012 二人旅(3)

「……お前のことだ。話せるものならばこちらが問わずとも勝手に話すであろう」


 そう言って五郎太はクリスに倣い、中断していた垢離を再開した。そしてまた乱暴に縄を肌に打ちつけながらあえてぶっきらぼうに言った。


「お前が男であると言うのならば、俺はお前を男として扱う。仔細など知ろうとも思わぬ。それだけのことよ」


「世の中、オマエみてえなやつばっかりだったら平和なんだろうけどよ」


「……」


「バレたらそれネタに強請ゆすってくるやつもいんだろな。黙っててやるから金よこせだとか、この身体すきにさせろだとか」


「……まるで『とりかえばや物語』だな」


「なんだそれは?」


「俺の国に伝わる物語よ。大臣に男女の子供がおってな。男の方が女子おなごのようで、女子の方が男のようであったので、とりかえばやと言って男女を取り替えて育てたのだという」


「……そんで、どんな結末になるんだ?」


「うむ、詳しく覚えておらぬが、確か偽って男となった姫の方は、見かけばかりの妻を迎えるのだが、その妻ともども好色の公家に犯されて子を産むという話だったような」


「なんだそりゃ。最悪じゃねえか」


「いや、救いのない話のように聞こえるかもわからぬが一応、幸福な結末であったと記憶しておる。確か偽って女子となった男の方が巧妙な立ち回りを見せるのだが――」


「……結局そういう結末になんのかよ。どうせ女にされるんなら……」


 物語の結末を思い出そうとする五郎太の前で、行水の手も止めてクリスは思索に入ってしまった。水が滴る裸の背中をちらと眺めて、やはりクリスにも人知れぬ苦労があるのだなと五郎太は思った。


 ――そう、思えば苦労がないわけがないのだ。どれほどの領国の主かわからぬが、おどろおどろしいまつりごとのただ中にあって、性別を偽らざるを得ない辛苦はいかばかりであろう。


 この件について、己はあくまで知らぬ存ぜぬを決め通そうという決意を新たにし――だがそれと同時に、ふと、胸にわだかまっている疑念をクリスに投げかけてみたいという想いが五郎太の中に湧き上がってきた。


「――のう、クリス」


「……なんだ?」


「お前は、誰かを裏切ろうと思ったことがあるか」


「……」


「お前に信を置いてくれる相手……親でも友でも良い。そうした気の置けぬ者を裏切り……そうさな、殺してやりたいと思ったことがあるか」


「そのお屋形様ってのが、誰かを裏切って殺したのか?」


 ぶっきらぼうにそう告げるクリスに、五郎太は腹の中で唸った。……何という切れ味であろうか。あれしきの遣り取りからここまで己の考えを読まれるとは。


 これはクリスにものを言う時には重々気をつけねばなるまい……五郎太はそう思いかけ、けれどもすぐ自嘲の含み笑いと共にその考えを捨てた。なんとなれば、この者には既に自分が誰にも知られたくない秘中の秘を明かしてしまっているのであるからして。


「そうよ。お屋形様は主君である右大将様――織田信長公に謀叛なされ、京の寺に火をかけて討ち果たされた。国府であった安土の城も焼き、嫡男の三位中将様をも攻め滅ぼされ、日ノ本を統べる天下様と相成られたのだ」


「……」


「……ほんの数日の間ではあったがな。敵国との戦の最前線から信じられぬ迅速でとって返した筑前守――織田の軍では三番手、四番手の将に過ぎなんだ羽柴秀吉がたちまちに諸侯を糾合し、山崎は天王山の大戦おおいくさで逆にお屋形様を攻め滅ぼしたのだ」


「その大戦とやらに、オマエはいたのか?」


「……いや、おらなんだ。実を申さばご謀叛の折も、俺はずっと別の場所にいた」


「どこにいたんだよ」


「摂津は高山右近様のお城へ向かっておったのよ。切支丹伴天連の護衛を命じられてな。もっとも、途中からはそれも調略に変わった。早馬でお屋形様からの書状が届き、切支丹伴天連を送り届けた高槻のお城で右近様にただひたすらお屋形様へのご助力を頼み込んでおったわ。……結局、それも虚しゅうなったが」


 高山右近様はお屋形様にはつかなかった。だが決死の覚悟で時に恫喝さえまじえお屋形様への帰順をとかき口説く五郎太を叛将の手先として殺すこともしなかった。


 山崎で戦になりそうだとの報を受け急ぎ取って返そうとする自分を城から送り出すときの右近様のお顔を、五郎太は忘れない。深甚なる慈悲をもって死にゆく者を見守る菩薩のような……そのお顔を思い出す度に、では同じときお屋形様はどのようなお顔をしておられたのかと、そればかりが五郎太には気になるのであった。


「こないだから気になってたんだがよ、その切支丹伴天連ってのはなんだ?」


「……切支丹伴天連を知らぬのか? この国の僧侶で……なんといったか……そう、デウス様とかいう痩せこけた男を拝む宗門を広めんと、大海原を越えて日ノ本へ参った者たちなのだが」


「デウス様だぁ? 聞いたこともねえな、そんな名前。第一、この国で坊さんと言やロマリエの聖座に連なるもんと相場が決まってる。隣の国じゃあるまいし、新教が入り込んでくる余地はねえよ」


「そうか」


 クリスの言っていることの半分も理解できなかったが、五郎太はそれ以上追究しなかった。切支丹の教義に暗い五郎太にとって、その辺りの踏み込んだところが理解できようはずもない。


 それを察したのか、クリスは五郎太に背を向けて中断していた行水を再開し、何度か身体に水をかけた後、「まあそんなこたぁどうでもいいだろ」とつまらなそうに言った。


「で、最初に戻るとなんだって? そのお屋形様ってのがなんで主君の右大将様を裏切ったのか、それがわからねえってんでオマエは悩んでんのか?」

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