038 練兵(3)

(……矢張り、中々に難しきものよ)


 腹の内にそう嘆ずる五郎太の前でまた一人、鎧武者が馬から転がり落ちた。谷底に鉄砲の音が響くのと同時に驚いた馬が後ろ脚で立ち上がり、背の者が堪らず振り落とされてしまったのだ。


 尋常の馬が耳元で鉄砲の音を聞かされればこうなる。そのあたりは五郎太も重々よくわかっていたことだ。


 日ノ本の馬に比べおしなべて大きな体躯を持つこの国の馬の中には、己が跨がっている北斗と遜色ない惚れ惚れするような馬体のものが少なくない。だが、矢張り馬は馬ということのようだ。ときに飼い主の自分でさえその不貞不貞しさが鼻につく北斗の如き放胆さを備えた馬は、そうそういないものと見える。


 そして、それは取りも直さず、目の前でルクレチア麾下の軍勢が試みている演習が一筋縄ではいかぬことの何より大きな要因でもある。


「――サカモト殿はどう見る」


「む……」


 唐突に隣から質問を投げられ、五郎太は返答に窮した。


 眼前で演習を繰り広げる軍勢の頭領であるルクレチアは騎上にあり、北斗の背なる五郎太とくつわを並べてつわものどもを検分している。


 五郎太としてはそのように下にも置かぬ待遇を求めたわけではなかったのだが、クリスを介して頼み込んだ上での帯同だったこともあってか、このようにあたかも客将の如き扱いを受けているのである。


 初めて投げかけられた問いも、いかにも同等の立場にある将に向けられたもののように聞こえる。この国において己は一介の食客に過ぎないという意識が未だに抜けない五郎太にとっては面映おもばゆい限りである。


 ……だがそれにしても返答に困る問いであった。どう見ると問われても、見たままである。言葉を返せないでいる五郎太を急き立てるように、ルクレチアは尚も問いを重ねた。


「忌憚なき意見を伺いたい」


「……率直に申して、これではな。馬をどうにかせねばいくさにならぬわ」


 期せずして吐き捨てるような言い方になった。だがその返答を口にしてはじめて、五郎太はそれが偽らざる己の思いであることに気付いた。


 期待が大きかった分、落胆も大きい。的にてられぬどころか大半の者がまともに鉄砲を撃つこともできぬこのていたらくでは、どうあれ実戦での使い物にはなるまい。実のところ五郎太も鉄砲持参で来ているのだが、これではとても混ざろうという気にはならない。


「そうか……その通りだな」


 五郎太の回答に、落胆が手に取るようにわかる声でルクレチアは言った。


 出来不出来は別にして、このような演習を試みること自体を悪しざまに言うつもりはない。そう付け加えようとして――けれども五郎太は口を開くことができなかった。ルクレチアが求めているのがそんなつまらない慰めの言葉ではないということが、演習に勤しむ兵どもを見つめるその顔からありありと伝わってきたからだ。


(俺はこの者のことが、嫌いではない)


 クリスとの二人旅の途次とじにはじめて会ったその日から五郎太がルクレチアに覚えていた漠とした印象は、今日、確かなものになった。


 クリスの近習にしてエルゼの許婚という立場こそあれ、明らかに位が劣るであろう自分に対して一切驕ることなく、あくまで一武将としての礼節をもって向きうてくれるルクレチアに、五郎太は好感をいだかずにはいられなかった。


 何よりルクレチアのこの見事な佇まいはどうだ。


 葦毛の北斗よりも尚白い、限りなく純白と言っていい白馬に跨がるルクレチアは、あのときと同じように黄金色こがねいろに輝く甲冑に身を包んでいる。美麗なる白馬の上にあって、その豪奢な甲冑がいやが上にも映え、こう言っては何だがクリスなどより余程王者の風格がある。


 もちろん、見栄えが良ければいいというものではない。だがこの者ならば付いて行きたいと配下に思わせるに足る威風は、一軍の将にとって不可欠の資質である。その資質を、この女丈夫は備えている。それが五郎太をしてルクレチアに好感を抱かしめた何よりの理由であった。


「サカモト殿は、なぜ今日の演習を見に来られたのだ?」


「……興味があったからよ」


 ルクレチアの問いに、五郎太は短くそう返した。


 その言葉通り、五郎太はルクレチアが行わんとする演習――騎馬武者が流鏑馬やぶさめの如く騎乗のまま鉄砲を撃つ戦の仕様を試みるその練兵に並々ならぬ興味があった。


 それが容易ならざるものであることは五郎太も熟知している。それ故に、クリスが信を置くこの国屈指の侍大将であるルクレチアが如何にしてそれを成し遂げんとしているのか、その工夫の程を垣間見たかったのである。


 ただ目の前の有りさまを見ればわかるように、それはまだ道半ば……というより、途上に一歩を踏み出すことさえできておらぬようだ。


 それでもルクレチアがこうしてその革新的な戦法を試みるのには理由がある。それは、西に国を接するガルトリアなる新興国の存在である。


 『流血の平原』と、この国では呼び習わされる三年前の戦――クリスの父君をはじめ数多くの宿将があたら命を散らしたその戦において、この国はガルトリアに大敗を喫した。以来、ルクレチア補佐の元にクリスとエルゼが両輪となってこの国を盛り立ててきたことは五郎太も聞き及んでいたが、ごく最近まで知らなかったことに、ガルトリアとの戦が未だにうち続いているということがある。


 大軍同士がぶつかり合うような合戦は鳴りを潜めている。だが小競り合いは今も随所で行われているようだ。そのあたりの事情は、国は違えど乱世に生を送ってきた五郎太にはよくわかる。一度ひとたび戦となれば、何れかの国が滅びるか太守が膝を屈して和議を結ばぬ限り、どの道そうなることは避けられないのだ。


 そこで問題となってくるのが、ガルトリアの軍勢における精強無比の鉄砲隊である。くだんの戦でも最強を謳われていた自前の精霊魔法師団への過信があったとはいえ、高度に練り上げられたその鉄砲隊の火力を前に為すすべもなく一敗地にまみれたということなのである。


 その後、いち早く先進の鉄砲を取り入れていたルクレチアが中心となってこの国でも鉄砲隊――帝国第二騎士団ないしは錬金術師団と称されるそれを編成したということだが、数の上でも練度でも、今もってガルトリアには一歩及ばないのだという。


 このまま手をこまねいていれば先の戦の二の舞である。ガルトリアの鉄砲隊に対抗し得る強みを、何としてもこの国の鉄砲隊に具有せしめねばならぬ。そこでルクレチアが困難を承知で果敢にも取り組もうとしているのがこの鉄砲騎馬隊の練成――ということなのだ。


 というのも、この国は古来より駿馬の産地として名高く、良き馬が容易に得られるという土壌が背景にある。主戦だった古強者達が死に絶え、若者と馬だけが残った。そこで甲斐武田の如く単純に騎馬隊の増強に走るのではなく、難しいながらも新たな戦の型を模索し、一点突破の活路を見出そうとしていることについて、ルクレチアの采配は大いに評価できる。


 ルクレチアが鉄砲騎馬の鍛錬に乗り出した理由はまだある。東方から圧迫を繰り返してくるサラディーの脅威に対抗するためである。


 サラディーとは国の名ではなく、蒙古のように遊牧を事とする民族の名である。馬を操ることの巧みさにかけては他の追随を許さず、この国に産する良馬と農作物他の食物を求めて度々攻め込んでくるのだという。


 鉄砲は持たず、専ら弓矢を武器とする古めかしい戦の仕様ではあるが、神出鬼没であることに加え騎馬隊のみで構成された軍勢の機動性ゆえに、何度も苦戦を強いられているということなのである。


 鉄砲が弓矢に取って代わったのは、人畜を殺傷する性能において比較にならぬほど優れているからであるのは言うまでもない。鉄砲騎馬で軍勢を構成できればサラディーの騎馬隊は言うに及ばず、ガルトリアの鉄砲隊に対しても大いなる優位を確保できる――これがルクレチアの狙いである。


 このルクレチアの思惑をクリスから伝え聞いたとき、五郎太は思わずその場で演習への同行を願い出ていた。と言うのも、お屋形様の下にありし頃、それとまったく同じことを五郎太は密かに思い描いていたからだ。


 鉄砲の火力と馬の機動性。この二つを兼ね備えた軍勢はつくり得ないものか――そんな疑問を長の年月考え抜いた五郎太が出した答えが、矢張り鉄砲騎馬だったのである。


 もとより茶席でエルゼに嘆じてみせたように、五郎太は鉄砲が好きではない。だが一方で、常に進んだ戦の仕様を取り入れることで常勝の軍団となった織田家家中の武士もののふでもあった。好むと好まざるとに関わらず、有為な戦術は積極的に用いてゆこうという気概は持ち続けていたのである。


 であるからして、同じことを試み、実現せんとしている者がこの国にもあると聞き、共感と期待を大いに膨らませていたのだが……。


「――話を通さなくて正解だったな」


「ん?」


「レイテに話を通さなくて正解だった。官吏でも遣わされていれば恥を晒すところだった」


「成る程」


 ガルトリアとの国境いにおける南の端に、丁度この国を護る盾のように位置するレイテ公国は、遡ればクリスのお家に繋がる公家こうけが代々治める同盟国であり、ガルトリアとの戦における戦略上、目下頼みの綱というべき存在である。


「ガルトリアに気取られぬようにとこの谷を演習の場に選んだのだが、レイテに近過ぎるのも考えものだな。練兵が成った暁には当然レイテの騎士団にも広めてゆくことになろうが、形にならぬうちは帝国の奥まった所ででも鍛錬を積んでゆくべきなのかも知れない」


 無聊も手伝ってのことであろうか。訊ねてもいないのにルクレチアは、演習の場をここにした理由をつらつらと五郎太に語った。それを聞いたあたりから五郎太は――どういうわけだろう、何となく落ち着かない心持ちになってきた。


 同盟を結ぶ国を信ずるのは結構。だが乱世において、国と国との約束が鴻毛のように軽いことを、五郎太は身に染みて知っている。


 右大将様が最も窮地に陥ったのはいつか。今川の治部大輔様上洛の折であったと言う者もいるが、五郎太はそれを近江の浅井長政様のご謀叛であったと信じている。掌中の玉というべき妹御のお市様を娶らせていたことで、裏切るなど露ほども疑わなかった浅井様が朝倉方に寝返ったことで、今もって語り種となっているあの決死の退ぐちを余儀なくされたのだ。


「……」


 五郎太は周囲を見回した。


 平原ばかりのこの国には珍しく山がちな地形である。両側を切り立った崖に挟まれる、丁度谷底のような場所で演習は行われている。


 確かに、演習を敵方に気取られぬには良いのかも知れぬ。だが狭隘な谷の底に軍勢がたむろするさまを見れば、織田家ゆかりの者としてはひとつの戦を想起せざるを得ない。……そう、ここはまるで田楽狭間ではないか。


 そこまで考えて、五郎太は妙な胸騒ぎを覚えはじめた。


 戦場いくさばで何度か命を救われたことがある危険の兆候である。自慢にもならぬが、この手の悪い予感はよくあたる。エルゼの言っていた虫の知らせもある。何か良くないことが起きる……そんな感覚に襲われ、五郎太は改めて周囲を見回した。


「……」


 兵の数は五十に満たない。まずは手始めとて騎乗に巧みな者を選りすぐって連れてきたのだという。めいめい鉄砲を手にしてはいるが、長らくの演習でどの顔にも疲れが見える。万が一、今ここで敵襲でも受ければひとたまりもあるまい。


 ……越権にあたるやも知れぬ。だがここは大事をとって、そろそろ練兵を切り上げてはどうかと自分から進言すべきか――


 わずかな逡巡があって口を開きかけた五郎太は、だがそこで頭上にかすかな人の気配を感じた。……一つ二つではない、明らかに伏勢ふせがいる。遅きに失したことを思い内心に溜息をつきながら、五郎太はその言葉を告げるために口を開いた。


「ルクレチア殿」


「何か?」


「即座に兵を退かれよ」


「それはどういう――」


 だが、ルクレチアはその言葉を最後まで言い切ることができなかった。


 五郎太が北斗の腹を蹴るのと時を同じくして、前触れのない驟雨のように夥しい鉄砲の音が谷底に響き渡った。

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