ? これはこれは」
五郎太の問い掛けを遮って、背後から声がかかった。
振り返ればそこにはあのときの
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