初めての共同作業
前にも行ったカフェで昼食を取り、王城に戻る。
いちばん最初のモチーフに選んだのはやはり庭園だった。庭園を彩る花々は中庭と同じく冬の花だ。けれどもそろそろ冬も終わり、春が芽吹きはじめている。枝で羽を休める小鳥たちの姿も見え、澄んだ歌声を響かせていた。
とは言え、まだ多少の肌寒さを残す為にいつものテラスからのスケッチしか許されない。だから出来るだけガラス窓の近くに椅子を置いてもらうことにした。スケッチブックにこぼしてしまうといけないからお茶の準備は後だ。
絵を描く為に、普段とは違って正面ではなく左隣にキースがいる。
それだけのことなのにとても新鮮な気持ちになった。
「キース様、ちょうど枝に小鳥が二羽止まっています。あの鳥をモチーフにしませんか」
テラスにいちばん近い木の枝に、小鳥が仲睦まじそうに寄り添っている。もしかしたら
いつかあんな風にリリーナもキースと寄り添えたなら幸せだろう。初めて二人で描くモチーフとして、これ以上ない希望に満ちたビジョンを映し出していると思った。
「君が描きたいと思ったものでいい」
一緒に絵を描こうと提案したのはリリーナだ。キースの返事は投げやりなのか、それともよほど絵の腕に自信があるのか。真意は分からないが、リリーナのやりたいことに付き合ってくれることには変わりない。だから今後もモチーフの選択は、リリーナ主導でいいという意思表示として受け取った。
少なくとも、受け入れる気がないならキースははっきりとそう口にする。二人だけのお茶会でそう学習したのだ。
「では、あの小鳥の番で。私が先に描きますね」
リリーナは鉛筆を手にすると改めて小鳥に視線を向けた。
絵を描くのは何年振りだろう。社交界デビューする何年か前に、家族全員でバカンスに行った避暑地で風景画を描いたのが最後な気がする。
何だか今になって緊張して来た。横目でキースの様子を窺うと目が合った。驚きで指に力が入ってしまい、しっかりと削られた先端がぽきりと折れた。
「すごい力だな」
楽しそうな笑顔に胸が高鳴る。
キースの笑顔なんてなかなか見られるものではない。ましてや、つい浮かべてしまったような表情ならなおさらだ。完全に不意を突かれてしまった。
ときめきと羞恥とで再び頬が染まるのが自分でも分かる。
(そんなお顔もなさるなんて知らなかった)
嬉しい。
でも、膨らむばかりの恋心に追いつけない。
リリーナは大きく深呼吸をする。折れた拍子に紙に飛び散った鉛筆の粉を練りゴムで取りながら、キースの顔を見やった。
「描き終わるまで、キース様はお一人で本でも読んでいらして下さい」
「一人ずつ順番に黙々と絵を描きたいだけなら、別に一緒に描かなくてもいいんじゃないのか」
「そ、それもそうですが……」
正論を返されて言葉に詰まる。
当たり前のことだけれど一人が描いているともう一人は描けない。その間どうするか全く考えてもいなかった。
でも急に良いアイデアを思いつけそうにもない。困っていると、キースもテーブルに頬杖をついて庭園を見やりながら何か思案しているようだった。
その姿にリリーナの胸は期待で高鳴る。
だって目を合わせてくれない時は、照れている時――リリーナが喜ぶであろうことを考えてくれている時だ。
「そうだな、俺が退屈しないように君が時折何か話しかけてくれればいい」
「えっ」
期待はしていても想像以上の言葉に再び鉛筆の芯を折りそうになる。
「よろしいのですか? それに、あの、キース様が描かれている時でも?」
「話しかけられて迷惑ならこんな提案はしない。君ならそれくらいはすでに理解していると思ったが」
リリーナが婚約者として王城で生活するようになってから、初めて二人で過ごす休日だからだろうか。
今日のキースはリリーナが欲しい言葉をたくさん言ってくれる。体調が良くないのか心配になるくらいだ。
「でも、そうですね。絵を描いている時でもお話は出来ますものね」
キースの言葉が取り消されないよう、リリーナは何度も頷いて噛みしめた。
口元が綻んでしまうのを抑えられない。
集中している様子の時はもちろん控えるけれど、いつもと変わらず話しかけてもいいのだ。
同じ趣味を持つってすごい。早速、絶大の効果だ。
心を弾ませるリリーナの手も、魔法にかかったように軽やかに線を描きはじめた。
「出来ました!」
リリーナは鉛筆を置き、声まで弾ませる。
ペンダントに魔力を注ぎ終えた時の双子たちと同じ行動だ。そのことに気がつき、自分でもつい笑ってしまった。
時間はおそらく十分もかかってないように思う。
でも、他愛のない話をした。
お互いのことを知ろうと聞き出さずとも、自然な流れで少しだけキースについて新しく知った。不必要に身構えずとも、こうして理解を深めて行けるのは幸せだ。
「お待たせしました。キース様の番です」
どうぞ、とスケッチブックを手渡す。するとキースは眉根を寄せた。
「……これは?」
心なしか、尋ねるキースの肩がわずかに震えている気がする。
冬の間はテラスにいても平気そうだったけれど、今日に限っては冷えてしまったのだろうか。リリーナは心配の目を向けつつ、聞かれたことに答えるべく口を開いた。
「もちろん、あの枝に止まっている小鳥のうちの一羽です」
我ながらとても良く描けたと思う。そんな手応えを胸に、指を差してモチーフを示すとキースは心底驚いたように目を見開いた。それから何度も小鳥とスケッチブックとを見比べる。
「いや……。いや、そうか、鳥なのか」
噛みしめるように呟き、再び肩を震わせた。普段とはあきらかに違う反応だ。キースは割とはっきりと物を言うタイプだと思っていたけれど、どういうことなのだろう。
「何か仰りたいことがあるならはっきりと仰って下さい。キース様らしくありません」
それでもキースはやはり何も言ってくれない。さすがにリリーナも重ねて言及しようとした時、ようやくキースの震えが止まった。
まだ苦しそうに胸の辺りを抑えているから少し心配になって来る。そんなにテラスが寒いのだろうか。絵を描くのは切り上げて室内に戻った方が良いのかと考えていると、キースが顔を上げた。
「面白いから絵を描く趣味は持ってもいい」
「本当ですか?」
突然出された結論ではあるけれど、リリーナはたちまち顔を輝かせる。
せっかく二人で一つのことをはじめても、続かなかったら何の意味もない。先程からの不思議な反応は謎ではあるものの、キースも乗り気になってくれたのなら大成功だ。
「ただし」
「――ただし?」
条件があることを窺わせる一言に思わず身構える。
あまり無理のない要求だと嬉しい。神妙な表情で次の言葉を待つリリーナに向けてキースは告げた。
「君の後には描きたくない」
「え? ど、どういうことでしょうか」
「君の絵を見てからだとちゃんと描ける自信がない」
リリーナは慌て、それから首を傾げた。
どういう意味だろう。
けれどキースはやはり理由は言わないまま、何故か観念した様子でスケッチブックをテーブルに立てかけて手を動かしはじめる。言葉の意味を教えてくれる気は全くないらしい。
煮え切らない態度とは裏腹に鉛筆の動きは軽やかだ。描き慣れていそうな気配もあった。
本人が言いたくないものを無理に聞き出すつもりもない。聞きたくないわけではないし残念ではあるけれど、リリーナは気持ちを切り替えておとなしく引いた。
(キース様はどんな絵を描かれるのかしら。早く見てみたいな)
スケッチブックと小鳥とを交互に見やり、キースは手を止めることなく口を開いた。
「色は? 自分の分は自分で塗るのか」
「せっかくですから、お互いの色塗りを交換してみるというのはいかがでしょう?」
その方がよりいっそうと共同作業感が増して楽しい気がする。
けれどリリーナの提案にキースは顔をしかめた。
「君は色彩感覚は人並みなんだろうな」
色彩感覚"は"とは、引っかかる言い方だ。
これまで家族やバーバラに描いた絵を何度か見せたこともあるし、特に何かがおかしいと言われたことは一度もない。むしろ皆の反応がキース同様におかしかった覚えはある。
(――もしかして、私)
リリーナはふと思い当たることがあってキースに恐る恐る視線を向けた。
「あの、私って……絵が下手ですか?」
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