画材屋デート

 馬車の中で、リリーナはキースと向かい合って座っている。

 そんないつもの光景に今日は唯一にして最大の違いがあった。


 リリーナの両隣には、瞳を輝かせたフィールとシルティアがおとなしく座っている。ここ数日は雨が続いていて、リリーナも屋外に出られなかった。それで双子たちも一緒に出掛けたいと馬車に乗り込んで来たのだ。



 自分の目に見えないものに対し、人々はとかく恐れを抱きやすい。精霊信仰や魔力が失われて久しい今となってはなおさらだろう。

 だからキースに報告した直後、双子は他に人がいる場所でのリリーナへの接触は固く禁止された。例外は存在を知るキースとレイノルド、アンドリューだけだ。


 ようやくリリーナとお話出来るようになったのに、と禁止令を受けて不満を顕わにしたものの、リリーナの立場を悪くすると言われて引き下がった。今はと言えば、普段より機嫌が良さそうに黙っている。キースもいるし、彼らなりに気を遣ってはいるのかもしれない。


「あれ?」


 ふいにシルティアが何かに気がついたように声を上げた。


「あれっ?」


 フィールも遅れて声を上げ、二人はリリーナの胸元をじっと見つめる。


「リリーナ、何を首からぶら下げてるの?」

「見せて、見せて!」

「えっ?」


 ずいぶんと熱心にせがんで来る。この様子では見せるまで引き下がりそうもなかった。とは言え、見せて困るものだとも思えず、リリーナはペンダントを外して掌の上に置いてみせた。


「キース様がお守りに下さったのよ」

「エメラルドだね」

「きれーい」


 精霊が見えると報告した翌日、キースがくれたものだ。

 本当はキースにも精霊が見えているのではないかと思ったくらい、彼らの瞳の色そのままな輝きを放つ翠色の大きな石がはめられている。気休め程度でも常に身に着けていられるようにと、ペンダントに加工してくれた優しさが嬉しい。


「エメラルドはね、僕たち風の精霊と相性がいいって言われてる宝石なんだよ」

「こんなに綺麗な翠色の石、見るの初めて」


 リリーナは思わずキースを見やった。

 腕と足をそれぞれに組んで座るキースは、眉を寄せてリリーナを見ている。精霊たちの声は聞こえないはずだけれど、リリーナの反応からだいたいの流れは察しているのかもしれない。そして馬車の中では席を外せないから、仏頂面の裏できっと照れているのだろうと思った。


「ねえシルティア、せっかくだし僕たちの力を少し封じ込めない?」

「これだけ綺麗な石だもの、魔力を混ぜても大丈夫そうって私も思ってた」

「魔力を封じ込める?」


 話が分からなくてリリーナが尋ねると、二人は大きく頷いた。


「えっとね、この石なら僕たちの魔力に耐えられると思うんだ」

「だから、リリーナを守ってくれますようにってお祈りの気持ちを入れたいの」


 彼らはリリーナの力になろうとしてくれている。ペンダントに悪さをするとは考えられない。だから大丈夫だと思いつつも、目の前には贈り主のキースがいる。精霊たちの申し出をキースに伝え、お願いしてもいいか判断を委ねた。


「君の物だ。君の好きに扱って構わない」

「じゃあやろう!」

「うん!」


 キースの返事を聞くなり、リリーナの手を覆うように両側から小さな手が二つずつかざされる。じんわりとした熱を帯びたペンダントを中心に淡い翠色の球体が灯った。

 黙って視線を向けるキースの目もかすかに見開かれる。ペンダントがほのかに発光していることはキースにも見えているらしい。驚きの様相を浮かべながらも見守っている。

 翠色の光は彩度を上げ、白へと変わって行く。そして一際強く光ったかと思うと、シャボン玉が弾けた時のようにかき消えた。


「出来たー!」

「これでリリーナがお部屋の中にいても、僕たちの力が今までよりは届きやすくなるよ!」


 文字通り、精霊の加護を与えてくれたらしい。見た目にこれといった変化は見受けられないけれど、掌には確かな熱量を感じる。それはリリーナが精霊たちとの繋がりが強くなったからなのだろうか。


 リリーナは双子にお礼を言うと再びペンダントを首にかけた。

 これできっと、どんな障害だって越えて行ける。

 そう思った。




 初めて入る画材屋に、リリーナは物珍しい気持ちがいっぱいで店内を見回した。

 普段も特に客入りが激しいというわけでもないようだが、念の為に今日は午前中だけ貸し切りになった。ドアの脇に控えるアンドリューに何度か落ち着かない視線をやりながらも、店主はカウンターで額縁に入った絵の手入れをする。いつもそうしているのだそうだ。


 そんなに本格的な絵画を描き上げたいわけでもない。だからイーゼルにキャンバスと言った大掛かりな画材には目もくれず、少し大きめのスケッチブックを選んだ。あとは毛先の太さや形の違う筆が六本入ったセットと水入れにパレットと籠に入れて行き、最後に水彩用の絵の具の前で足を止める。


 王家ご用達の仕立て屋に連れて行ってもらった時もそうだったけれど、普段の生活からは見慣れないものがたくさん並んだ店は眺めているだけで楽しいものだ。画材屋の場合、一口に絵の具と言ってもたくさん種類があった。仕立て屋で布やレースを眺めていた時と同じように、宝探しをしているような気分になる。


 目的を考えればあまり出番があるとは思えない。けれど真っ先に黒を手に取った。


「君は本当に黒が好きだな」


 その様子を見ていたキースが揶揄からかうような発言をする。だからリリーナはにっこりと笑って答えた。


「大好きな方の色ですから当然です」


 キースは一瞬顔を背け、棚に向き直った。

 もしかして照れているのだろうか。リリーナが口元を綻ばせると、黄色の絵の具を手にキースが目を細める。


「そうだな。最近は俺も、陽の光を溶かしたような明るい黄色は好ましいと思う」


 黒以外にも好きな色があったことに驚きだ。しかも黄色だなんて、ますますイメージにない。


 ちゃんと覚えておこう。

 リリーナは心のメモ帳に「キース様は黄色もお好きみたい」としっかり書き込んだ。戻ったら紙にも書き留めようと考え、キースを見ると何故か彼は呆れた様子でリリーナを見ている。


「金色の絵の具がないのが残念だ」

「そうなんですか?」


 言葉につられるよう、リリーナは目の前の棚を見回した。

 少なくとも、ここに並んでいる種類には金と銀はないようだ。どちらも高価なものだから、もし仮に絵の具に加工したとしてももっと高い種類になるのかもしれない。そういえば、金銀ではないけれど鮮やかな赤や紫の絵の具はとても高価だと以前に本で見たことがある。この店にも置いてあるのなら見てみたい。


「本当だ、見当たりませんね」


 でも金色で何を描きたいのだろう。

 真っ先に黒を手にしたリリーナが言えた義理ではないが気になった。


(金色……麦畑かしら?)


 豊かに実った麦畑を黄金色と形容することは多い。あとは陽が昇ったばかりの海の色がそう見えることもある。


 ロマンチックな風景を描きたいのだろうか。

 ことキースに関してはいくらあっても足りない"意外"に驚きながら納得していると、ひどく盛大な溜め息をつかれた。


「キース様?」

「人のことは好き好き言うくせに自分のことは鈍すぎるのも考えものだな。君自身の髪は金だろうに」

「え……」


 意味を理解し、リリーナの頬が真っ赤に染まった。あたふたと視線を彷徨わせれば店主は聞こえない振りをしているのが見て取れたし、アンドリューは微笑ましそうに笑顔を浮かべている。

 それでますます羞恥心を煽られ、照れ隠しで目についた絵の具を掴むと籠に入れた。それが紺色だったものだから、余計に居心地が悪くなる。


「……もう。あまり、からかうようなことを仰ったりしないで下さい」

「先に君が大好きな方の色だなんて言ったのに、責任転嫁も甚だしくないか」

「それは……私が黒を手にしたのを、キース様が目ざとく見つけたりなさるから」


 リリーナは返事と気持ちの置き場に困った。

 今までずっと自分の想いを伝えることにばかり必死だったのだ。いざ受け入れてもらえているように振る舞われると、途端にどうしたらいいのかまるで分からなくなる。

 冗談でしょうと、軽くあしらえない。

 本当に好かれていると真に受けて心が舞い上がってしまう。


「もう、もう。からかうようなことを仰って遊ばないで下さい」


 頬をわずかに膨らませ、キースの顔も見ずにその右手首を掴む。


「金色の絵の具があるか探してみましょう」


 無理やり話題を変えて店の奥に引っ張って行くと、後ろで小さく笑う気配がした。


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