太陽と月

 王太子からの手紙をテーブルの上に広げ、ディアモント伯爵家の面々はまた家族会議を開いている。


 その顔は先日、リリーナに十六回目の破談がもたらされた時とはまた違う方向に暗いものだった。

 何しろ差出人は王太子、つまるところはこの国の次の王なのだ。そんな人物に使者を送るなどと封書をもらって緊張が走らないわけがない。


「わざわざ王太子殿下ご自身が書状をしたためて、使いの方まで送られるなんて」


 温厚でのんびりした性格の父はいささか頼りない部分が多少はあるにしろ伯爵として、あるいは一族を代表する家長として、真面目にしっかりと自らの勤めを果たしている。

 王城へ上がることも時折あるが、ほとんどの場合、地位のさほど高くない文官に仕事上での用事があってのことだ。王族に連なる歴々れきれきと対面する機もないに等しく、それこそ王太子の不興を買うような原因にはまるで心当たりがない。


 父がそんな状況なのだから、王家主催で毎年六月に開かれる盛大な夜会に招待される以外に王城へ上がった経験のないリリーナが、どこをどうしたら王太子と接点を持つに至れるだろうか。連名に挙がる理由が分からないのも当然の流れだった。


(王太子殿下が私にご用があるなんて思えないわ)


 リリーナは王太子の姿を思い起こしてみる。

 言葉を交わしたことは今のところ、たったの一度もない。その姿を目にした友人たちが途端に色めき立つから存在に気がつき、特に関心も興味もなく遠目で眺めるくらいだ。会話はおろか目が合ったことすら記憶にない。

 最後に見たのはもちろん六月に王城で開かれた夜会だった。それもやはり遠目からほんの一瞬見た程度で、特筆すべき出来事があったわけでもない。


 リリーナが王太子について知っていることも、来年成人の儀を迎える十九歳だとか王都に住んでいれば誰だって知っているようなものだけだ。

 あえてリリーナ個人の印象を加えれば、漆黒の夜を思わせるような黒い髪が印象的で、そのせいかどことなく冷ややかな雰囲気を纏って見えた。

 かと言って冷酷そうだというわけでもなく、醒めている、と言った方が近いのかもしれない。もっともリリーナがそう感じただけで実際の人となりを知るはずもないのだが。


(私に何か直接、仰りたいことがおありなのだとしたら)


 あまりにも婚約が破談されるものだから、社交界の風紀や秩序を乱したとかで怒られるのだろうか。

 そんな話があるのかと思わないでもないが、もしリリーナの名が王太子の耳に入ることがあるのだとしたら理由はそれしかないような気がした。

 しかしやはり、いくらなんでも王族が理不尽極まりない理由でわざわざ名乗ってまで手紙を出すとは思えない。さらに王太子の代理人を立てて寄越すなんてよほどのことだ。


 よほどのこと。


「まさか……」


 リリーナが呟くと、父たちもその可能性自体には思い当たってはいたのだろう。


「いや、さすがにそんなまさか……」

「まさか、そんな奇跡的な偶然もないでしょう」

「そうですわ、まさか」


 一様に言葉を濁らせ、顔を見合わせる。


 まさか、王太子がリリーナの運命の相手である”太陽の紋章”を持つ人物だなんてことはありえないだろう。

 とは言え否定もしきれなくて、非常に歯切れの悪い空気になった。




「初めてお目にかかります、キース・アルドベルク王太子殿下の名代みょうだいとして参りましたクレフ・アザトリアと申します」


 約束の時間ちょうどにやって来た王太子の使者は、ヘンリーと同年代と思しき青年だった。

 父はどこか拍子抜けしたように、しかしその若さで王太子の名代を務める青年を下に見ることはなく丁重な仕草で出迎えた。父の後にリリーナも名乗り、挨拶を済ませると家族会議を開くいつもの応接室に案内をする。

 各々が椅子に着席し、紅茶の準備を終えたメイドが退室するや否や、青年は時間を惜しむように本題を切り出した。


「本日、王太子殿下の名代として私が参りました理由を単刀直入に申し上げますと、御家のご令嬢たるリリーナ様を王太子殿下の婚約者として王家に迎え入れることが決定致しました」

「そうですかなるほどリリーナを王太子殿下の婚約者に……ええっ!?」


 のんびりとクレフの言葉を反芻していた父は、だんだんとその意味を把握したようで目を見開く。

 もしかして……という話はしていたが、実際にその仮定が事実になるのだとしたらとんでもない話だ。何しろ王太子妃を輩出することになるなど誰一人として夢にも思っていないのだから、物理的精神的な準備を先立ってしているはずがない。


 それ以前に王太子妃はそれなりに由緒ある家柄の令嬢が幼い頃から選ばれるもので、とうに決められているのではないのだろうか。何の脈略もなしに、王族とは縁もゆかりもない家で生まれ育ったリリーナに勤まるとは思えなかった。


「何しろ急なお話ですから驚かれるのも無理はありません」


 しかしクレフは父とは対照的に冷静なまま、出された紅茶に口をつけた。仕立ての良さが一目で見て取れるスーツを嫌味もなく着こなし、仕草の一つ一つが優雅で様になっている。アザトリア家の名に心当たりはないが、きっと彼自身も名家の出身に違いない。


「リリーナ様がその御魂に”淡く輝く満月の紋章”をお持ちでいらっしゃることは、かの占い師エスメラルダ・バードリシュよりすでに聞き及びだとお伺いしております」

「淡く……輝く?」


 父だけでなくリリーナも頭上にクエスチョンマークをたくさん出し、同時に聞き返す。


 言われていることは分かる。

 今の今まで名前を知らなかったが、リリーナも見てもらった王家御用達の占い師たる妖艶な彼女の名は”エスメラルダ・バードリシュ”なのだろうし、彼女から”月の紋章”とだけ言われたことも正確には――少なくとも王家では――”淡く輝く満月の紋章”と言うのだろう。


 それは分かる、分かるのだが。

 大袈裟な名がついていると、とても大事のように感じてしまう。


 実際に王太子の魂に刻まれているもので、ひいては王太子妃の選定にも関わることなのだから大事には違いないのだろうが、何というか理解の範疇を想像以上に超えていた。

 運命で結ばれた恋人というだけならロマンチックな話で済ませられても、国家を巻き込む話とあれば悠長に雰囲気に浸っている場合ではない。


「差し当たって来週の日曜にディアモント伯爵とリリーナ様とで登城していただきたいと王太子はお望みです」

「分かりました、では」

「そ、その日は困ります!」


 クレフの言葉に頷きかける父をリリーナは慌てて遮った。

 淑女らしくない振る舞いだとは思ったが、バーバラの誕生パーティーに参加すると先に約束をしているのだ。いかに王族の要請だろうと、まともに会ったこともない王太子なんかより長い付き合いの友人と交わした約束の方がリリーナには大切だった。


「何かご予定でも?」


 気を悪くした様子もなく尋ねるクレフにリリーナは頷いて答える。


「友人の誕生パーティーに招待されておりまして、何か月も前から出席すると約束しているのです」

「おや、それは困りましたね……」


 クレフの秀麗な眉がわずかに寄せられた。物腰の穏やかな顔が苦悶にしかめられるのはなかなかに見栄えのする光景である。

 思わず見惚れたのも束の間、そんな用事より王家からの招聘を優先させるように言われるだろうか。不安をにじませて返答を待っているとクレフは一つ息をついた。


「ですが、こちらが急に招聘しようとしたことも事実です。とは言えこの場で私の一存による代案を申し上げることは出来ませんので、王太子に改めてご指示をいただくという形でよろしいでしょうか」

「こちらこそ申し訳ありません」


 リリーナは安堵し、そして深々と頭を下げる。

 どうしてもその日でなければ駄目だと押し通されなくて本当に良かった。


「そのご友人の令嬢のお名前と、リリーナ様の今後のご予定を窺っても?」

「シャルドネイト伯爵家のご息女・バーバラ嬢の誕生パーティーです。その後は私もこれと言った予定は入っていませんから、パーティー以降ならいつでも構いませんと王太子殿下にお伝え下さい」

「畏まりました」


 クレフは胸ポケットから取り出した筆記具に手早くメモ書きすると再びポケットにしまった。


「出来る限り早く登城の予定を組ませていただきますので、決まり次第封書にてご連絡を差し上げるという形でよろしいでしょうか」

「お手数をおかけすることになってしまい申し訳ありません」

「いえ、ご友人は大切ですから構いませんよ」


 差し当たって今日話しておかなければいけないような話もなくなり、クレフは王太子に事の顛末を伝えるべく王城に帰って行った。

 父と二人で頭を下げてその姿が見えなくなるまで見送ると、リリーナはどうしたものか父と顔を見合わせる。



 その日の夕食後、ディアモント伯爵家ではすべからく家族会議が開かれたが、さしものヘンリーでさえ今回ばかりは具体的な対策もアイデアも挙げることは出来ず、何とかなるだろうという父のある意味とても無責任な一言で閉会した。


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