031 近習(1)

「――おーいジジイ、生きてっかー?」


 岩屋の中からは鉄を打つ鈍い音が聞こえた。


 切り立った岩肌をり貫いて造られたものと見える昼なお暗いその岩屋の奥には、赤熱した鉄火に金槌を振り降ろす黒い人の影が見える。


 クリスが呼び掛けても影はそこから動かない。致し方ないといった感じでクリスが岩屋の中に踏み入り、五郎太もそのあとに続いた。


 暗さに目が慣れてくると、影だったものは人の形を取りはじめた。


 背の低い老爺ろうやだった。身の丈はいつぞやの侏儒こびとと同じくらいだが、いわおのようなその体躯を矮身と呼ぶには語弊がある。口周りには立派な髭をたくわえ、顔には年輪のように深い皺が刻まれている。


 鉄を打つ手を休めず、中に入ってきた五郎太達には目もくれないまま、くじで外れを引いたときのように素っ気ない口調で吐き捨てるように老爺は言った。


「……なんじゃい、殿下かい」


「もう殿下じゃねえって言ってんだろ、ったく……」


「して、今日はまた何の用じゃい」


「用がなきゃ来ちゃいけねえような言い方だな。久しぶりに愛しのジジイの顔見に来た、とか思わねえのか?」


「ほう、ではもう見たであろ。帰れ」


「……相変わらず冗談の通じねえジジイだな。おいゴロー、あれ見せてやってくれ」


「うむ」


 五郎太はクリスに言われるまま壊れた槍――摩利支天の成れの果てを老爺に差し出した。


 槍を手に取った老爺は少し驚いた顔をし、鎌の折れた穂と、折れた鎌をしばらく見つめたあと、感に堪えないという声で呻くように言った。


「……これは、業物わざものだの。素晴らしい。鉄の到達できる極地を見る思いだわい」


 その後も老爺は矯めつ眇めつ槍を眺めながら、口の中で何やら呟いている。そんな老爺の姿に、五郎太はなにとはなしに誇らしい気分になった。


 日ノ本であれば至宝に等しいこの槍のあたいを、イスパニアの刀鍛冶が正しく認めてくれている。少なくともこの老爺は刀鍛冶として信を置くに足る――そう五郎太は思った。


「粘り強く、切れ味抜群。儂でもお目にかかったことがないほどの比類なきはがねよ。こんな大層なしろものがなぜ折れた?」


「地竜に刺したら折れたんだとよ」


「何だと?」


「この槍で地竜を屠って、けどそんときぶっ壊されてダメになっちまったんだよなあ?」


 クリスの問いに、五郎太は無言で頷いた。そんな二人の遣り取りに、老爺は瞠目して五郎太を見た。


「ほう! では、この若いのがあの噂の竜殺しにして、邪々馬じゃじゃうま馴らしの異邦人かい!」


「ま、そういうこった」


 頭の裏に手を組み、薄笑みさえ浮かべてそう応えるクリスとは逆に、五郎太は幾分むっとした顔で老爺を睨んだ。


 何という口さがない老爺だ。いやしくもお国の姫君を称して邪々馬とは何だ、邪々馬とは……。だがそんな苛立ちの中に、五郎太は老爺が邪々馬が誰とは一言も言っていないこと、更には自らがエルゼベートをと認めていることに気付かない。


「――で、ジジイに頼みなんだが、この槍を直して欲しいんだわ」


「直すだと!? この槍をか」


「だからそう言ってるじゃねえか」


 老爺は信じられないことを言われたように摩利支天を、それからまたクリスを見た。


「なんだよ、できねえのか?」


「……できんではない。できんではないが、鉄をここまでに鍛え上げるんは儂にも――」


「なんだったら、鉄じゃなくて別の材料でイチから作ってくれてもいいんだぜ?」


「別の材料?」


「ヒヒイロカネが出たらしいじゃねえか、皇家の谷で」


 クリスのその一言に、老爺がさっと顔色を変えるのが見て取れた。


緋々色金ひひいろかねだと?)


 だがそれよりも、クリスの口から出たその言葉が五郎太の気に掛かった。緋々色金の名は五郎太も聞いたことがある。製法の失われた神代のかねで、その硬さたるや金剛石の如く、その粘りたるや黄金こがねの如しという。


 もとより実物など見たことはない。と言うより、そのようなざいがあるという話からして御伽噺のたぐいであると決めてかかっていたのである。だが、何としたことだろう。日ノ本を遠く離れたここイスパニアにその緋々色金が実在するという……。


 五郎太がそんな述懐に耽る傍ら、老爺はしばらく厳しい顔でクリスをめつけていた。だがやがて無言で金床かなとこに向き直ると、金槌を手に取り、それをまだ赤みの残る鉄に叩きつける作業に戻った。


皇家うちの聖域ってことになってるあそこでの採掘が御法度だってのはジジイも知ってるよな?」


「……」


「手ぇつけたのがちょうど先皇オヤジが死んだあたりってことだから、ドサクサに紛れてバレねえでやれると思ったのか、それともオレなら与し易しと思われちまったか」


「……どちらでもない。儂が掘れと言ったのだわい」


 薄暗い岩室いわむろに鉄を打つ鈍重な音を響かせながら、どこか不貞腐れたような声で老爺は言った。


「あそこにが埋まっとることは臭いでわかっとった。先皇あやつの葬式であの谷に降りて間近にその臭いを嗅いじまい、どうにもならんくなったんだわい。総ての責任は儂にある。煮るなり焼くなり好きにせい」


「誰もそんなこと言ってねーだろが」


 呆れたようなクリスの声に、老爺は金槌を振り上げる手を止め、ゆっくりとそれを下した。それからクリスに向き直り、厳つい顔にかすかな、だがはっきりそれとわかる畏れを滲ませた表情をのぼらせ、低く押し殺した声で言った。


「……皇家の谷での、採掘を認めてくれると言うのかい」


「それだけじゃねえ。ジジイがずっと欲しがってた、あんたらドワーフの自治権を認めてやるよ」


「何だと!?」


 その言葉が余りにも意外だったのだろう。老爺は驚愕に目を見開いてクリスを見るや危うく金槌を取り落としそうになり、どうにか落とさずにそれを金床の上に置いた。それから真顔に戻り、大きくひとつ息を吐いたあと、訝しむような目をクリスに向けた。


「見返りに、どんな恐ろしいものを要求するんじゃい?」


「だから、槍だっての」


「何……?」


「そっから掘り出してきたヒヒイロカネで、コイツのために槍を作ってやって欲しいって言ってんだ」


 クリスのその言葉に、老爺の目がすっと細くなった。


「つまり、神々が創りし武具の域に達するものを、この儂に鍛えろと言うんじゃな?」


「ま、そういうこった」


「それほどの男かい、この若いのは」


「ああ、それほどの男だ」


 そう言ってクリスはにやりと笑い、五郎太の肩を強引に抱き寄せた。五郎太は五郎太で辟易とした顔をし、「やめい」と言ってぞんざいに撥ねつける。立場を考えれば無礼な言い草に違いなかったが、この老爺の前であれば許されるような気がしたのである。


「形は、元と同じものが良いのかい」


 クリスではなく五郎太を見て老爺が言った。


「ああ、でき得るなら」


 素直に答える五郎太に、老爺は今度はクリスに目を向けて、言った。


「納期は?」


「可及的速やかに……ってとこだな」


一月ひとつきもらおうかい。一世一代の仕事をして見せるわい」


「さっすがジイサン、宜しく頼むぜ」


 クリスはそれだけ言うと用は済んだとばかりに手を振って岩屋を出ていってしまう。慌てて追いかけようとする五郎太を、「おい若いの」という老爺の声が呼び止めた。


「何か?」


「精々気をつけるがいいわい」


「何のことだ」


「あの男、見かけによらずとんだ食わせものだぞい」


「……そのあたりは重々承知しておる」


 そう言って苦笑いし、御免と言い残して出てゆく五郎太を、老爺は渋い顔で見送った。そしてすっかり冷めてしまった鉄を矢床やっとこで掴むと、赤々と燃え盛る火の中に放り込んだ。

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