提案
綺麗なシルエットを描く為、採寸する場所は十数か所にも及ぶ。その全てを終える頃には、リリーナも軽い疲労を覚えずにはいられなかった。
「リリーナ様、大変お疲れ様でした」
「まさか手の型取りをすることになるなんて思ってもいませんでした」
おそらくは手袋を作る為なのだろう。保湿と保護とを兼ねた精油の染み込んだ布を指の一本一本から肘までしっかりと巻きつけ、型取り用の液体が入った細長い木箱の中に両肘まで深く浸からせてじっとしていたからか、感覚がまだ完全には戻っていないような気がする。ついでに足の方も同時に型を取ってはいたが、そちらは座っていたら良いだけだったから特に何もなかった。
「申し訳ありません。手袋は型を作ってしまった方が正確で早いものですから」
ドレスに合わせた手袋と靴を作ってもらえるのは、とても嬉しい。だからアメリに謝罪させたかったわけではないのだけれど、型取りをした時点で無理な話だったのだろう。リリーナは首を振り、手首を軽く回した。
それよりも、手袋や靴がどんなデザインになるのかの方がよほど気になる。すっかり厚い信頼を寄せるに至ったアメリと言えども、さすがに靴を作る技術までは持ってはいない。専用の靴職人が仕立てることになるそうだ。とは言え靴のデザインもリリーナの要望を元に一緒に考えてくれると言うから心強かった。
そこからドレスのデザインについての打ち合わせを全て終えるまで、さらに一時間ほど経過していた。ついあれもこれもと欲張りすぎて、キースも一緒だと言うのに時間をかけ過ぎたかもしれない。
店内に戻ると、リリーナのいたフロアとはほぼ対角線上に位置する一角にキースと先程の支配人とがいた。
テーブルを挟んで何やら話し合っていたらしい二人は、しかしリリーナの姿に気がつくと話を切り上げてしまったようだ。
「それでは、ご希望通りに手配致します故」
「ああ。――頼んだ」
「畏まりました」
満面の笑みを浮かべた支配人とは対照的に、キースの表情はどこか苦々しい。怒っていたり不機嫌だったりするわけではないようだけれど、何かあったのだろうか。
気にはなっても尋ねられない。でも支配人の様子から察するに、リリーナが気にかける必要はなさそうだった。
待たせてしまったことをキースに謝罪して、支配人とアメリに見送られながら仕立て屋を後にする。
まだお昼を少し過ぎた辺りだ。でも用事も済んだし、もう家へと送り届けられてしまうのだろう。仕方がないとは言え落胆を隠せずにうなだれるとキースから声がかけられた。
「リリーナ嬢、時間はまだ大丈夫か」
「はい」
リリーナは顔を上げた。
登城した時は夕暮れまで時間を取っている。ドレス一式のデザインを決めるだけにしては時間がかかりすぎているけれど、普段を思えばまだ全然余裕があった。
リリーナと顔を合わせようとはせず、キースは咳払いを一つして口を開いた。
「――衛兵たちから聞いたんだが、この先に令嬢たちに人気のカフェがあるらしい。リリーナ嬢が構わないなら……そこで少し遅い昼食にしよう」
「はい」
まだ一緒にいられる。リリーナの顔に自然と笑みが浮かんだ。我ながらとても単純だと思うけれど事実、嬉しく思うのだからどうしようもない。
馬車に乗り込む時、先導する騎士と目が合った。確か王城でもいつも護衛の役目を果たしてくれているように思う。雨の日も、キースがリリーナの手を取った時に反応をしていた。
ああ、と理解する。
彼らはきっと、キースの後押しをしてくれているのだ。それがキースの為なのかリリーナの為なのか、あるいは別のことの為なのかは分からない。少なくとも、リリーナにとって味方であることには違いなかった。
意図を察したリリーナが決意を込めて微かに頷く。すると騎士もまた右手の親指を小さく立ててエールを送ってくれた。
仕立て屋のある場所から一区画分ほど進んだ先で馬車が止まる。キースはカフェと言ったものの、リリーナの知るそれとは全く趣きが異なっていた。その店構えはやはり来る客の身分に見合わせてかなり立派なものだ。
そしていつの間に連絡を入れていたのか、この店でも同様に支配人と思しき紳士が丁重に出迎えてくれた。
支配人直々の案内で移動する。リリーナがたまに足を運ぶカフェとは違い、店内は全て個室に分けられていた。壁が相当厚いようで、それぞれの部屋の話し声が外に漏れ聞こて来るなどということもない。なるほどこれなら確かに、お忍びで来るにも適しているのだろう。
客の気配がなく静寂に包まれた店内で、この店独自のものらしいお仕着せに身を包んだ女性何人かとすれ違った。彼女たちは忙しそうにワゴンを押しながら移動していたから、客入りが悪いということもないようだ。
煌びやかな装飾の施された扉から部屋に入れば室内も負けず劣らず華やかだった。中は続き部屋になっており、手前の部屋で護衛の騎士たちが食事を摂るらしい。それでも小さな店舗なら丸々一軒入るのではないかと思うほどに広く、リリーナは改めて王族や上級階級の貴族との根本的な格の違いを見たような気がした。
王族相手だからなのか、支配人が引いてくれた椅子に腰を下ろしてリリーナはようやく少しだけ肩の力を抜いた。深いえんじ色の皮に金箔の押された表紙のメニューを受け取り、中を確認する。提供される料理自体は馴染みのあるものであることに思わず安堵してしまった。
どれもおいしそうで何を食べようか迷ったものの、また連れて来てもらえばいいのだと考えてオーダーを決める。
「ごゆっくりおくつろぎ下さい」
挨拶を残して支配人が下がれば、部屋にはキースと二人だけになった。
「キース様、少しお話しをしてもよろしいですか?」
頼んだ品を待つ間、無言で待つのも時間が惜しい気がしてリリーナは尋ねる。
「どうぞ」
王城でテーブル越しに顔を合わせる時よりキースの顔が遠い。それを寂しく感じながら、せめて心の距離は縮めたくて言葉を続けた。
「先週お会いした時はキース様のことを全然知ることが出来ませんでした。ですから今日は先週の分と今週の分、合わせて二つのことをキース様にお伺いしたいのです」
「……どうぞ」
また渋々と言った様子ではあったけれど約束を違えるつもりはないらしい。リリーナは透明な液体の注がれているグラスを取り口をつけた。時期的に考えればリンゴとブドウだろうか。果実のほのかな甘みがする。
優しい甘さに勇気づけられ、一歩を踏み出した。
「キース様はご趣味などあるのですか?」
「特にないな」
ほんの数瞬の間を空けただけの、いともあっさりとした返答だった。
数値として存在する誕生日と違って、趣味のように個人的なことは本人以外から本当の情報を得るのは難しい。いちばん最初に嘘をついてもいいと言ってあるし、適当な答えで流されたのだろうか。
「……ないものをあると偽っても仕方ないだろう」
めずらしくキースが困ったように眉を寄せた。初めて見る表情だ。その言動にリリーナは自分の考えが顔に現れていたことに気がつき、居たたまれなさに顔を伏せる。
キースの答えを疑った。
そう言ったも同然のことだ。
「申し訳ありません」
こんなことで嘘をついたところで何の意味もない。キースについて知る為の質問をした側としては残念ではあるけれど、ないものは仕方なかった。ましてや、キースは嘘をついたわけじゃないのだ。
それに何もないからと話を終わらせたくはない。リリーナは必死に考えて「――あ」と、小さく声を上げた。意を決し、キースを真っすぐに見つめる。
「でしたら、二人で新しい趣味をはじめませんか」
口にしてから、我ながら名案だと思った。
共通の話題も出来る。同じものを見ることが出来る。きっと――お互いに理解も深め合える。良いことずくめだ。
「たとえば?」
「たとえば、ですか?」
具体例を求められてリリーナは口ごもった。
所詮は咄嗟の思いつきである。
そもそもキースについてまだほとんど知らないのだから、はっきりとした提案が出来るはずがない。
「キース様は何かお好きなものはないのですか」
「あるならそれを趣味にしているだろう」
「それも、そうですね」
リリーナは口元に右手を当てて視線を彷徨わせた。
でも何も思いつかずに結局、手探り状態のまま頭の中にあるものを口にするしかなかった。
「今まで全くなさったことのない分野はいかがでしょう?」
「たとえば?」
キースは再び同じ問いを投げかける。でもそれはこの場を収めようと投げやりに相槌を打っているのではなく、同じ趣味を持つことに前向きでいてくれている態度のような気がした。
とは言え、まがりなりにもキースは王太子だ。怪我をする恐れのあることは周りも良い顔をしないだろう。せっかく二人ではじめるのだから、出来るだけ長続きさせられるものにしたい。
そんな都合の良すぎる趣味なんてあるだろうか。
まだ漠然としていることに変わりはないけれど、考えを巡らせる範囲自体は少し狭くなった。何と言っても、キースと親しくなるまたとない好機なのだ。とにかく頭をフル回転させて考える。ふと、そんなリリーナの視界に額縁に入った風景画が飛び込んだ。
「絵……」
「お待たせ致しました」
リリーナが口を開くのと同時にドアがノックされた。タイミングが悪いことこのうえないが、キースが答えれば「失礼致します」と、ワゴンを押した給仕の女性が入って来る。そして文字だけで見ていた時より、ずっとおいしそうな料理の数々を手際良くテーブルに並べて行った。
「とりあえず先に食事を済ませようか」
「はい」
気持ちは逸るけれど、朝食を最後に何も口にしていないから空腹を覚えて来たのも事実だ。リリーナは手を合わせて食事前の短い祈りを捧げ、曇り一つなく磨き抜かれた銀製のカトラリーを取った。
お茶の席なら、何度か一緒にした。
それでも一緒に――ましてや二人だけで――軽いものだとしても食事をするなんてひどく特別なことのような気がして、胸の高鳴りが治まらない。
香ばしい焼き色のついたパイ生地の蓋をスプーンで破り、器の中のホワイトシチューを掬う。気持ちごと落ち着かせるべく、そっと息を吹きかけて冷ましてから口に入れると、途端に牛乳とバターの優しい味が広がった。
「おいしい!」
あまりにもおいしかったから思わず頬が綻んでしまう。
家のシェフが作ってくれるパイ包みシチューも好きだけれど、それとはまた違った味で、どちらが上だとか決めようもない。
「君のお気に召したならここを紹介してくれた衛兵も喜ぶよ」
「いつかはキース様もご一緒に、このお店のメニュー全部をいただきたいです」
「――そうだな」
リリーナの素直な反応にキースは目を細め、笑ったような気がした。
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