繋がる未来

 リリーナはテーブルの下で強く両手の指を絡めた。


 今なら――今以外に、それを言う機会は、きっとない。


「私の誕生日は、十月二日です」


 自分のことも知って欲しくて、聞かれてもいないのに告げる。

 誕生日だからリリーナが言わなくても、気を遣ってくれた誰かがキースの耳に入るようにしてくれるとは思う。だけどキースのことをキースの口から聞きたいのと同じく、リリーナのことはリリーナの口から教えたかった。


 どちらにしろ、今年の誕生日はもう過ぎてしまっているけれど。


「……知っている」


 何故?


 リリーナは驚きのあまり問いかけることも忘れ、ただ目を丸くした。失言したと言わんばかりにキースは視線を反らしたものの、すぐに肩で息をついて視線を戻す。


「君が婚約者になると決まった時に少し調べさせてもらったと言っただろう。その中に年齢と誕生日の情報も入っていた」

「そ、そうだったのですね」


 誕生日を知ってもらえていた。それだけなのにリリーナは耳まで赤く染め上げる。

 キースの中に、リリーナのことなんて欠片も存在していないと思っていた。

 対になる魂を持つ相手だから結婚する。その程度の関心がかろうじて引っかかっているだけだと。


 でも、たった一欠片でも自分がとどまれていると知って淡い期待が、欲が芽生えてしまう。


「あの、他に何かご存知なことは、ございますでしょうか」

「君個人に関する情報はそれだけだ」

「そうですか……」


 これからまだたくさん分かり合えることが出来ることにほっとしたような、やっぱりその程度の理解しか得られていないことが残念なような、複雑な気持ちだ。

 あっという間に欲張りになって多くを望みはじめてしまっている自分に気がつき、戸惑いも生じている。


 一喜一憂する自分の気持ちに振り回されながら、それでもリリーナは懸命に言葉を探すと紡いだ。


「来週……はご用意出来ないかもしれませんし、再来週辺りにお誕生日プレゼントをお渡し致しますね」

「来年でいい」


 それは、キースにとっては何気ない一言だったのだろう。

 分かっていてもリリーナの心臓は、どくんと大きな音を立てて跳ねた。キースに聞こえてしまったのではないかと思う。


 来年ということは、少なくともその時まで未来があるということだ。


「もちろん俺も、来年の君の誕生日には然るべき品を用意しておく」


 リリーナは一瞬、聞き間違いかと思った。

 だから確認したら違うと否定されて、耳に届いたはずの言葉が消えてなくなってしまうかもしれない。


 でも、もしかしたら。


 聞き間違いなどではないかもしれない。


「来年も一緒にいて、お祝いして下さるのですか」

「いずれは結婚するのだから嫌でもそうなるだろう」


 心の揺れが抑えられず、すぐ表に現れてしまう。尋ねる声が震えていた。

 肝心な部分はやはり素っ気ないままだったけれど、リリーナの来年の誕生日はキースが祝ってくれるということは否定されなかった。

 望まぬ結婚をする伴侶の誕生日を気にかける必要はない。ましてやプレゼントの用意なんて、もっとしないだろう。


 それをキースはしてくれると言った。

 たとえ口約束ですらないものであったとしても、嬉しくならないわけがない。先月過ぎたばかりの誕生日が、もう待ち遠しい一日に変わった。


「嫌なんかじゃないです。キース様がお祝いして下さるなら私、とても嬉しく思います」


 勢いで口に出してしまったけれど嘘じゃない。

 そうしてリリーナも、来年も再来年もその先もずっと、キースの誕生日を真っ先に祝える立場でいたいと思う。


「だからキース様のお誕生日も、私にお祝いさせて下さい」


 心までのぞき込むようにキースの目を見つめる。

 それは自分でも驚くほど切実な懇願だった。


 キースの目が静かに逸らされた。リリーナは一瞬、明確に拒絶の意を示されたのかと思った。

 けれどキースは口元に右手を当て、咳払いをする。


「……善処はしよう」


 もしかして、照れていたりするのだろうか。

 そう思えばリリーナの唇が自然と笑みの形を描いた。


「ぜひよろしくお願い致します」


 それに対するキースの返事はなく、会話も再び続かなくなってしまったけれど、息苦しさに似た感覚は不思議と沸いて来なかった。


 心が温かい。

 おそらくはこの感覚が、愛おしいという想いのような気がした。




 本当はエドガーに誘われたことを報告しなければいけないのだろう。

 でもせっかくの心地良い空気を壊したくなくて、壊れてしまうかもしれないことが怖くて、言い出せないまま帰る時間を迎えた。


 自分の誕生日なんかよりもずっと伝える優先度の高い、重要なことだと分かっている。何度もキースの顔を窺い見てはその度に口を開きかけた。

 なのにどうしても声にすることが出来ず、キースと視線が合わないことをその時ばかりは利用して押し黙る。


 そうして馬車に乗れば、俯いた状態で早く家に着くようひたすら願った。

 出来るだけ誠実でありたいなんて、エドガーへ偉そうに啖呵を切っておきながらこの有様だ。言うべきことを、そうと知っていながら言わずにいることが誠実であるはずがない。


 家に着くまではもう少しかかる。まだ、間に合う。

 けれどやはり告げる勇気を出せなかった。


「俺に話したいことが残ってるんじゃないのか」


 王城の門を出てしばらく進んだ頃にキースが突然話しかけて来た。

 珍しい出来事に顔を上げれば、宵闇をも飲み込んで深く輝く黒い目がリリーナを真っすぐに見つめている。リリーナは思わず息を飲み、隠し事をしている後ろめたさから視線を逸らしてしまった。


「話したいことが何もないなら――」

「いえ」


 無理に聞き出そうとするのを善しとはしないのか、あるいは話すこと自体をやはり避けたいのか。リリーナは顔を上げ、それ以上の話をあっさりと打ち切ろうとするキースを見つめた。


「少しお話ししても、よろしいでしょうか」

「どうぞ」


 元はキースから話しかけたことだ。駄目だと言われる心配はしていなくとも、促されると安堵した。リリーナは許可が下りたことに小さく会釈して礼を告げ、なおもまだ若干の重さを残した口をゆっくりと開く。


「エドガー様が先日、我が家を訪ねていらっしゃいました。それであの、私と出掛けたいと……」


 キースの表情に特に変化はない。

 嫉妬したり取り乱してくれるなんて微塵も期待してはいなかったけれど、それでも寂しく思った。


「駆け落ち以外は好きに行動したらいい」

「何とも、思わないのですか」


 エドガーも言っていた。聞いたらリリーナが傷つくだけだと。それは当然のことだ。


 リリーナはもう、幸せになりたいと願った時点でキースに興味を持っている。なのにキースからは全く興味を持たれていないと何回も突きつけられることはとても傷つく。

 伝えなければいけないと思いながらも出来なかったのも、傷つくことに今さら臆病になっていたせいだ。


「行くなと言ったらやめるのか」

「やめます」

「俺の言うことなら何でも聞くと?」


 躊躇ためらいもなく断言したリリーナにキースの黒い目が細められた。


 何となく、分かった。

 キースがこういう表情を見せる時はリリーナの真意を推し量っている。嘘をつくつもりははじめからないけれど、出来るだけ誠実でありたいという気持ちには変わりがない。だからリリーナはもう目を逸らさなかった。


「そういう話ではありません。私はキース様の婚約者ですから、キース様をわずらわせる波風を立てたくないだけです」

「だったら俺に聞く必要も理由もない」

「……行くなの一言くらい、仰って下さっても」

「どうせ行かないと分かっているのに、言う必要と理由はあるのか」


 キースは"必要"と"理由"とを繰り返し口にする。

 正当な理由なんかない。そんなの、リリーナが言って欲しいだけだ。

 王太子の婚約者である自覚を持てと言われることで、キースに婚約者だと認めて欲しいからに過ぎない。


 だけど。


「行かないって、どうしてそう思われるのですか」

「どうしてもそう思うも何も、君の言動を見ていたら分かることだろう」


 リリーナに心を開いてくれてないのに、不思議と信頼は向けてくれている。

 たかが弱小貴族の娘に大それたことは出来はしないとみくびっているのではない。

 ちゃんと、リリーナの言動を見て判断してくれていた。


「正式な発表はなくても婚約者のいる令嬢が、当の婚約者以外の異性と二人きりで出掛けることのリスクを君は理解している。――そういう認識でいたが違うのか」


 キースは分かっているのだろうか。

 たったそれだけのことでリリーナがどれだけ嬉しく思うのかを。


 そうして、その度にリリーナはキースに想いを寄せていることを自覚するのだ。




 家に戻ったリリーナはエドガーに宛てて手紙をしたためた。


 内容は時候の挨拶と、たった一言。キースの婚約者である自分はキース以外の異性と出掛けることは出来ないという、エドガーに直接伝えてある言葉だけだ。


 断りを入れる為とは言え、リリーナがエドガーの家を訪ねるわけには行かない。かと言って、エドガーをディアモント家に呼び出すなど問題外の行動である。

 グラヴィット家の住所はあの後キースに尋ねた。断りの手紙に何を書くつもりでいるのか。それも一緒に話した。


 キースは何も言わなかった。

 けれどリリーナを突き放すような、どこか冷めた雰囲気は和らいだ。


 ――そんな気がする。


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