寄り添う小鳥
「上手くはないな」
「やっぱり!」
そんな気はした。けれどそれでも思わず悲鳴にも似た声を上げてしまった。
でもおそらく、キースはこれでも気を遣ってくれたのだ。そして皆、肩を震わせていたのは笑いを
「も、申し訳ありません。私……っ」
キースの手からスケッチブックを取り返そうとするも、ひょいと避けられた。どうして、と恨みがましげな目を向ける。だけど効いている節は全くなかった。
「まだ描き終わってない」
「でも」
「一緒に絵を描きたいんじゃなかったのか」
「それは、そうですけど……」
リリーナは勢いをなくして口ごもる。
上手くはなくても、人並みに描けていると思っていた。それが自覚はなかったとは言え、客観的な事実を知って恥ずかしい。
「別に立派な額縁に入れて城の大広間に飾るわけでもないし、個人の趣味の範疇だろう」
「そう、でしょうか」
「少なくとも、俺は君の絵が上手かろうが下手だろうがどちらでもいい。確かに個性的な絵だとは思うが……楽しそうにしている君を眺めているのは悪くない」
絵が下手だと遠回しに言われたような気もするけれど、後に続いた言葉を聞いてどうでもよくなった。
好ましいとか悪くないとか、本当に今日のキースはどうしてしまったのだろう。ずいぶんとリリーナに好意的だ。
もしかしてリリーナは階段から落ちた後、まだ眠り続けているのだろうか。それならばリリーナをこんなに喜ばせてくれるキースの言葉にも納得が行く。
(でも)
夢じゃないと嬉しい。
何かの拍子に夢の世界が壊れてしまう気がして、リリーナは息を潜ませて鉛筆を滑らせるキースの横顔をじっと見つめた。
しばらくして、キースは鉛筆を置くとスケッチブックを閉じる。そしてリリーナを見ながら言った。
「描き終わったし一旦休憩にしよう。――それに」
「それに?」
「さっきから君が息をするのも忘れていそうで気になって仕方ない」
「い、息はちゃんとしています」
リリーナは抗議の声を上げた。でも、身を固くして見つめていたことに気がつかれていたのだ。悪いこと、後ろめたいことは何もしていないのに気恥ずかしさで頬が染まる。
「そうか。それなら良いが」
リリーナを何だと思っているのだろう。
さらに抗議したかったけれど、キースが楽しそうに笑うから尖った気持ちも消えて行く。王太子らしくない少年のような笑みだった。
髪も目も服も黒いから冷たい印象を受けるけれど、キースはリリーナと二歳しか違わないのだ。まだ成人してもいない。王太子という責任のある地位に立つ中で見せた年齢相応の表情は、リリーナをときめかせるのと同じくらい安心させた。
メイドたちが今日も手際良くお茶の準備をはじめる。
まず二人の間に、楕円形の縁に沿って彩度を抑えた金色で蔓草を描く白い皿が置かれた。皿には細かなひだのついた半円の生地でクリームを挟んだマカロンが乗っている。カラフルで可愛いお菓子の登場にリリーナの目がたちまち輝いた。
最後に一礼してメイドが場を離れると、キースは皿をリリーナの前に寄せる。
「君の食べたいだけ食べればいい」
「キース様はマカロンを召し上がらないのですか?」
「俺には甘すぎる」
「甘いからおいしいのに……。でも、ありがたく頂戴します」
リリーナは早速、赤いマカロンを一つつまんだ。
そっと噛みしめると、さくりとした軽い口当たりの後に口の中で解けて行く。苺の果汁を贅沢に混ぜてあるようで、甘酸っぱくてとてもおいしい。あっという間に一つ食べ終わってしまった。クセのないストレートティーとの組み合わせも抜群で、幸せな気持ちで満たしてくれる。
「おいしいです」
「顔を見たら分かる」
「本当に召し上がらなくてもよろしいのですか?」
念の為にもう一度聞いてみるが、キースはわずかに眉を寄せて紅茶を飲んだ。
「甘いものは苦手だ」
実は甘いものが好きだという"意外"な面はないらしい。これからは無暗に勧めないようにしよう。そう考えていると、別の"意外"な言葉が出た。
「君が以前お礼にとくれたクッキーはおいしかった」
「えっ」
リリーナがクッキーを渡したのは一度だけだ。しかもあの時はキースと上手くやって行けるのか不安しかなかった。だから食べてくれないと思っていたし、どう処分したのか確認するのが怖くて何も言い出せずにいた。
「召し上がって下さったのですか?」
「俺に食べて欲しいから届けたんだろう」
「そうですけど、その……周りの方は毒が入っているのではないかとひどく警戒なさったのでは」
中身を確認した時の状況は分からない。でも親しい友人へのお返しと同じ感覚でクッキーを選んだリリーナは非常識だと思われただろう。万が一の事態の為に毒味だって行われたはずだ。
「タイピンをくれた時も君は同じようなことを言っていたな。君やディアモント伯爵の人となりについて調べさせてもらったと伝えてあるのを忘れたのか」
リリーナは首を何度も振った。
忘れてない。その言葉を疑ってもいない。ただ、言うなれば自信がなかった。キースにも、彼を取り巻く人々にも認められてはいないような気がして。
「周りなんか気にしなくていい。俺は君を信じている。それだけでは不服か」
リリーナはさらに強く首を振る。
むしろ逆だ。キースが信じてくれるのに他に何を望むことがあるだろう。それだけでいい。
「あの、キース様」
キースを見つめ、口を開く。
「――手に、触れてもいいですか」
「どうぞ」
言うが否やキースの右手がテーブルの上に差し出された。
許可は得たものの、おずおずと指先に触れる。
今日もやはり冷たい。でも温もりと安心感とを与えてくれるのも一緒だ。もう何度も触れた手の感覚は夢なんかじゃなかった。
リリーナの顔に笑みが浮かぶ。
「本当に夢じゃないんですね」
「君に都合のいい夢なら、俺は歯の浮くようなことを言わされてるんじゃないのか」
「それもそうかもしれません」
はにかんで肯定しながらも、だけど、と思う。
キースは今だって十分に甘い言葉を言っている。だから夢かもしれないと思ったのだ。でもキースの感覚では別に甘い言葉を言っているつもりはないらしい。自覚がない甘い言葉にリリーナがどれだけ胸をときめかせているのかだって、考えたことすらないのだろう。
。
「わがままを聞いて下さってありがとうございます」
「陽が落ちる前に終わらせよう」
リリーナは手を離して頷いた。
ティーセットを片づけ、代わりに水入れを用意してもらう。カラフルなマカロンの乗った皿も、たくさんの絵の具が入った紙箱になった。
キースがすぐにスケッチブックを閉じてしまったから、どんな絵を描いたのかまだ見ていない。
下手ではなくとも上手くなかったりはしないのだろうか。リリーナは開けてはいけないと言われた箱の蓋を開けるかのように、不思議な緊張感と高揚感とを抱きながらスケッチブックをめくった。
「思ったより下手じゃなくて残念そうな顔だ」
「う……。そ、そんなことは」
リリーナは言葉に詰まり、紙箱を手元に引き寄せた。
「キース様、意外と絵がお上手なのですね」
自信ありげな様子だっただけのことはある。誰が見ても小鳥だと分かる鉛筆画が描かれていた。
リリーナは紙箱に収められた絵の具から目当ての色を二つ取り出す。
明るい印象の絵にしたいから好きな色でも黒や紺では塗れない。けれども深い青系統の色がいい。そう思って瑠璃色を選んだ。キースの描いた小鳥を台無しにしないよう、丁寧に色を塗って行く。そして最後にほんの少し、色が濁らない程度に紺色を重ねた。
絵が上手くないことには気がついていなかったけれど、色彩感覚は大丈夫……なはずだ。とは言え、今はあまり自信を持てない。
再びスケッチブックをキースに渡す。色塗りに関しては特に何も言われなかった。リリーナは安堵し、目のやり場に一瞬困る。
キースは何色を選ぶのだろう。そこから見ていたい気もするし、終わるまでの楽しみにしたい気がする。
ところがそんな迷いは無用だったらしい。キースも予め何色を塗るのか決めていたようで絵筆を動かしている。
スケッチブックをのぞき込みたいのを我慢して待つ。その間に次のことを考えた。
次は何を描こう。
毎月一枚ずつは迷惑がられるだろうか。でも毎週会えるわけでもないから、三か月に一度くらいの方がいいのかもしれない。
三か月後なら、新緑が眩しい季節だ。ピクニックに行って、その先で見た風景を描いたら良い思い出になる。絵の練習も少ししておこう。
リリーナの考えがまとまるのとほぼ同時にキースの手が止まった。
「ほら」
差し出されたスケッチブックを受け取ったリリーナは、絵とキースの顔とを見比べた。
キースの塗った小鳥は黄色をベースにオレンジ色が重ねられている。
画材屋で、リリーナを思わせる色だとキースが見せた絵の具は黄色だ。そしてリリーナにとってキースの色である深い青で塗られた小鳥が並ぶ姿は、リリーナの夢を実現させたみたいだった。
「君が濃い目の青系統で塗るのは予想がついたからな」
「一緒に絵を一枚描いただけなのに私、今とても幸せです」
キースの描いた写実的な小鳥と、リリーナの描いた――本人が小鳥を描いたと言うからにはそうなのだ――幻想的な小鳥。
正反対な絵柄の二羽は、当初思っていたよりも絶妙なバランスで紙の中でも寄り添っている。
素敵な額縁を用意してもらって部屋に飾ろう。そうしたら見る度に幸せな気持ちになれる。
その時。
扉が開けられたらしい。ひやりとした風がテラスに吹き込んだ。
「――母上」
テラスに現れたのは、キースと同じく漆黒の髪と瞳を持つ美貌の王妃マグノリアだった。
王子と半分こ 瀬月ゆな @yuna_seduki
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