自分にしか出来ないこと

 議事を執りまとめる為の部屋にキースと共に入ると、途端に鋭い視線がリリーナに突き刺さった。

 視線の主は、それぞれに立派な身なりをした七人の貴族たちである。彼らは縦に長い部屋の向きに沿って中央に置かれた長テーブルに与えられた席に座り、死者に天国か地獄行きかを告げる査問官さながらの様相を醸し出していた。


「待たせたな」

「ディアモント伯爵が長女、リリーナと申します。以後どうぞよろしくお願い致します」


 キースと並び、紳士たちの正面側へ移動したリリーナが深々と頭を下げても、目の前の貴族たちは誰一人として何の反応も示さなかった。王太子の婚約者になりうる令嬢と分かったうえで、値踏みするような視線を隠すこともせず投げかけている。

 それもそうだろう。

 王太子が夜会で一目惚れした。そんな理由だけで伴侶を選んだと聞かされているのだ。この国の政治の中枢を担う彼らにとっては手放しで祝えるものではない。キースは平然とした表情を浮かべてはいるが、リリーナはまさに針のむしろに座るような心地で静かに腰を下ろした。


 沈黙ですら肌を裂くような鋭さをたたえて落ちる。

 だけどこれは今日に限った話ではないのだ。関わる人全てに認めてもらえるなんて思ってはいない。でも、認められなくていいと思うことはまた違う。


「殿下、恐れながら発言を認めていただけますでしょうか」


 誰が先陣を切るべきか。目くばせを送り合う貴族たちは、しかしこのままでは埒があかないと踏んだようで一人の貴族が口を開いた。

 有力貴族たちに対面するのは初めてのリリーナは、姿絵と名を一覧にまとめた資料で予め誰が誰なのかしっかりと頭に叩き込んでいる。やはりと言うべきか、真っ先に発言しようとしているのは宰相を務めるエルナーク公爵だった。


「言いたいことがあるならこの場で全て言っていい。その為に設けた場だ」

「ありがとうございます」


 公爵は一礼し、真っすぐにキースを見据えた。


「お言葉ですがリリーナ嬢は政治に一切の関わりがないディアモント伯爵家のご令嬢とお伺いしております。殿下の妃となるということは、ゆくゆくは我が国の王妃になるということ。いくら殿下の寵愛を受けておられると言えど、王妃になるには相応しくないかと存じます」


 やはり最初に切り出す話は必然的にそうなるのだろう。エルナーク公爵の言葉に貴族たちが一斉に頷き合った。

 彼らの中にはキースに娘を嫁がせようと釣り書きを送った貴族が何人もいる。ライバルとなる令嬢が選ばれずに良かったと思う反面、ぽっと出にも等しいリリーナの存在を受け入れ難いこともまた事実だ。

 それでもキースに面と向かって"本来の主張"を注進するのはさすがに躊躇いが生じるのか、公爵は一つ咳払いをしてから言葉を続ける。


「故にリリーナ様にはまつりごとには関わらぬ側室となっていただき、殿下と並び立って外交を行う王妃には別の令嬢を立てた方が、リリーナ様にとってもお気持ちが楽でございましょう」


 リリーナの心臓がどくんと跳ねた。

 公爵は間違ったことは言っていない。リリーナだって最初は、子供の頃から王妃に相応しい教育を受けた令嬢がキースの婚約者になると思っていた。

 王妃なんて勤められる自信があるはずもなく、何とか婚約を回避出来ないか。そう考えてもいた。今も第三者から見たらそうあるべきだと思うのは当然だと理解も出来る。


 でも、嫌だ。

 だってもうキースが好きだと自覚した。傍にいたいと願ってしまった。たとえわがままとそしられようと、キースの目が他の令嬢に向けられることはとても苦しい。


 だけどそれはやはり、リリーナ個人の子供じみた想いなのだろう。自分の意思を伝えたくてもどう口にしたら良いのか分からず、リリーナは口を堅く引き結んだ。


「聞くところによれば、グラヴィット公爵家のご令息がリリーナ様へ求婚を申し立てたそうではありませんか」


 公爵は、抗う術を知らないリリーナの心を少しずつ削って行く手を緩めはしなかった。思いもかけない方向からの牽制にリリーナの肩が強張る。

 どこでその情報を得たのだろう。

 可能性はエドガーやグラヴィット家からとしか考えられない。でも、そんな噂を流してはグラヴィット家の立場を悪くするのではないのか。そしてグラヴィット家を支持することは王家へ謀反の意思があると捉われる危険性もはらんでいるはずだ。


(だけど、紋章のことは宰相様方もご存知ないこと)


 表向きはあくまでも、キースが一目惚れしたという理由でリリーナとの婚約を進めようとしている。

 それは逆に王太子殿下が、家格も王太子妃の適性も低い令嬢に一時的な感情で国の統治を共に願う愚かな行為とも受け取れた。冷静な判断を欠いた結果、国の地盤が揺らぐことも十分ありうる。彼らは忠臣として国を憂うからこそ、情熱に任せた婚姻は認められないと大義名分を得られるのだ。


 リリーナに彼らを説得出来る材料などない。

 やり遂げてみせるから信じて欲しいと訴えたところで、貴族社会を知らない小娘の戯言ざれごとだと鼻で笑われるのがおちだろう。


(どうしたら、いいの)


 リリーナはキースの顔も見られずに俯く。そこに溜め息の音が一つ聞こえた。溜め息はキースのものだ。そしてリリーナを非難する為のものではないとも分かる。


(え……)


 テーブルの下、キースの手が行儀よく膝の上に置かれたリリーナの手に触れた。驚きでわずかに目をみはると意外と大きな手に包み込まれる。

 今日も冷たい手だ。でも、それ以上に緊張と不安とで冷たくなったリリーナの手を温めてくれる。とても心強くて優しい手だった。


「求婚だけなら相手が既婚者でも出来る。エドガーがリリーナ嬢に懸想けそうしていることが事実だとして、そこから何故リリーナ嬢が王太子妃に相応しくないと結論づけられる? よもや彼女が王太子妃でありながら不貞を働くと、もしくは求婚されること自体がすでに不貞なのだと、貴公らはそう言いたいのか」

「そのようなことを申し上げたいのでは……」


 さすがに公爵は言い淀んで言葉を濁した。

 リリーナは意を決して真っすぐに顔を上げる。

 今は信じて欲しいとしか言えない。けれど心からの訴えがあるのに、王妃が自信を持てずに俯いていては王の言葉にも説得力がなくなる。

 自分の気持ちは、いざ本当に側室を娶る話が出た時にキースにはっきりと伝えればいい。それよりも、リリーナには王妃という荷は重すぎると思われたくはなかった。


「では、リリーナ嬢の不義をすでに疑うのであれば問おう。貴公たちは彼女以外の誰が王妃に相応しいと思っている」


 途端に公爵たちは気まずそうに顔色を変えた。

 自分の娘こそが相応しいと思い釣り書きを送っているとしても、キース自身が婚約者として一人の令嬢を同席させている場で我を押し通すことは出来ない。それに表立って名乗りをあげれば余計な軋轢あつれきを生み出すと理解している。


「誰が、と特定の令嬢の名を今ここで申し上げることは致しかねます。ですがリリーナ嬢に王妃としての知識や品格が足りないことも、また事実でございましょう」


 ようやく一人が口を開けば後を追うように賛同の声がいくつか上がった。

 つまるところ、その理由は多々あれど彼らには王太子妃として擁立したい令嬢が別にいる。そして今この場にはリリーナを王太子妃に認めようとしてくれる人物は誰一人としていない。そういうことだ。


「こちらとしても、明日から彼女に王妃としての務めを果たしてもらおうとは考えてはいない。彼女だけでなく、私もまだ年若い。学ぶべきことはたくさんあるだろう」


 反論を受け、キースは承知したと言うように軽く頷くも言葉を続けた。


「ただしリリーナ嬢に至らぬ点があったとしても、それを彼女に直接告げることは誇るべき臣下たる貴公たちであろうとも許可はしない」

「それは我々にリリーナ嬢の言動全てに一切の口出しを禁ずると、殿下御自ら圧力をかけていらっしゃると判断してよろしいのですかな」


 公爵の言葉に騒めきが広がる。

 キースは一人の令嬢に、前後の区別もつかなくなるほど入れ込むようなタイプではない。リリーナがそう思っているのだ。長く仕える彼らの方が、よほどキースを分かっているだろう。


 けれど、キースの発言は王太子としてのそれにふさわしくないものであることも事実だ。意図がどこにあるのか、公爵が言質を取ろうとするのも当然だった。


「彼女を王太子妃にと望んだのは私であり、陛下の承諾も得ている。故にリリーナ嬢への王太子妃教育は彼女個人の問題ではない。王家の問題だ。もしその決定に不服があり、然るべき手続きを経た意見ならいつでも耳を傾ける心づもりはある。彼女が相応しくないと思う点を堂々と挙げてくれたのなら、彼女も取り入れて改善することもあるだろう」


 ここしかない。

 リリーナはキースの与えてくれたタイミングに思い切って立ち上がった。ありったけの想いを込めて頭を下げ、口を開く。


「確かにわたくしは若輩者にございます。国王陛下の御身を支える皆様がご覧になれば、未熟で頼りなく感じられる部分しかないことでしょう。だからこそ、どうぞ皆様から適切なご鞭撻べんたつを賜りたく存じます。皆様にとって今現在のわたくしは、そのような価値はないかもしれません。ですが、ひとたびの猶予を頂戴したいのです」


 すると隣でキースも動いた。思わず視線を向ければ彼もまた立ち上がり、軽く頭を下げる。

 年上相手だが、生まれながらの王太子であるキースがそのような行動に出ると誰が思っただろう。リリーナは自分の為にキースがそこまでしてくれるなんて思ってもみなかった。公爵たちも、キース自らが婚約者に選んだとは言えリリーナの為にそこまでするとは想像もしていなかったらしい。それぞれに信じられない思いを抱えてキースを見やる。


「私からも頼む。いずれは国母となりうる彼女に力を貸してやって欲しい」


 キースにまで頭を下げられては、公爵たちはリリーナの申し出を突っぱねるわけにはいかなかった。

 結局のところ、自分の血縁にある令嬢を王太子妃の座に就かせる為に争って消耗するより、キースが決めた令嬢の後ろ盾に就く方がメリットが大きいのだ。キースの不興を買ってもなおグラヴィット家に恩を売るのも得策ではない。


 リリーナはさらに深々と頭を垂れた。

 固く指を組んだ手は、キースの手を離れても温かった。




「先程は、ありがとうございます」


 自室へと戻る道すがら、リリーナは隣を歩くキースを見上げた。こういう時、まだ顔を合わせてはくれないけれど、守ってくれたことだけで自然と笑顔が浮かぶ。


「気を悪くしてはいないか?」

「大丈夫です。……皆様が仰っていたことは、受け入れざるを得ない事実ですから」


 求められる役割を立派に果たす現王妃を間近で見ているのだからなおさらだ。リリーナが赤子同様に頼りなく不相応に見えるのも無理はない。

 前に向き直り、キースと並んで歩く。このままずっと、二人で同じ方向に歩いて行きたい。先程の公爵たちとの会同はその第一歩だ。


「また君にも先に言っておく。彼らに認められようと無理はしなくていい」

「もちろん承知致しております」


 キースにもっと相応しい令嬢がいると思われているのは苦しい。

 けれど顔も知らない令嬢に負けたくはなかった。それにリリーナはあくまでもリリーナだ。自分に出来ることを精一杯頑張る。それだけだ。


「リリーナ」

「はい。なんでしょうかキース様」

「――明日、画材屋に買い物に行こう」


 もしかして、慰めてくれたのだろうか。

 目も合わせてくれずそっぽを向く横顔にリリーナは顔を綻ばせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る